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怒りと焦燥

昼から夕に変わる時間帯は、テレビから流れる浮ついた騒々しさがよく似合う。

直隆は黙々と、洗濯物を畳んでいた。

唯一出来る家事であり、初音に仕込まれたものだ。

シャツを丁寧に畳みながら小さなため息をつく。

最近、初音の様子がおかしい。

ぼんやりしていることが多くなって、時たまじっと直隆を見つめる。いきなり抱きつく。痛々しい顔をして溜息をつく。

一本芯が通っていて、いつもは何事にもゆるぎない女が。

どうしたと聞いてみても、何でもないと言うばかり。

これはあれか。情緒不安定というのもか。それとも更年期障害か。昨今では若い女性にも多いとテレビでも言っているし。

それにしても。

初音のパンツ(黒地にピンクのドット)を目の前に掲げて直隆は首を傾げた。

こんなに小さな布切れがよく入るものだ。

と、それを畳もうとした時だった。

「……浅井長政、寝返ったり!」

テレビから突然聞こえた声に、びくん、と体が反応した。術にかけられたように動けない。だが耳だけは妙にさえている。

「と、信長は怒り狂ったわけだ。でも長政にも理由があったんだね。悩んだと思うよー。一方は義理の兄でありその勢力は巨大で味方にいる限り安泰だ。もう一方は先祖代々の義理がある。どちらにせよ、長政のとった行動は意外な所から信長の耳に入ることになる」

テレビの中の呑気な声は、緊張の欠片もなくぺらぺらと続ける。女の下着を手にしたまま、直隆は凍りついていた。

「1570年、信長は体勢を立て直して、家康と連合を組み北近江へと出陣。対し浅井長政も朝倉氏と手を組み迎え撃つ。その舞台となった姉川を挟んで正面衝突、近くには血川、血原という地名が残るほどの激戦だったそうだよ。からくも勝利を得た信長は、しかし城を落とすまではいかなかった」

つう、と汗が流れた。ゆっくりと頬を伝って、顎から滴り落ちる。

「三年後、信長は再び浅井朝倉へと攻撃を開始。八月二十四日、まず信長に追われた朝倉義景が自害。その三日後の八月二十七日、信長はついに浅井長政のこもる小谷城への総攻撃を始めたんだ。長政はお市と三人の娘を送り出した後、一人自害。その時なんだけどね、最後の攻撃の為、黒金御門から打って出た浅井長政は信長の兵に攻められ、本丸に帰ることができずやむなく重臣赤尾美作守の屋敷に入り自害した。たった160メートル先の本丸に戻ることすらできなかっ……」

「うわああああ!」

最初にやってきたのは怒りだった。混乱に任せ、テレビを殴りつける。

哀れなブ○ビアは激しい音を立てて床に落ちた。

丁寧に畳まれた洗濯物が散乱する。


自分は何をしているのだ。こんなところで何をしている。


過去を忘れ、女にうつつを抜かして。

己に対する怒りも静まらぬまま、次にやってきたのは焦燥だった。

気付けば直隆は散乱した部屋の中でうずくまっていた。

全身に汗をかき頭を抱えて、襲いかかる感情に耐えるようにうずくまっていた。



駅からの道を、ヒールを鳴らして初音は歩く。

カツカツカツとわざと音を立てて初音は歩く。

そうでもしないと、泣きだしそうだった。

直隆が消えてしまう。過去に帰って、そこで死んでしまう。

家に帰ってあの無邪気な顔で出迎えられるのがつらい。

本人にはまだ何も言っていない。言えない。


ただ、ずっとずっと一緒にいたいだけなのに。


強い想いは瞬時に痛みと共に否定される。


違う。そんな美しい願いじゃない。


初音は知っている。自分の弱さを、醜さを。

曖昧なまま、幸せに浸っていたかった。

何もかも濁して目を反らしたまま、直隆と二人の世界に浸っていたかった。


「ただい……ヒイッ!」

玄関を開けた初音は、猛突進してくる直隆にそのままタックルされてしたたか頭をぶつけた。

「痛! …ちょっと、直隆、頭打った……」

「教えてくれ」

初音の足にしがみついたまま、直隆がくぐもった声を出した。

「初音、教えてくれ。浅井家は滅びたのか」

部屋の中はぐちゃぐちゃで、一瞬で初音は悟った。

知ってしまったのだ、直隆は。

「…滅びた。織田信長に攻め入られて」

直隆は無言だ。ただ、初音が痛みに顔をしかめたほど、巻きつけた腕に力を入れた。

「…大丈夫」

初音は息を吸い込んだ。

「直隆は過去へ帰れるんだよ、もうすぐ」



その夜更け。

直隆はベッドに腰掛け、じっと手を見つめていた。

後ろでは初音が寝息を立てている。涙の跡が数本残っていた。

この女を愛おしいと思う。本当に愛おしいと思う。

それでも。

それでも、直隆は歓喜を抑えきれない。

主の元へと帰れる。そして敗れると分かっていても、強敵と戦えることが。

体が震えるほどの悦びだった。

己の全てを賭けて挑むあの高揚。

体内を駆け巡る血が沸騰し、殺戮を求めている。

だが、心の片隅では初音と共に過ごす、平和で美しい日々を欲しがっている。

どうしようもない矛盾は、直隆をいつまでも翻弄し続けていた。



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