テレビっ子
「ただいま」
帰宅した初音に向けられた言葉は、「おかえり」ではなく、三つ指でもなく
「腹がへったぞ、飯はまだか」
だった。
先程の切なさはどこへやら、げんなりしながら靴を脱ぐ。
このクソ侍。メイド服着ているんだから「お帰りなさいませ、ご主人様」くらい言え。
むかっ腹がこみ上げる。
修理から戻ってきたブ○ビアと直隆は現在蜜月状態で、お気に入りのお天気キャスターまでいるらしい。
男のテレビ好きは時代を超えて共通するものなのか。
まあ、ともかく、初音が着替えて夕御飯の支度をしている間も、二人でそれを食べている間も、直隆は賑やかな画面から眼を離さない。
話しかけても生返事。
「あ」
プチンと音がした。初音がリモコンで消したのだ。
「何をする、見ておったのに」
「ご飯食べながらテレビ見ない。お行儀が悪いよ」
そうなのか、と直隆は素直に初音に向き直った。変なところは聞き分けいいんだから、と初音は笑いをかみ殺す。
「珍妙な国じゃな」
昨日の残りの筑前煮をつつきながら直隆は言った。
「なにが?」
「他人が結婚したの別れたの、なぜ一々(いちいち)騒ぎ立てるんじゃ。どうでもいい人間の私生活を、これまたどうでもいい人間がしたり顔で評する。もっと論ずることもあろうに」
「それが仕事の人もいるから」
「それだけではない。わしはお主とてれびしか知らんが、やはりここは変じゃ。筋が通っておらん上に、頂点に立つべき人間が不甲斐なさすぎる。我が変わって治めてやろうという気概のある者もおらぬ。好き放題に言うて、見て見ぬふりをしている」
「……」
「世界はもっと単純であるべきじゃ。強いものが勝つ。弱きものは滅びる。それでよいではないか」
「色々と複雑なんだよ」
「初音はここが好きか?」
「えっ!?」
驚いて初音は直隆を見た。名前を呼ばれたのは初めてだ。
「す……好きも何もここしか知らないし」
「ならばわしと来い」
「はっ!?」
「小谷は良い所じゃ。きっとお主も気に入る」
うんうん、と思いだすように遠くを見る直隆にどう返していいか分からず、初音はフリーズしていたが、慌ててご飯をかき込み、むせた。
「何をしておるんじゃ、顔が赤いぞ」
「う、うるさいッ!」
****
直隆がここにきてから一カ月が過ぎた。
淡々と日常が過ぎる通過で、お互いのリズムのようなものが生まれてくる。
初音が仕事でいない時、大抵テレビを見て過ごす。
情報を映像で流すものだと言われた。この時代は本当に便利な物で溢れ返っている。
直隆の時代にテレビがあれば、戦はもっとやりやすいものになったかもしれない。
「では、本日は信長の動向に迫ってみましょう。現場中継の山田さん」
「はい、山田です。今、私は尾張の清州城前に来ています」
とかなんとか。
初音が帰ってくると、一緒に夕餉を食べ、風呂に入る。
二人で入ることを直隆は断固拒否した。
一度、無理やり着物を脱がされ、褌まで取られ、まじまじと観察されたことがある。
「すごーい。いっちょ前に付いているんだー…」
「見るな、この破廉恥女!!」
だから、初音が風呂から上がった後、洗面器に湯を張ってもらい、それに浸かる。
上がれば新しい褌をしめて(さらしを適当な大きさに切ったもの)、寝間着(ぱじゃまというものを初音が作った)を着て、蒲団(これも作ってもらった)に入る。
直隆の生活区域は全てコタツの台の上にある。
なので、朝、初音が化粧をする時は、寝ているふりをしてその様子をうかがっていることが多い。
髪を括った後の勇ましく変貌する女の顔を見るたびに、直隆は内心、ふふふと笑ってしまう。
なぜかは分からない。同志に似たような、誇らしげな気分になってしまうのだ。
ある晩。
夕餉の後に電話がかかってきた。
「あ…お母さん」
初音にも母がいるのか、まあ、いるだろう。まさか川から流れてきた訳でもあるまいし、と直隆はテレビを見ているふりをして耳をそばだてている。
自分の母を、産みの母を直隆は知らない。
父がどこぞで手をつけた女だと聞いた。正室に当たる女は愛情を注いではくれたが、それでも幼心に違和感があった。恵まれているのだ、不服などではない、と何度も自分に言い聞かせて直隆は成長した。
「うん…元気。うん、うん…」
初音もそうなのだろうか。こちらに向けた背が妙に頼りなく見える。
「そんなことを言っても…大丈夫だから。あたしは大丈夫」
威勢の全くない声。
「だから、それは仕事だから…。お母さんの言っていることも分かるけど…」
心細そうな、ほんの少しの苛立ちが混じったような。
「あはは、それ、男の人に言うセリフだよ」
笑いすらも乾いている。
「…だから! 働いた分お給料をくれるし、そういう仕事を選んだのはあたしだから…!何も知らないのに勝手に決めつけるのはやめ…ごめん、泣かないで、ね? お母さん」
垣間見えた顔は心底困ったよぅだった。
「うん、遅いからもう切るね。体に気をつけて…。おやすみ」
切った後にため息をひとつ。
「…そんなに頑張って、仕事があなたに何をしてくれるの、だってさ」
直隆は言葉が見つからない。
「親の涙って卑怯だよね。ものすごい罪悪感が湧いちゃう」
「……」
「お風呂入ってくる」
「う、うむ」
テレビから場違いなほど明るい笑い声が聞こえた。
夜。
ふと押し殺した嗚咽が聞こえた。
ベッドの初音を見やると、すっぽり蒲団をかぶって丸くなっている。
きっと泣いているのだろう。
声をかけようとして、やめた。
直隆に泣いていることを気付かれたくないに違いない。
あの女はそういう女だ、脆い部分を決して人に見せない。
弱さも甘さも、全てさらけ出してくれればいいのに。
嗚咽はその内、寝息に変わった。
直隆は蒲団を抜け出して、初音の元に向かう。
ゆっくり掛け布団をひっぱると、涙にぬれた女の顔が現れた。
幼子のように片手を軽く握って口元に当てている。
「子供のようじゃの。泣きながら寝入るなぞ」
膝をついて、その涙を拭ってやった。
それから、自分より数倍大きな手をポンポンポン、と叩いた。
まるで子供をあやすように、ゆっくりと優しく。