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それは、とても寒い冬の日と、とても暑い夏の日のことです

息苦しくて、仕方ない。

頭がボーっとする。

さっきまではどうしようもなく苦しかったのだけれど、今はそれもよくわからない。


妹が何度も名前を呼んでいる。

母が大粒の涙を流して泣いている。

父が私の手を握ってくれている。



ああ、けれど。

返事をしようにも声が出せない。

返事をして安心させてあげたいのに、どうやって喉を震わせたらいいのかわからない。

手を、握り返すこともできない。


もう、体中の感覚がしないのだ。

点滴でつながれた腕も、だいぶ前から歩けなくなった足も、指一本さえ動かせそうにない。


視界の端、窓の外に美しいおぼろげな白色を捉える。

積もった雪の上に、しんしんと雪が舞っている。



なんであんたが苦しそうな顔をしてるのよ。

苦笑を漏らしたつもりだったのに、表情筋は動かなくて。


視界はどんどんぼやけていって、もう表情さえわからなくなった。

まぶたが、重いの。

もっと起きていたいのだけれど、どうしてだか、とてもとても、眠たいよ。

意識が、急激に真っ暗な闇に引っ張られていく。




無機質な電子音が、病室内に響いていた。




-―――




「はあ、はあ・・」


 ぽたりぽたりと滴る汗が気持ち悪い。

 先程休憩したばかりだというのに、もう一歩も動けそうになかった。フラフラと木の根元にもたれ掛かるようにして座り込む。


ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。


 乱れた呼吸を何度も繰り返す。喉が痛い。

 喉だけじゃない。足も腕も腰も痛い。普段動かさない体は思ったような動きをしてくれない。力いっぱい走ったつもりだが、たいして進んでいなくて、しかもこれ以上ないほど悲鳴を上げている。


 病院から外泊許可が出て、車で迎えに来た親が病院に忘れ物をしたからと言って取りに行っている間に、待っていた適当に必要そうなものをひっつかんで車から飛び出した。


 病院の周りは田んぼと山に囲まれている。

 舗装された田んぼ沿いに出ても、見渡せばすぐ見つかってしまう。いつのころだったか友達と遊びに入って迷子になり、医者にそれはそれは怒られたことがある山の中に入っていった。




 来た道を帰ることも、ここにいると誰かに知らせることもできない。病院から距離はそんなに離れていないと思うが、果たして見つけられるのか。



 ここで死ぬのかな。


 呼吸を乱しながら、動かない体を見下ろし、膝を抱えて考える。

 病院内の空調も照度も整備された環境にならされた体は、自然が生み出す熱や気温に音を上げている。普段では考えられない量の汗が全身を伝っていて気持ち悪い。眩しい日差しにさらされて、目を開けていらない。


 がさり、と草を踏む音がする。


 びくりと体が震えて、とたんに心拍数が大きくなる。野生動物が出たのかと体中から一斉に血の気が引いいていく。


 ばくばくばくばく。


 心臓の音が煩くて、同時に呼吸の乱れが激しさを増す。暑さに当てられて頭までクラクラしてきた。おまけに体はガクガクと震える。


 いつ死んでもおかしくない体で、苦しい思いをしないと生きていけないなら死んでもいいと思っていたのに。いざ死ぬかもしれないという現実を目の前にすると、情けないほど怖くて仕方なかった。


 ぽたりぽたりと流れる汗とは別に、ほろほろと涙が溢れる。顔から血の気がひいいていくのがわかる。頭が重くて体が揺れて、まぶたがゆっくり閉じていく。もうだめだ、と遠のく意識の切れ端に、くたびれた黄色い何かが見えたような気がした。




 花の匂いがする。

 それと、土と草の匂いも。


 誘われるように、ゆっくりゆっくりとまぶたが持ち上がる。眩しくて、うまく目が開かず眉をひそめる。視界を覆い尽くす真っ白が、徐々に徐々に色を持ち景色を明確にしていく。


 白の次に映ったのは、赤だった。


 なんで、彼岸花が咲いてるの。


 木陰に寝転がっている状態から、力を入れて上半身を起き上がらせる。周辺には寄り集まった彼岸花がポツリポツリと咲いていた。


「気がつきましたか?」


 人の声に、心臓が止まるのではないかと思った。体中が震えだし、そろそろと声のした方へ顔を向ける。

 そこに立っていたのは、真っ白な着物に身を包み、鮮やかな青い羽織を身にまとい、季節はずれの黄色いマフラーを首に巻き、光に反射してキラキラと輝く白銀の長髪をして木の桶を抱えた、この世のものとは思えない美しい顔をした女性だった。


 あまりの美しさに一瞬呼吸を忘れた。体を駆け巡っていた震えもぴたりと止まる。


「あの・・・」


 女性は恐る恐るといったようにもう一度声をかけてくる。手を伸ばしても絶対に届かないが、大声を出さなくても聞こえるような、微妙な間合い。


「誰?幽霊?」

 この不思議な女性の出現に、自分の置かれた状況も一瞬忘れて口からこぼれた声は、思った以上にはっきりしていた。

 こんな山の中着物を着て、夏の日差しを浴びながら汗ひとつ流さず立っていることなんて出来るはずもないだろう。しかもマフラーまで巻いているなんて、季節外れにも程がある。

 幽霊かと勝手に飛び出した自分の声に、あとから思考が追いつく。ただ、どうしてだか目の前の女性を怖いとは思わなかったが。


 女性は桶を抱えている腕を片方胸元へ移動させ、ぎゅっと手を握り締めた。無意識に威嚇していたらしく、睨んだ私の視線に、一度怯えたような態度をとった女性は、ひとつ息を吸い込んでから、グッと口をつくんみ、はっきりとこう言った。


「違います。私は、雪女です」



病院や病気のことについては素晴らしくいい加減です。ごめんなさい。

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