当人無自覚
冥土服!?
冥土服といったか、この男は。
「死装束をわしに着せたのか!」
怒りのまま怒鳴っても、初音と林田博(おおよそ貧弱な男だった。収まりの悪そうなもさもさ頭に、目が異様にでかい)は二人でこそこそと話しているだけだ。
「ちょんまげに冥土服も似合いますなあ」
「出来心なんですけど、気に入ってますの」
「どこで買ったんですか?」
「夜なべで作りました」
「わしの話を聞け!」
二人は同時に直隆を見ると、にっこりと不気味な顔で笑う。
「ええもん着せてもろとるなあ。その服はな、この時代の戦闘服やで。それも超一級の」
「そうそう。このあたしがチビの為を思って作ったんだから。感謝しなさい」
「そう……なのか?」
その割には股のあたりがスウスウするが。
にしても、この部屋は汚すぎる。
初音の部屋も大概散らかっているが(「女の部屋は宇宙なの」と意味不明な言い訳をされた)、それ以上にひどい。
この台の隅にある縮れた毛は、どうみても毛髪ではなさそうだ。
貧弱男はいそいそしながら、初音の家にあるような白い箱(かなり小さかったが)を開けた。
「すんません、ビールしかないけど飲みます?」
びーる!
直隆の好物だった。
「もらおう。えびすであれば申し分ないが、はっぽうしゅでもよいぞ」
「……木村さん、あなた、どういう教育されてるんです?」
呆れたような博の声に、初音は顔を染めた。
「すみません、給料日に奮発したら、味、しめちゃったみたいで」
小人さながらの人間、しかも戦国時代からタイムスリップ。あまりにインパクトありすぎて、博の脳みそはつるりとその事実を飲み込んだ。多分、ちょんまげにメイド服という奇想天外な格好が全てを納得させたのかもしれない。
梅木が知ったら、諸手を上げて喜びそうだな。
同じ研究室に所属する後輩が狂喜乱舞する姿が目に浮かぶ。
それでなくともどこぞに売れば、高い値がつくだろう。
だが初音はきっぱりと言い切った。
「この子はあたしの家に来たんです。だからあたしのものです」
四本目の発泡酒のブルドックを開けながら、ろれつの怪しい舌で。
「けど、おれが引き取った方が、はよわかるかも知れんじゃないですか」
「嫌」
「嫌て……。お前はどうやねんな」
「お主についておっても確信は無い」
お猪口のビールを飲みきった直隆は、それをずいと初音に押しやった。阿吽の呼吸で、初音がお代わりをついでやる。
「で、おれにお前のことを調べろというんかい。都合良すぎるやろ」
「あたしはね、林田さん」
とろんとした目が色っぽいな。襲ったら強姦になるんだろうか。ちらりとわいた思いを慌てて散らす。
「直隆が悲しい目に会うのが嫌なんです。自分の預かり知らない所で、色んな変な人にいじくり回されて、もてあそばれて、見世物にされて、プライドを散々傷つけてしまうような思いをさせたくないんです。それにあたしの唯一の……」
一気にまくしたて、そのまま横にぶっ倒れた。
「うわあっ! ええっ! ちょっとっ!?」
「寝ているだけだ」
仰天する博に、直隆が冷静な声を出した。
「五本飲むと、ひっくり返って寝入ってしまう。で、次の日「やだー!どうしよう、また化粧したまま寝ちゃったー!」と大騒ぎする女だ」
「あ……。さいですか」
初音は幸せそうな顔をして、クウクウと寝息を立てている。
この部屋に女がいるなんて何年ぶりのことだろうか。
数えようとして、止めた。虚しいだけだ、と博は苦笑する。
「おれも暇じゃないんやけどなー……」
論文の提出日は迫っている。本当はのんびりビールなぞ飲んでいる場合じゃないのに。
「無理を申しておることは重々承知しておる」
「それが人にものを頼む態度かいな」
それでも、頼られるのは嬉しいことだった。
酒というものは、心を吐露するには打ってつけのものであるらしい。
博は自分でも気付かないまま、直隆に今における違和感について切々と語っている。
物心ついたときから、博は勉強一色の日々だった。それが当たり前だと思っていたし、自分のやるべきことだと考えていた。同い年の友達は全てライバルで、外に出て遊んだ記憶もあまりない。
成長してゆく過程で、ほのかな恋心を抱いた相手たちには、好意をよせられることは無かったし、逆に気持ち悪がられた。ちっぽけなプライドを守る為にも、勉強しかなかったのだ。
ところが、京都の国立大に受かって入学してから、世界は一転した。
灰色の日常から、バラ色の楽園へと。
親は狂喜乱舞し、息子を褒め称えた。
大学名を出せば、女の子たちは尊敬のまなざしで博を見た。
軟派なテニスサークルに入り、友人もできて、彼女もできた。
まさしく大学デビューだった。
夜の木屋町、新歓コンパ、徹夜の麻雀、青空の下のテニス、明け方まで飲んだ合コン、くだらない馬鹿話、居酒屋のアルバイト、初めてのセックス。
めくるめく日々はキラキラと輝き、あっという間に過ぎ去っていった。
周りのみんなは、社会という荒波へと飛びたっていったが、博は留年することを選んだ。
楽園を出たくは無かったのだ。
最初の違和感は、五年間付き合っていた彼女と別れたことだった。
先に社会人となった一つ下のその子は、仕事が大変でしんどい、とよく愚痴をこぼした。
「大丈夫。なんとかなるて」
だけども、彼女が求めていたのは、そんな軽い励ましではなかった。
結局、真摯に叱ってくれた同じ会社の先輩と恋に落ち、二股されたあげく振られてしまった。
新しい恋人はすぐにできた。が、同じことが三度起こった。
「イライラすんねん」
つきあった当初の憧れるような眼は、明らかに冷めきった軽蔑の色があった。
「なんで卒業して就職せえへんの。ずっと大学におるの。普通のことやろ。博みてるとイライラする」
ああ、そうか。
初めてそこで分かった。
彼女たちは、博自身を見ていたわけではない。名門大学卒の男が欲しかったのだ。大手に就職して、高い給料を持って帰る夫が。
その証拠に、三人とも「結婚」をよく口に出した。愛情の証だと思っていたのに。
親だってそうだ。
自慢できる息子が欲しかった。うちの子は京大にいっておりますの。
その自慢の息子は今だに親の脛をかじっている。母親は嘆き、弟を引き合いに出す。
「健二はちゃんと仕事をしているっちゅうのに、あんたはいつまでもフラフラフラフラと…」
かつての友人たちは社会の前線に出て、バリバリと働いている。結婚している奴もいれば、子供ができた奴もいる。
一般的な人生のレールを素直に歩き、一般的な幸せを満喫しているのだ。
「うちの課って人使い粗すぎやわ」
「通勤に二時間もかかっとんねん。片道やぞ」
彼らの愚痴は、とても楽しそうに自慢げに聞こえた。
そして博の生活を羨ましがり、昔の大学生活を懐かしがる。
おれは、今、ここで何をやっているんだろう。
人の役に立つことのない研究、かつての楽園にしがみついているだけの日々、足がすくんで進むことのできない未来。
「なあ、お前は……。なんや寝とるんかい」
直隆は空き缶に寄りかかって、俯いている。
辺りはすっかり暗くなって、時計の針は六時を指していた。
博は電気をつけると新しいビールを取りに、台所へと向かう。
****
夢を見た。
初音は横向きになって寝ている。
後ろにはなぜか等身大になった直隆が座っていた。
じっと自分を見ている。
初音は動けない。
と、直隆の手があがって、初音の肩にそっと触れた。ゆっくりと下がってゆく。
肩、脇、腰。
うずきが身体の芯を支配し始めた。声が漏れそうになる。
お願い。お願い、そのまま―――……。
「だぁっ!!」
がばりと起き上がると、呼吸が荒かった。
窓からは柔らかい日差しが差し込んでいて、呑気な小鳥の鳴き声がする。
直隆はチビのままで、胡坐をかいてじろりと初音を睨みつけ、博はちゃっかりベッドで寝ている。
「えっ……」
なに、今の夢。初音の顔がみるみる内に赤く染まっていった。
お願い、そのまま……。
そのまま、なにをしてほしかったんだ、あたしは!
欲求不満か!? 欲求不満だ、ええ、悪うござんしたね、かれこれ三年もやっていない。
だけど、なんで相手が直隆なんだーーーー!!(だーだーだー……←エコー)
パニックのあまり、挙動不審な行動(部屋の中を行ったり来たり)をしていた初音だが、取りあえず片付けようと、散乱しているビール缶を手近のビニール袋にいれ始めた。
直隆に声をかける勇気がない。夢のせいで顔を見ることも出来ない。
本人は、ただ初音を睨みつけているだけである。
「いーですよ。置いといてください」
音に反応して博がのっそりと起きた。
「あっ!すみません、起しちゃった……」
「や、どうせ起きなあかん時間なんで」
今日は大学に行かなければならない。
「あの、じゃあ申しわけないですけどお暇しますね」
一通り部屋の中を掃除した初音は、深々と頭を下げた。
「お邪魔しました。本当にごめんなさい。酔っ払ったあげく、寝てしまって……。ご迷惑おかけしました」
「いえいえ」
つられて博も頭を下げる。
「さ、帰るよ」
直隆は不貞腐れたように、無言で初音のカバンに潜り込んだ。
「こら、チビ。ちゃんとお礼を言いな」
「あの、木村さん」
玄関先で靴を履いている初音が顔を上げた。
「あの件ですが、お受けします。ただ、時間がかかることは…」
「本当ですか?」
ぱっと明るくなった顔に、博はちょっと戸惑った。
罪悪感がチクチクする。
昨夜、酔いに任せて、寝ている初音に手を出そうとしたのだ。
肩から脇へ、腰へとゆっくり這って行った手は、ひやりとした冷気を感じて止まった。
振り向くと寝ているはずの直隆が、剣を構えて博を睨みつけている。
腰を落とし、今にも飛びかからんばかりの体勢で。
ちょんまげにメイド服の滑稽さすら吹き飛ぶような威圧感だった。
「なんや。ナイト気取りか」
冷静な声を出したはずが、上ずった。
「内藤などではない。わしの名は松本じゃ」
「据え膳食わぬは武士の恥ってゆうやろ。それにそんな体で何ができんねん」
「その女に手を出すな」
ぴたりと視線を博に合わせたまま、身長20cmの男は低い声で言った。
「こんな体でも、お主の首をかっ切ることはできる」
やってみろや、とは言えなかった。すざましい殺意に気おされて。
「あ……アホらし」
捨て台詞のような一言を残して、博はベッドに潜り込んだのだった。
何度も礼を言いながら、初音が帰った後、博は玄関でガリガリと頭を掻いた。
「あいつら」
――直隆が悲しい目に会うのは嫌なんです。
――その女に手を出すな。
「惚れあっとるんちゃうか」
本人たちは気が付かないまま。
声は茶色のドアに跳ね返って消えた。
****
京都巡りする体力もなく、初音はまっすぐ京都駅へと向かった。
直隆は一言も話さない。初音も夢のことがあってどうも気まずい。
無言のまま帰宅し、カバンから飛び出た直隆はやっと口を開いた。
「ここに座れ」
「えー?」
初音はとにかくシャワーを浴びて、ゆっくり寝たい。
「いいから座れ」
なんなの、もう。文句を言いながらも、コタツの前に正座した初音に、直隆は説教を開始した。
女が一人身で男の家に行くとは何事か。しかも酒を飲み、挙句の果てに爆睡する。無防備もいい所ではないか、もっと女の慎みをわきまえよ。云々《うんぬん》。
「そうは言うけれどさぁ……。人目にあんたを見せるわけにはいかないし、ビール飲みたいって言ったのはチビだし、そりゃ飲みすぎて寝ちゃったのはあたしが悪いけど……」
「チビ言うな。わしが止めなんだら、お主はあの男に手篭めにされていたのだぞ」
「手篭め?」
身を乗り出した初音に驚いたように、直隆が身を引いた。
「良かったー。あたし、まだ女の魅力あるんだー……」
「馬鹿!問題はそうではなくて……!」
この女の思考回路が知りたい。青白吐息でそう思った。
博という男を、直隆は快く思っていない。彼の語った心情は、ちゃんちゃら甘いものだった。
直隆が生きていた時代の男たちは、守るべきものがあった。それが主であれ、家であれ、己の美意識であれ。女はもっと壮絶だ。意志など関係なく利権により嫁がされる。
ここは違う。人生に置いて膨大な選択肢がある。初音はその選択に責任を持っているように見えるが、あの男はただ逃げているだけではないか。何にかは分からないが。
しかも自分の目の前で、初音の体に触った。目的は明らかだった。
それ以上、手が進んだら本気で殺す気だったのだ。
「じゃあ、チビが守ってくれたんだねー」
「ち……違う、わしは……うぐッ」
掴まれて、そのまま初音の胸の谷間に埋もれた直隆は悲鳴を上げた。
「ありがとう。お礼にセーラー服を作ってあげる」
「―――!」
せーらーふくなるものも戦闘服なのだろうか。
息も出来ず、遠ざかる意識の中で、ふと思う。
そしてまた、股がスウスウするものなのだろうか。