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人生 色々

昨日の電話は重かった。

初音は朝の満員電車の中で、大きなため息をついた。隣のOLらしき女がちらりとこちらを見る。

――お向かいのアキちゃんにまた赤ちゃんができたんですって。

そう、という間もなく、母は言葉をついだ。

――あなた、もう帰ってらっしゃいな。体壊したらどうするの。いつも電話してもいないじゃない、そんなにがんばるお仕事なの? お母さんはもっと女の幸せというものを初音にも知ってもらいたいのよ。

精一杯の反論は涙で封じ込められた。

母が若かった頃とは時代が違う、それにもっと過酷な状況で働いている人だっている。それでも母は頑なに自分の価値観しか信じない。

分かってくれ、とは言わない。でももう少し、信頼してくれてもいいじゃないか。

受話器の向こうから聞こえる嗚咽は、初音をなじる。

悪意ではなく、純粋に心配されている事が辛かった。


あたしは親不孝者なのかなあ。

上を見上げると吊皮の向こうに結婚情報雑誌の広告があった。真っ白いウェディングドレスを着た花嫁が、一ミクロンの不幸もない華やかな顔で笑っている。

あー畜生、目に眩しいぜ。

ぼんやりとしながら、ふと森田譲二を思い出した。もしあの人と結婚して故郷に帰ったら母は嬉しさのあまりトチ狂うかもしれない。

久しぶりに会って電話番号渡されただけなのに、初音の頭はすでに結婚までぶっ飛んだ。

もったいない、あのメモ捨てるんじゃなかった。

再び溜息をついて、いや、あれで良かったんだと思いなおす。

溺れている時に藁に縋ると、ロクなことにならない。

あの頃。初めて背負った店の責任に、初音は押しつぶされそうになった。同時に不況の嵐が襲い、精神的にも参っていた。売り上げは取れない、本社は伸びない数字を叩く。

悔しい事も、悲しい事も、まるで終わることのないループを回っているようなやりきれなさ。

だから、手を差し伸べてくれた柏木に縋った。多分、柏木でなくても良かったのだ。藁であれば、誰でも。

結果的にさらに苦しむ事になるとは露知らず、誰も幸福にはならなかったのに。

もう二度とごめんだ。

三度目の溜息をついたとき、隣のOLも同時に息を吐いた。

知らぬふりをしながら、この人も色々あるんだろうなとちらりと思った。

電車は走る。それぞれの人生を抱えた、たくさんの人を乗せて。



****



さて、その頃の直隆である。

激しく動揺しながら、相棒のブラビ○を見ていた。両手を顔に当てて、指の隙間から。

「けいこさん、もう君を離したりしないよ」

「しんいちさん!」

画面の中の男女が口を吸いあっているのである。

「ひ……ひ……卑猥な!!」

両手を顔に当てたまま、直隆は叫んだ(でも見ている)。

「なんじゃ、うぬらは! そういう淫らなことを公共の電波でやっていいと思っておるのか、年端も行かぬ子供が見たらどうする、乳繰り合うならばよそでせい!! だいたい、こんな朝っぱらから!!!」

男と女は聞く耳持たない(当たり前だ)。

その内、画面はゆっくりと右へ流れ、二人は消えた。

「ふう、やれやれ」

額の汗を拭って、直隆は一息をつく。初音と暮らす日常に置いて、お互いの常識が大きく異なるのはもう慣れたが、それでも驚くことが度々ある。テレビで公然と口吸いをするならば、初音が直隆の前であっけらかんと裸になったり、嫌がる直隆の着物を無理やりはいで一物をまじまじと見られる出来事も納得できる気がした。


「なにそれ、あたしが変態みたいじゃないの」

帰ってきた初音は、直隆の話を聞いて不満そうに鼻を鳴らした。

「それにキス一つで大騒ぎするなんて」

「きす? 海の魚と関係があるのか」

空になったおちょこを差しだすと、初音がお代わりをついでくれた。

「ああ、そっか。チビの時代にはキスとかないんだ。あのね、好きだよ、愛しているよっていう愛情表現」

「表現……」

現在、一般化している「キス」は、明治に入ってきたものでいわゆる外来物である。が、直隆の知っている「口吸い」は性行為の一種だった。だから激しく動揺したのである。

「あははは」

初音は声を上げて笑った。

「そりゃびっくりしたでしょう」

「うむ」

正直に直隆は頷いた。初音はまだクスクス笑っている。目の下がほんのり桜色に染まっていた。十分酒がまわっている証拠だ。

「ね、キスしようか」

直隆は眉を顰めて初音を見上げた。目の前の女は、今までに見た事ないほど妖艶な顔をして、唇に手を当てている。

「御免こうむる」

「どうして? 唇だけじゃないよ、他の所も舐めてあげる」

刺激的な言葉に直隆の心臓がドクンと跳ねた。だが努めて静かな声を出した。

「いらぬ。女の施しなぞ」

「あ、そう。じゃあ、お風呂入ってくる」

あっさりと初音は諦めると、さっさとバスタオルを引っ掴んで風呂場に消えた。

「あ……」

コタツの上にポツンと取り残された直隆は、しばらくしてまた初音にからかわれたことに気が付いた。


あの女……!


この夜、直隆が真剣に初音復讐計画を立てた事は想像にしがたくない。






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