阿久津さんと私
23時過ぎの歌舞伎町は酔っ払いとコンカフェの客引きとトー横キッズとその他もろもろがごった返していて、平たく言うと治安が死んでいて、新宿駅までが遠く感じる。かと言ってあの赤いゲートを抜けても静寂が訪れるわけもない。
中番の退勤時間にはサブナードは使えないから、早く帰りたい気持ちだけを腹に抱えて、できるかぎりの速足で絶え間ない人波を突っ切り、赤信号で立ち止まる。
「最近、実話系怪談っていうのにハマってて」
隣に立っていた阿久津さんが急に話しかけてきた。
阿久津さんは私と同じく歌舞伎町のラブホでフロントをしていて、モニターをチェックしたり、病院の受付みたいな手元しか見えないカウンターでお客さんに鍵を渡したり、人が足りない時はルーム清掃の手伝いをしている。年はアラサーと言っていたので私より少なくとも5歳は上だ。
「Kindle Unlimitedで読めるし、いっこいっこが短いから息抜きとか電車の中で読むのにちょうどいいんだよね。あれ、Twitterで流れてくる漫画みたいな」
「そうなんですね」
阿久津さんは漫画を描いているという。どんなものを描いているかは知らないが、バイトをしているぐらいだからきっとそこまでは売れていないんだろう。ただ、暇な時に文庫サイズのノートに何か書いている。高校の時にああいうのいたな、と思う。
信号が変わる。シフトと帰り道が同じだからなんとなく一緒に帰っているが、特に仲がいいわけではない。連絡先のひとつも交換していないし、暇なときに私はスマホをいじっているし阿久津さんは前述のとおり何かを書いているから仕事中の雑談すら滅多にない。私から阿久津さんに話すこともないし、向こうも現役大学生と共通した話題もないだろう。
だから、話しかけられたことに少し驚いた。でも阿久津さんのことは好きではないけど嫌いでもないから、相槌ぐらいは打ってあげよう。それぐらいの温度感でいた。
「あれさ、怖いんだけど怖くないんだよね。なんだろう、人が死んだりするんだけど、ホラーと違って原因がわからないからかな。違うな、原因はわかるんだ」
天気の話しかしなかったから知らなかったけど、阿久津さんは喋るのがめちゃくちゃ下手くそだった。こんなんで漫画が描けるんだろうか。いや、逆に口下手だから漫画が描けるんだろうか。
「はぁ」
「うーん、なんて言ったらいいんだろう。呪い、とか祟り、みたいなのが原因で人が死んだり酷い目には遭うんだけど。その原因がはっきりとわからない場合が多いんだよね」
信号が青に変わる。信号を超えた先、磯丸水産のあたりが歌舞伎町の飛び地のように酔っ払いと客引きでごった返すのが嫌だ。
「だから逆に怖くないのかも。何もわからないから怖がるポイントすらないの」
阿久津さんはまだ話している。
「何冊か読んで、作者のインタビューも読んで気づいたんだ。ああ、私もこういう話持ってるって」
「応募とかするんですか?」
「うーん、なんかそういうのってイベントのお客さんとかから聞き出すんだって。私ほら、喋るのこんなんだし」
自覚はあるらしい。磯丸水産を抜けて、カラオケ館を右に曲がる。メトロの改札まであと少しだ。今日は座れるといいけど、金曜日だからな……。
「だから、笹島さんに話すのが精一杯だと思うし、笹島さんが小説にしてくれて全然いいし」
「なっ……なんでっ……!?」
なぜ私がせっせと小説を書いていることを知っている!?
親にも隠れて書いてるレベルなのに!?
「いや、暇な時にスマホいじってるでしょ。指の動きでなんとなく。SNSでもメールでもソシャゲでもないやつだったから」
怪談を聞かされる前にこっちの肝が冷えたし、新宿駅に着いてしまった。ヨドバシカメラの前の階段を降りる。私は丸ノ内線で、阿久津さんは確かJRだ。
「お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様」
次にシフトかぶるのが楽しみなような怖いような。複雑な心境のまま今度はひとりで通路を歩き、改札を通り過ぎた。




