異文化交流
妙に静かだった。
壁の一面、うらうらとした日が布の隙間から射しており、烏の鳴き声が遠く聞こえる。
外の様子を伺いたくて、直隆は台から降りた。蒲団の上を滑るように下る(この奇妙な台は炬燵というものだと後に知った)。
遥か上の天井からかかっている布をめくると、珍妙といっていいほどの景色が見えた。
大きな箱がたくさん並んでいる。その間に申し訳程度に木々がちょこちょこと立っていた。
屋根瓦でも藁ぶきでもない、本当にただの箱だった。巨大なもののあれば、小さなものもある。奇抜な色もあれば、くすんだ灰色もあった。
手を伸ばそうとすると、透明の壁に阻まれた。叩くとドン、と音がする。
すぐ真下に見えるのは、道なのだろうか。しかし黒い何かに覆われていて、真中に白い点線が行儀よく並んでいる。
サァァと音がして、赤い箱が道を滑って行った。
猪まで箱か。
この国の住人はよほど箱が好きだと見える。
室内も箱だらけだ。
箪笥らしきものの上にある薄っぺらい箱。その横にある銀色の箱。奥の廊下(と呼ぶにはあまりにも短い)の途中にある大きな白い箱。
直隆はため息をついた。
混乱が収まってしまえば、やってきたのは焦燥だった。
自分はこんなところでこんなことをしている場合ではない。
織田家と朝倉家の板挟みになっている主のそばを離れて、なぜこんなところで途方にくれなければならないのか。
小谷の城はどうなっているのだろうか。長政さまは。再び透明な壁を叩いた。
それは、ただドン、と籠ったような音を鳴らすだけだ。
絶対に帰ってやる。苛立ちにも近い感情で直隆は壁を叩き続ける。どうやってここに来たのかさえも分からない、館に帰る途中に真っ白な光に包まれた。
どうしたら元の時代に帰れるか、その術も分からない。
だが、木村初音という女がこの世界との唯一の繋がりだった。
あの小生意気で無礼で破廉恥な女。
再び台の上によじ登った直隆は、ふと長方形の箱に気が付いた。色とりどりの丸が並んでいる箱だった。
「暇ならテレビでも見ときな。電源ここ」
初音がそう言って指差した緑色の丸を押してみる。
ヴン、と音がして、箪笥の上の箱が明るくなった。
「曲者にござる~」「出会え~出会え~」
「あっ!!」
直隆の世界がその中にあった。同じ髪型をして同じ服装をして、しかも直隆よりも小さな男たちが、こちらを見向きもせずに騒いでいる。若干小奇麗に見えるのは気のせいだろう。
「そこの者! これ、ここじゃ!!」
大声で叫んでみても、手を振ってみても、同輩は直隆に気が付かない。
どうやら城内で騒ぎがあったようだ。
そうだ、あの中に入れば元いた世界に帰ることができる!
湧き上がる歓喜を抑えつけて、直隆は箪笥を登りはじめた。取っ手に足と手をかけ何度か落ちそうになりながらも、息も絶え絶えに頂上に着いた。
彼らは畳の上で、剣を交え戦闘中だった。こんなに近くにいるのに、直隆なぞ眼中にない。
がむしゃらな曲が流れるこれは、お神楽なのか。祭囃子なのだろうか。
「ぐわっ!」
男の一人が切られた。
「助太刀いたす!」
腰の剣を抜き構えた瞬間、彼らは消え
「は~~~~い、テレフォンショッピングのお時間です!」
代りにどん、と中年女の顔が前面に押し出された。
「うわ!!」
思わず後ずさった直隆に構わず、丸い顔の女はいかに蒲団が軽くて温かいか、ぺらぺらと紹介しだす。一方的に、うっとおしいほどの熱意と共に。
小袖ではなく、どちらかといえば、初音が来ていたものと同じ着物を着ていた。
「布団などどうでもいい、さきほどの男らを出せ!」
きれいに無視された。中年女はそれがいかにお得かをくどいほど念を押して、直隆に向かって丁寧な礼をした。
つられて礼をする。
今度は女が消えて、頭の悪そうな娘が奇抜な衣装をまとい、身体をぐねぐねと動かし踊っている。
「わしは松本四朗直隆と申すが…」
恐る恐る名乗っても娘は答えない。嘲るように笑うだけだ。
無礼にもほどがある。こやつらは。
目の前にいるのに、誰一人直隆を眼中にもかけない。
一方的に内輪で騒いでいるだけだ。騒々しい祭囃子は拍子を変えてずっと鳴り続けている。
手を伸ばしてみても、例の透明の壁に阻まれる。
頭にきて切りつけると、箱の中はプツ、と音を立てて暗闇になった。
わしをないがしろにするからじゃ。
鼻を鳴らして刃を収めた。
****
帰宅途中。
地下鉄の電車の中は、すし詰めとまではいかないものの、そこそこに混んでいる。
真っ黒の外を眺めながら、初音はある懸念に取りつかれていた。あのチビ侍が世を儚んで切腹していたらどうしよう。
あり得る。大いにあり得る。
お侍さんとは訳の分からん美意識を持つ人たちじゃなかったのか。
冗談じゃない、死体を処理するのは自分なのだ。ゴキブリ以上に嫌だ。
それとも、もしゴキブリに食べられていたら……。ひぃぃ!!
電車の中で真っ青になったり、ムンクになったりしている初音を、くたびれたサラリーマンのおっさんが興味深そうに眺めていた。
心配は杞憂だった。それよりも。
「ぎゃああああ! あたしのブラビ○がぁあああ!!」
昨年の夏、ボーナスはたいて買った液晶テレビにざっくりと傷がいっている(ご丁寧に十文字)。
「あまりにも無礼なので切ってやった」
「無礼なのはお前じゃああ! 返せ、ブラビ○を返せ!! 返せ戻せ産めぇええ!!」
炬燵の上で得意げに顎を上げる直隆を引っ掴み、暴れるキングコングさながら前後左右に振り回す初音。
「何をする、不届き者が! 目が、目が回る!!」
「このまま空に放り投げてやろうか!? 遠いお空へ飛んで行け!!」
遠いお空ではなくベッドの蒲団に叩きつけられた直隆は、すぐさま体勢を立て直し、剣を抜いて睨みつけてきた。
「お? やろうっての? このチビが」
足下の蒲団を引っ掴んで勢いよくめくると、チビは悲鳴をあげて転がった。
「ご主人さまに逆らうんじゃねーよ」
「お主などが主人であるものか! わしの主は浅井長政さま唯一人ぞ」
浅井長政。
聞いたことがある。
確か、織田信長の妹、お市が嫁いだ先だ。その三人娘の一人、茶々は豊臣秀吉の側室になって、徳川家康に滅ぼされた。
「取りあえず、ゆっくり話を聞くからさ。ちょっと待って」
言いながらコートを脱ぎ、制服の白ブラウスのボタンをはずす。
帰ってからすぐに家着に着替えるのが初音の習慣だった。
「な……な……なにをしておるんじゃ、お前は!!」
「え? 着替え」
「男の前で女が堂々と着替えるな! この恥知らずが!」
身長20cmのチビが一丁前に男というか。真っ赤な顔してギャンギャンわめいている直隆がおかしくて、つい笑ってしまう。
「見るのが嫌なら、あっち向いてなよ」
挑発するようにブラも外す。大きくはないが小さくもない、年の割にはまだハリもある自慢の胸だ。
直隆は目をそらさない。魂を抜かれたように呆け、じっと初音を凝視している。
初音も直隆から目をそらさなかった。濃厚な時間が止まったように、時計の針の音だけが流れる。
沈黙を破ったのは初音だった。
「さぶぅ」
鳥肌の立った腕をさすって、くたびれたタンクトップを被り、パーカーを羽織る。
「着るなら脱ぐな! 脱ぐなら着るな!!」
「どないやねん」
思わず関西弁で突っ込みながら、夕食とビールを用意した。
「さ、聞こうか」
浅井長政の一臣である松本直隆は、城から帰る途中に白い光に包まれ、気が付いたらここにいたという。
タイムトラベルの概念が、よく分からない。
ドラえも○や映画じゃあるまいし、「じゃあ未来に行こう!」「過去に行こう!」とお気軽に行ける訳がない。
だから帰り方を教えろと言われても、何とも答えられない。
「お主はわしを遠い過去からきたというたな。ではここは未来の日本であるというか」
「うん。あんたがいた時代から500年後ぐらいの東京」
「とうきょう?」
ああ、そうか。戦国時代には東京なんて、まだない。
「えーと、江戸……?」
「なんとも辺鄙な土地に住んでおるのう」
初音はため息をついた。
自分の常識と直隆の常識が摺り合わない。時代が違いすぎるのだ。
これは、あれだ。一種の異文化交流だ。
一々を最初から説明してやるのは面倒なことこの上なかったが、それでも初音は辛抱強く教えてやった。
浅井長政の行く末に関しては、黙っていた。どこまで話していいものか分からなかった。
日本の歴史にさほど詳しくない初音も有名だからこそ知っている。
直隆の主は織田信長を裏切り、戦いに敗れ、自害した。
浅井家は滅亡する。その家臣たちはどうなったのだろうか。
「帰り方は分からないけど」
脳味噌を絞るように考えていた初音が口を開いた。
「調べてみれば、何か分かるかも」
「調べる? 乱破でも使うのか?」
「ラッパ? ラッパなんて吹いたら近所迷惑じゃない」
噛み合わない会話は、壁にぶつかったり、目まぐるしく回転したりの挙句、一つの結論にたどり着いた。
「直隆がいつ死んだと分かればいいんじゃないだろうか」
「不吉なことを大真面目で言うな」
「例えば、どこかの戦で死んだとか、畳の上で大往生とか、側室の上で腹上死とか」
「なんなのだ、最後のは!」
「とにかく、現代じゃなくて、その時代で死んだ、という事実があれば、間違いなくあんたは帰ったことになるんだからさ」
「あんた呼ばわりするな、そして呼び捨てにするな! この名を呼んでいいものは、長政さまと父上だけじゃ!」
どんだけご主人大好きっ子なんだよ。
「じゃ、チビ」
「……」
「そーら、チビ、おいでー。ビールをあげよう、飲めるかな~?」
「いつか殺す。絶対、殺してやるからな!」
「あたしを殺したら、チビはどうやって生きてゆくのかな~。そのちっちゃい体で」
「うッ……」
まあ、飲め。と初音は湯呑にビールを注いでやる。
「適当に作ったものだけど食べな。チビ、今日一日何も食べてないんでしょう」
コタツの上に置いていった菓子パンは手つかずのままで放置されている。
不貞腐れたように箸(割り箸を切って作ってやった)を動かし、鮭をほおばっている直隆を鑑賞しながらビールを一口。
顔のつくりは端正と言っていい。ミニチュアな着物も脇のちょこんと差している刀も、上等であることが分かる。
きっといい所のおぼっちゃんなんだろう。調べ物は案外簡単にいくかもしれない。
明日は休みだし、図書館にでも行ってみようか。
気持ちよく酔いが回ってきだした。カバンに直隆を入れて、そうだ、チビ専用の食器も買おう。ドールハウス用ならば丁度いいに違いない。リカちゃん用は可愛すぎるかな。ああ、愛しのブラビ○も修理に出さなくちゃ…。
眠気がやってきてもそもそとコタツに潜り込む。
お風呂は明日でいいや。
とにかく疲れた。
遠くで誰かが呼ぶ声がしたが、初音は構うことなく眠りに落ちて行った。