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蛙はねがう

「長浜に松本家ゆかりの寺があってな」

フロントガラスから見える灯の羅列は規則正しく流れてゆく。

ふ、と煙を吐くと博はつづけた。

「松本四朗直隆は姉川合戦の一カ月ほど前にひよっこり帰ってきた、と文献にも書かれとりました。一応デジカメで撮ったんですけど、送りましょうか」

いいえ。

ケータイの向こうから小さく硬い返事が返ってきた。

「十分です。林田さん、その戦の一か月前に直隆は過去に戻ったんですね」

「せや。姉川合戦は――……。おい、梅木、いつやったっけ」

「ユリウス暦で六月二十八日です」

博の横で同じく煙草を吸いながら運転していた梅木が答えた。

「六月二十八日やと。やから五月の終わりくらいやな。直隆が消えるのは」

「……ありがとうございます」

悲しげで気丈な声だ、と博は思う。

「また改めてお礼を言いに京都へゆきます。お忙しい中、お時間を割いていただいてありがとうございました。良かった、言ってもらえて」

「あの、木村さん」

通話は途切れてしまった。よほどショックだったんだろう。

パチンとケータイを閉じて、頭をガリガリと掻く。

やっぱり電話しなきゃよかったかも。いや、これで良かったんだ。

あのチビ侍と木村初音が今はどんな関係にあるのか、博には容易に想像が付いた。

お互いがお互いを必要とする存在になっているに決まっている。

「先輩。『姉川の戦い』スよ」

「ああ?」

しばらくの沈黙の後、梅木が口を開いた。

「『姉川合戦』は徳川の言い方ス。間違えんといてください」

「お前は東が嫌いやからなあ」

「アイヘイトトクガワイエヤス」

「そうかい」

「けど、先輩。あのおっさん、絶対何か隠してますよね」

「せやなあ」


梅木の協力の元、様々な文献を漁ってみても松本四朗直隆のまの字も見当たらなかった。ので、大学名を出して滋賀の歴史資料館に連絡を取ってみたところ、あっさりと糸口が見つかった。

「長浜に恩念寺という寺があります」

電話口に出た若そうな女は丁寧にその寺の住所と電話番号まで教えてくれた。

「あたしの家は、その寺の檀家なんです。びっくりしました。てっきり…」

「てっきり?」

「あ、いえ、何でもありません。よければそちらに問い合わせてみてください」

博以上に乗り気だったのは梅木である。

ほとんど引きずられる形で滋賀くんだりまでやってきた。

住職は恰幅のいい中年男で、気前よく寺に伝わる数々の文献や資料を見せてくれた。

梅木が狂喜乱舞したのは言うまでもない。

「松本四朗直隆は浅井長政の家老、松本惣一影康の四男でしてな。戦に行く直前にここを訪ねてこられた。記載は多くはないが、神隠しにあっとったらしい。姉川では磯野員昌と共に蒙戦したと記されておる」

「これだけの資料をなぜ公開せんのです」

興奮状態の梅木に詰め寄られ、住職は鼻を鳴らした。

「なぜ公にせんといかんのや。うちらにはうちらの守るもんがある、よそもんにとやかく言われとうないわ」

「せやけど…!」

「やめえや、梅木」

気が付けば、日はとっぷりと暮れていた。

最後に住職は言った。

「女性の方がいらっしゃると思っておったが…」

ジロジロと博と梅木を見つめた後、いやいやまさか、と坊主頭を掻いた。


「俺は悔しいス。またピンであそこに行っていいスか」

「ええよ、別に。俺にゃもう関係ないことやもん」

そうだろうか。そうなんだろうか。あのハゲタヌキが言った女性とは、もしかしたら木村初音ではないのか。

「ねえ、先輩」

「なんや」

「俺、今日は興奮して眠られないかもしんないス。デジカメの容量がもっと多かったらなあ…」

確かに梅木は未だ興奮状態にある。いつもは大人しい男がよくしゃべくるわしゃべくるわ。

「お前はほんまに好きなことを研究してるもんなあ」

「そうスね。俺は幸せもんやと思います」

しばらく沈黙が流れた。

「思うんスけど」

博が煙草に火を付けた時、考えるように梅木が言った。

「井戸の中の蛙、大海を知らずって言葉、あるでしょう」

「あん?」

「その後にされど空の高さを知る、って続くの知ってます?」

「あー。でもそれ、後世になってから付けたされたものやろう」

「みたいスね。でも、俺はこの言葉が好きなんスよ」

「ふうん」

「井戸の中の蛙、大海を知らず。されど空の高さを知る。引きこもり学者の居直りとか言われますけどね。そんなんでも役に立つことあるやないスか」

「役に立つこと、ねえ」

「さっき、先輩が話していた木村さんの事を俺はよく知らないス。だけど、真実を伝えることができた。いいやないスか。それで」

「せやな」

この先、初音と直隆は離ればなれになる。直隆が死ぬことを自分は初音に知らせた。

あの女はこれから待ち受ける不幸をどう受け止めるだろうか。

だが、何も知らずに受け止めるよりは、知っていた方がいい。

そう思うのは、もしかしたら罪悪感を少しでも減らしたいからかもしれない。








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