雪女の事情
短いです
閉じた意識が浮上していく。開けた視界に映る日差しのまぶしさに、思わず目を細めた。
「お加減はいかがですか?」
そっと伸ばされた手が額に触れる。この手は夏でも冬でも関係なく、いつだって冷たいようだ。見上げた沙はやはりこの世のものとは思えないほど美しかった。あのころと変わったのは、表情の豊かさだけだと思った。
「・・・・・・久しぶりだね」
「・・・お久しぶりです」
「小さい頃に一度会ったことあったね」
「はい、本を見せていただいたり、髪をくくっていただきました」
「花が咲いたから見せてくれたの?」
「私が植えて咲かせたものではないので、ちょっとズルしました」
「ねえ、マフラーなんかして暑くないの?」
「暑いです。溶けちゃいそうです。まあ、溶けないんですいけど」
雪女は泣き出しそうに眉を下げて、情けない顔をして笑った。
「あなたが、山に出るお化けで、私を食べちゃうつもりなの?」
沙はその言葉にしばし考え込んで、しかし首を振った。
首に巻いたマフラーを、緩慢な動作でほどいた。
現れたのは女性にしては少し太いかなと感じる首と、喉仏だった。
「私、雪女なんです。雪女だけど、心も体も男なんです」
全く想像していなかった返答に、六花は喉を詰まらせて声も出せない。
「え、は?男?」
「そうです、男」
「山に入った人間を食べるお化けは、白い髪の男の子だったって事?」
「違います。いつの時代の迷信かわかりませんが、誓って私は人間を襲ったことも喰らったこともありません」
沙は一度目を閉じて、すっと表情を変えた。その何を思っているのかわからない表情が、過去に戯れた幼い女の子と重なった。
「雪女たちは、この世界と繋がっていて閉じている異界の空間で暮らしています。昔々には異界からこちらに出てきた妖怪が人間を襲うこともあったようですが、長い年月が過ぎ、妖怪たちは現状からの変化を望まなくなり、人間に興味もなくなったので今はほとんどそのようなこともありません。雪女はひどく雪の降る極寒の土地でないと溶けてしまうので、こちらに暮らすこともほぼありません。
私は雪女として生まれました。しかし、女体でしか生まれることのない一族の中で、男として生まれ落ちたのです」
「男なんだから、雪男ではないの?」
「雪男は私たちとは全く別の種族です。獣の要素を含み、男しか生まれない」
まるで懺悔をするかのように一息に話しつくそうとする淡々と話す姿に、聞いている六花の方が息が詰まって、待ったをかけようと声をかけたのだが、すっぱりと流れを切られた。
何か言葉を続けようと口を開きかけると、寂しように微笑まれた。言葉を押しとどめられたように感じて、開いた口を閉じ、聞く体制に戻す。
沙は目を潜めて浅く息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。
「雪女は人間のように親の腹から生まれるのではなく、雪の精と異界の妖力が混じり合い生まれます。私も例外ではなく、同じように、なんの前触れもなく唐突に生まれたのです。ただし、性別を誤って。
私が異端な点はそれだけではありませんでした。真夏の熱帯の中でどれだけ焼け付くような日差しに晒されても、溶けてなくなることがないのです。妖怪といっても寿命は等しく存在します。それとは別に暑さに弱い雪女は、暑い場所では生きられないという特性があるのです。全身が溶けて動けなくなり、再構築が間に合わなければ蒸発して再生は不可能になり、消えてしまう。つまりこの世からの消滅を意味します。
雪女たちは異端児である私を軽蔑し、嫌悪し、畏怖しました。そして彼らは里からの追放を私に命じました。一族の恥さらしとして、私は故郷を失ったのです。
この山に来たのは、ただの気まぐれで。ひどく長いような短いような時間を彷徨ってたまたまたどり着いた先がこの地でした」
すべてを吐き出し終えた沙は、全身から力を抜いてぐったりとうなだれた。固く目を瞑り罰が下るのを待つ罪人のように、その顔はいつかの悲壮感にくれていた。悲嘆にくれるその姿は、あまりにも痛い痛しく目に映った。
大丈夫
頑張って
泣かないで
偉いね
頑張ったね
何を言えばいいのかを考えて、今まで散々両親や医者や学校の先生や近所の人たち、周囲の大人たちから掛けられた言葉が浮かんだ。思い浮かんで、浮かんだ先から反発が生まれた。
大丈夫って、一体何が大丈夫なの?
これ以上どうやって頑張れっていうの?
先回りして、泣かせてもくれないでしょう?
偉いねなんて、その場しのぎの常套句、思っていないって知ってるよ
私がどれだけ必死で生きてるのか、そんな一言で片付けないでよ
でも、思いとは逆に、溢れてくる激情を私はいつも押さえ込んでいた。
はい、大丈夫です
はい、頑張ります
はい、泣きません
はい、ありがとうございます
はい、頑張りました
『はい』なんて、いい子の返事を笑顔と一緒に返していた。
「私たち、出来損ない同士なのね。けどあなたは、私なんかよりずっと立派だわ」
超展開だと思ったそこのあなた、まさにその通りです。ほほほ、悔いはない。