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一寸先の闇

――松本四朗直隆は


「……むら」


姉川の戦いで死んだ。


「木村」


死んだ。


「おい、木村!」

足に強い痛みが走って、初音は我に帰った。

本社の会議室、十五人の店長たちと上司の視線が突き刺さっている。

店長会の最中だった。

日本橋山中屋おまえの番だ、はやく立て」

初音の足を蹴りあげた隣の銀座店店長、船橋が小声で注意した。

「あ……、すみません」

慌てて立ち上がると、はずみで机上の資料が音を立てて落ちた。

「おいおい、大丈夫かよ」

かつての上司は手伝うそぶりもなく、資料を拾い集めている初音を眺めている。

駄目だ、あたし。しっかりしろ。

仕事中なんだから、集中しないと。

焦る心は空回りを続けるだけで、林田博の声が思い出したくもないのにかぶさってくる。

――松本四朗直隆は……。

「すみません、お待たせしました。日本橋山中屋の今月度予算に対し、達成率は――」

博の声を振り払って顔を上げる。

船橋は顎髭を撫でながら、そんな初音の様子を見ていた。



一方、その頃の直隆は、初音の売り場で珍獣の様に林田健二と美園明美に取り囲まれて往生していた。

初音がどんな所で働いているのか興味があってやってきたわけだが、

「店長、今日は店長会でいないんですよ」

健二は残念そうにそう言った。片や明美は

「あのストーカー男をもっと早く言ってれば! 店長に謝り倒しても笑って許してくれるだけだし、いっそ怒ってくれたほうがどんだけ楽か! ごめんなさい、彼氏さん」

鼻息荒く頭を下げるのだった。

「そりゃ、美園さん、売り場のど真ん中で土下座して床に頭を打ち付けてたもんな」

「だって、だって」

じゃれあう二人に直隆は、ほのぼのと笑う。

「店長とはどんな所でデートするんですか?」

「店長って彼氏さんに甘えたりするんですか?」

「あだ名で呼び合ったりします?」

「店長、プライベートは仕事に関係ないって一切教えてくれないんですよ」

「あんなにクールでかっこいい人、他にはいないです」

今度はうごうごと直隆に向かってきた。無邪気かつ強烈な初音賛美に、直隆はどうこたえていいか分からずに困ってしまった。



「はい、お疲れー」

五つのジョッキがガチャガチャとぶつかりあう。

店長会の後、大概いくつかのグループに分かれて飲みに行くのが恒例であったが、初音は真っ直ぐ帰るつもりだった。飲んでなんかいられない。

「一杯だけ付き合え。話したい事もある」

と船橋に無理やり連行されて、今現在溜息をつきながらビールを流し込んでいる。

「今日もきつかったな~」

「大体、本社のやり方がまずいんだよ。今時、現場に社員三人、アルバイト一人なんておかしいだろう」

「社長はそういうスタイルだからって頑なだしねぇ。その内、絶対潰れるわよ」

不満は一気に流れ出る。

「日本橋山中屋は、随分と調子がいいじゃねえか」

船橋は初音が入社したての頃の店長で、初音は色々なことをこの人から学んだ。真似することも、反面教師なことも。

「一時的なものですよ。今のうちに予算取っとかないと。…あたし、そろそろおいとまを…」

「噂なんだけどよ」

船橋は声を顰める。

「全国の山中屋から、六月に撤退するかもしれねえ」

「えっ…?」

初音は驚いて、船橋の髭の濃い顔を見た。

「まさか、そんな。上は今日、何も言わなかったじゃないですか。それに百貨店側も…」

「うちの常務が山中屋の幹部を怒らせたんだってさ」

あの親父か。癇の強い老人の顔を思い出して、初音は眉を寄せた。

「何があったか知らねえし、あくまでも可能性の問題だ。だが、覚悟はしておけ」

「……はい」

可能性の問題。クビになるかもしれない。

そうなったら、どうすればいいのか。取りあえず、雀の涙とはいえ退職金は出るだろう。貯金もある。雇用保険もある。

その先は――。

体がすうっと冷えた。

あたしは仕事も男も失うのか。

――松本四朗直隆は姉川の戦いで死んだ。

「帰ります」

鞄を掴んで立ちあがった初音を船橋はもう引き止めなかった。

店を出て扉を閉めると、喧騒が消えた。

目の前は街灯だけが頼りなく光っている、ぼんやりした暗闇だった。

初音は歩き出す。歩かねばならない、それがどこまでも続く闇の中だとしても。





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