林田と美園
「店長って男運なさそうですよね」
休憩時、山中屋社員食堂にて。初音の京都土産の「おたべ」をつつきながら、しみじみと美園明美が言った。
「そうかな」
京都まで初音が兄に会いに行った理由を、健二は知らない。兄の博に電話して聞いてみると「うん、まあ、そのごにょごにょごにょ」と訳の分からない言語を発した。
あの役立たずめ。
それでも、「ありがとう、林田君。おかげで何とかなりそう」と感謝の顔で言われると、あんな兄でも紹介してよかったと心から思う。
「そうですよ。仕事ができる女はたいがい、ダメ男に引っかかるもんなんですから」
「それはもしかして昨日の人のことを話しているの?」
「いらっしゃいませ」
その客が入ってきたとき、林田健二は検品作業をしていた。ふらりと店内に入ってくるのではなく、足は迷いもなくこちらに向かってきた、購入意識は強い。売り場を見ると、美園明美は違う客にセカンドアプローチのタイミングを計っている最中で動けない。行かなきゃ、と思ったときに初音がストックから出てきた。一瞬で売り場の空気を読んだらしい。
「お伺いいたしますので、どうぞご覧くださいね」
親しみ以外の何者でもない完璧な笑顔。三十手前くらいのその男は、何を勘違いしたのか顔を少し赤くした。
「お祝いか何かでお探しでしょうか」
初音はするりとセカンドアプローチに入る。
「実は友人の新築祝いを探しに来たんですけど、なにがいい分からなくて」
「まあ、そうなんですか! おめでとうございます。人気があるのは、こちらですね」
――さすが店長。
入荷した絵たちをチェックしながら、健二は耳をそばだてながら苦笑した。初音が見せている絵画は五万円ほど、新築祝いとしてはかなり値が張るほうだ。きっと客を見栄張りタイプと診断したのだろう。よしよし、確定だな。このままいけば本日の予算は達成だ。
しかし、だんだんと客の反応が鈍くなってきた。生返事しか返ってこない。
不審に思ってそちらを伺ったとき、客が声を上げた。
「やっぱり、初音ちゃんだ。 おれだよおれおれ、覚えていない?」
おれおれ詐欺かあんた誰!? 彼方から健二は突っ込んだ(心の中で)。多分、美園明美も。
「どちらさまですか?」
当の初音は覚えていなかったらしい。首をかしげて、男を見上げた。
「ほら、H町の近所に住んでいた森田譲司だって。びっくりしたな、こんなところで会うなんて。元気だった?」
「ああ!」
そこでやっと思い出したようだ。そして戸惑っているようでもある。
森田譲司は周りにかまうことなく初音を(売り場のど真ん中で)飲みに誘い、なおかつ携帯番号まで渡していた。
「電話してくれ。待っているから」
ラッピングされた五万円の絵を下げて、森田が売り場を去った後、林田は初音に聞いた。
「お知り合いだったんですか」
「うん、幼馴染って言うのかな」
「仲良かったんですね」
「そうね、お礼参りしたいくらいに」
ふふっと笑って、初音はストックに入ってしまった。
「お礼参りというのは」
空になった菓子箱を脇によけて、美園明美は化粧直しを始めた。食堂の真ん中で、男を目の前にして、恥ずかしいともなんとも思わないところが、現代っ子だなと健二は思う。
「あれですかね。なんか仕返しをしたいんですかね。それとも願い事がかなったからお礼を言いたいのかどちらかですよね」
まあ、どっちでもいいけど、あの男は嫌いだ、と美園明美は眉をひそめた。
「ずいぶんと嫌っているね、悪そうな人じゃなかったけど」
「まず第一に、靴が汚かったです。どんなにスーツがかっこよかろうと、靴まで神経使っていない男はダメです。第二に、相手方の職場で遠慮なさすぎ。周りに気を配れないのがバレバレです。第三、自分のこと覚えているのが当然っつー神経が信じられない! 第四、なーにが電話してくれ、まっているから、だ! キザ男!!」
「君はあれか、店長のお母さんか」
呆れたように、実際呆れ果てて、健二は目の前の後輩を見やる。
「あたしはただ、店長に幸せになってもらいたいだけです」
美園はカチャカチャとメイク道具を終いながら、再びしみじみと言った。
「すごく強そうに見える人に限って、すごく弱かったりするじゃないですか。しかも店長って絶対に弱み見せないタイプでしょう? いつかバキっと折れちゃいそう」
「どうかな」
健二は日本橋店に配属されてから、初音の背中を見続けていた。そんなに脆い人だとは思わない。
「あの時もなーにも無かったような顔していたしな」
柏木マネとのいざこざも、すべて後から知った。たくさんの尾ひれをつけた噂で。
初音自身は何も言わなかったし、健二も聞かなかった。
学校の仲良しグループとは違うのだ、あれやこれやを聞きたてて何になるというのだろう。
「そろそろ時間だ」
休憩終了、五分前。椅子をたって売り場へ戻る。
隣の美園明美から、化粧品独特の甘ったるい匂いがした。
****
――電話してくれ、待っているから。
そういって渡された紙切れを、初音は駅のホームでぼんやりと見ている。
森田譲司。小さいころ、しょっちゅういじめられた。怖くて怖くて、学校へ行きたくないとただをこねたこともある。
だいたい、譲司たちが狙ってくるのは下校時間で、いつも初音は必死に逃げた。
彼は覚えているんだろうか、あたしを追いかけて髪をぐしゃぐしゃにしたり、スカートをめくったりしたことを。
彼は知っているんだろうか、それがどれだけ恐ろしかったことを。
そこまで考えて、初音はふと気がついた。譲司は暴力を振るったことは無かった。
たまに調子に乗った子分が初音を殴ったり叩いたりすると、えらく怒った……ような気がする。
まあ、いいや。
かばってくれた弟もついでに思い出しながら、初音は紙切れを切り裂いた。
譲司に電話する気はまったく無い。昔のことを恨み辛み言うことも、彼が今何の仕事をしているかなども興味が無い。
どうでもいい。
白い紙の破片が、はらはらと無機質なゴミ箱へと消えていくのを見届けて、初音はきびすを返した。
駅を出て、ヒールを鳴らしながら、自宅への道をたどる。
カツカツカツと小気味よいこの音が、初音は好きだった。
大人であることを認識させてくれる。
家では直隆が待っている。
そう思うと自然に笑みがこぼれる。
誰かが家で自分を待っていてくれること。
「いってきます」「ただいま」といえること。
それは初音にとって安らぎだ。
直隆は彼氏ではない。友人でもない。夫でもなければ兄でも弟でもない。
それでも初音の中では特別な存在になってしまった。
今、直隆を初音の元から取り上げようとする輩がいれば、自分は全力で抵抗するだろう。
例え本人の為だとしても。
林田兄に言った言葉は嘘偽りではない。
「あたしの唯一の」
癒しなんです。直隆がいなくなったら心のバランスが崩れてしまうんです。
いつかは元の時代に戻ってしまうかもしれない。
ずっと一緒にいることはできないかもしれない。
だから、せめてそれまで二人でいさせてください。神さま。