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初音と直隆

売り場の片隅で初音は深いため息をついた。

目頭を押さえると、瞼の裏がチカチカする。完全に寝不足だった。

「店長~?大丈夫ですか」

部下の林田が心配そうにやってくる。

「売り上げが悪いからって、そう落ち込まないで下さいよ。ぼくらもがんばりますから。ね?」

気を使ってくれるのは有り難いが、残念ながらその事実は初音の胃袋をキリキリと刺した。

「ありがとう。じゃ、がんばってもらおうかな、林田君。ペルーノ売ってちょうだい」

壁面に、ドンと鎮座する抽象画(畳一枚分の大きさで、訳の分からん渦巻が描かれている。お値段税込42万円)を差すと、林田は年の割には幼い顔を引き攣らせてエヘヘと笑ってごまかした。


初音は老舗百貨店日本橋山中屋の一角、絵画売り場で働いている。

2年前に店長に抜擢された。認めてもらえた、と天にも昇った気持ちは速攻に叩き潰された。責任者とは、その名の通り責任を負うものである。

不景気だから売り上げが落ちた、客が来ないから売れない。そんなことは言い訳にもならない。本社は数字しか見ない。

衣食住とは違い絵なんてなくても生きていける。生活に潤いを与える物は嗜好品に過ぎず、生活が苦しくなれば真っ先に排除される。

それでも仕事だから、売らなければならない。青白吐息の中、手を変え品を変え必死に頑張っても予算の半分しか満たない月も多々あった。

同期は皆、結婚して辞めていった。

「初音も早く、結婚しちゃいなよ。いいよう子供って」

母となった彼女らはそう言って、お世辞にも可愛いとはいえない赤ん坊を愛おしそうにあやす。

「そうしたいのは山々なんだけどね~。相手がね~」

あたしはちゃんと笑えているだろうか、と不安になりながら、茶化すように答える。

内心は醜い感情でドロドロだというのに。


仕事を辞めてしまいたい。無神経な幸せに浸ってしまいたい。

でもなんだかそれは逃げている気がする。

だから初音は戦っている。逃げずに繰り返される日常と。


そこに突如として現れたのが、松本四朗直隆ことチビ侍だった。


あれはもしかしたら神さまがくれた贈り物かもしれない。

いやー、それだったら等身大の男がよかったなあ。イケメンで金持ちの。

「そのままの君が好きだよ(はぁと)」とかほざかれて、苦労一つない夢の世界にレッツ突入! ……やばい、思考回路が崩壊している。


苦笑して髪を掻き上げる。テコ入れでもしようかと、壁面にかかっている絵たちを外しにかかった。

「あ、手伝います」

林田も慌てたように手を伸ばした。



****


松本四朗直隆は、今現在ぽつねんと巨大な台の上に座っている。

奇妙な台で、四方からは蒲団らしきものが伸びていた。

「あたし、仕事があるから。お腹がすいたらこれ食べて。じゃ、行ってきます」

そう言って巨大女は出て行った。

今、自分はどこにいるのだろう。あの女の言う仕事とは何をしているのだろう。

直隆には分からないことだらけだった。

分かったのは自分が住んでいた所とは全く異なる場所というだけだ。

そしてこの体が小さくなってしまったこと。


昨夜、ほとんど気が狂ったように直隆と巨大女は怒鳴りあった。ここはどこだの日本だの、あんたは誰だのお前こそ誰だの、どうしてそんなでかいだのそっちがちびなんじゃないのだの。双方混乱していたのだろう。

落ち着いて話そうか、と意見が一致したときは、二人とも肩で息をしていた。

「お茶、飲む?」

「もらおう」

茶があるとはそれなりの家に違いない。直隆は内心大層驚いたが、女は大きな箱を開けると、竹筒よりも一回り大きなけったいな物を取り出した。

「ん」

巨大女の茶碗はやはり巨大で、まるでかめのようだ。

苦労して一口飲んだ直隆はその茶のうまさと冷たさに再び驚いた。喉を鳴らして、あっという間に飲み干してしまった。

「喉かわいてたの?」

女は微笑んで、お代わりを継いでくれた。

笑うと結構かわいいではないか。ちらりとよぎった感情を慌てて散らす。


女は木村初音と名乗った。苗字があることからして平民ではないのだろう。その割には家(なのか部屋なのか)は狭いし、他に人が住んでいる気配はない。

直隆も名乗った。

初音は目を丸くして、「なに、あんたミドルネームがあるの?」といった。

みどるねーむとはなんだ、意味が分らない。


「あんたがこの時代の人間じゃないことは分かった。で?どこから来たの?」

「近江の国、小谷じゃ。時は永禄十三年」

「永禄? 知らない、今は平成だし」

直隆こそ知らない。うーん、と腕を組んで目の前の女は胡坐をかいた。筒状の寝間着がめくれ上がって膝上まで露出する。

なんと破廉恥な。思わず怒鳴ろうかとしたものの、そこまで親切にしてやる義理はない、と考え直し開けた口を閉じた。

調べた方が早いや、と呟いて初音は枕横にあった小さな四角い物を取った。パッチン、と音がしてそれはさらに長くなる。

一瞬、飛び道具かと直隆は構えたが、どうやら違うようだ。せわしなく親指を動かしていた初音の目が見開く。


「永禄って戦国時代…?」

なんだ、それは?

「織田信長とか武田信玄とかが、うようよしていた所から来たの…?」

直隆は驚愕した。血が逆流したような衝撃だった。

「なぜ織田の名前を知っている!?」

再び直隆は混乱してしまった。後に初音に「あんときの直隆のパニック状態、ケータイで録画しとけば良かった」と笑われたほど、取り乱した。


一方が取り乱すと、一方は冷静になるのかもしれない。そして、こういう異常事態は女の方が受け入れやすいのかもしれない。

「あのね、松本四朗直隆さん」

厳かに初音が口を開いた。

「あんた、遥か昔の時代から、現代にやってきちゃったみたい」

それもミニマムな体になって。




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