懐かしい夢
温かい家庭とはどんなものを指すのだろう。
本に書かれたその文字を指でそっとなぞりながら考える。
私にとって、この家はいつも冷たい風が吹いている。
それは例えば、食事の時の沈黙。
私と目が合った瞬間に逸らされる父親の視線。
そして、私を存在しないものとして扱う母親の溜息。
そんな傍らで私と同じ顔の“彼女”だけは私とは違った。
「ふふふ、すごいわね。あなたは自慢の娘よ。ねえ?」
「ああ、そうだな」
両親の愛しげな眼差しと温かい言葉。
優しい声、柔らかい表情。
私には何一つむけられないもの。
私と同じ顔の“彼女”は嬉しそうに微笑む。
ーーーーーああ、これのことかな?
私はなるほど、と納得して食事を口に運ぶ。
「どうして君だけあんな扱いをうけるんだ?」
ある日、彼は私に聞いてきた。
私はきょとんとした。
何故なら私には与えられないのが当たり前だったから。
それがどうしてかなんて考えたことがなかった。
彼は窓枠に腰かけて本で見た宝石のように綺麗な深紅の瞳に困った顔の私を映した。
「年も顔も同じなのに不思議だと思わない?」
「…でも、お姉ちゃんは明るくて、優しくて、優秀だよ。私とは全然違う」
そう言いながら、私は彼から目を逸らして膝に乗せた王冠を被った白いウサギのぬいぐるみを抱きしめる。
彼は私の言葉をふーんと聞きながら、真っ直ぐ私を面白そうに見つめて微笑みを崩さない。
話しながら、私は双子の姉を思い出す。
私と全く同じ形の目、髪色、顔。
それでも、私とは決定的に違うのは彼女は“愛される側”の人間ということだ。
世間は彼女を“完璧な優等生”と呼び、両親は彼女を“自慢の娘”と慈しむ。
どんなに努力しても姉には敵わない。
…どんなに努力したところで私の頑張りなんて誰も興味もない。
「俺は君の方が好きだよ」
しょんぼりしている私に彼はそう言った。
私はぎょっとして彼を見る。
彼はいつもの微笑みを浮かべて私を見ている。
でも、からかって言ったわけでもふざけて言ったわけでもなさそうだ。
…どうしよう。こんなときはなんて返せば良いのだろうか。
私は耳まで熱くなるのを感じながら、言葉に困っていると彼は私の額に触れた。
「真っ赤だな。熱でもあるのか?」
「な、ないよ…!」
私は彼の手を払った。
彼に触れられたところが熱い。
まだ心臓がどきどきする。
「いきなり真っ赤になったから心配したのさ。…興味をもった人間なんて君だけしかいなかったから」
私はその言葉で浮かれた頭から現実に戻される。
彼はたまたま何故かこんな私に興味をもって、だから優しくしてくれる。
彼にとって私は珍獣みたいなもの。
つまり興味本位。
ただの気まぐれ。
いつか飽きたら私のもとに現れもしなくなるのだろう。
好きだなんて紛らわしい。
彼に期待なんかしてはいけないのに。
愚かな自分を恥じながら、それでも彼が気になって仕方ない自分がいる。
「…私を好きなんて変わってる。普通は私なんかよりお姉ちゃんのことを好きになるはずだから」
「俺にとってはそっちの方が理解できない。人間って見る目ないんだな」
彼はまた照れて困っている私の顔をじっと見つめる。
興味。
両親さえ私に与えないものを彼は惜しみなく私にぶつけてくる。
私は慣れないせいか、それがなんだかくすぐったい。
だから、きっと彼へのこの気持ちは勘違いだ。
…そうじゃないと困る。
自分にしか見えない男性を好きだなんて、もっと変な子になってしまうから。
「あなたといると私、どんどん変な子になるよ…」
「それは良い。君を独占できるなんて気分が良い」
「またそんなこと言って…」
私が赤くなって困っているのが楽しいのか彼は私の反応を見て笑う。
そして、愛しそうに私の髪にそっと口付ける。
もし、愛情というものを向けられるなら、こんな感じなのだろうか。
両親にさえ愛される価値のない私はなんだか申し訳なくなってくる。
例え一時の感情でも、その熱量を与える彼に私は何も返せるものはないから。
そんな時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「アイリス?」
透き通った綺麗な声。
この部屋を尋ねてくるのは、彼を除けばただ一人しかいない。
彼は少し不満そうな顔になり、すっと姿を消した。
私は彼の姿が消えたことにもの寂しさを感じながら、扉越しの声に応える。
この凍りついた家の中で唯一、私に温かさを分け与えてくれる人。
「アイリス、大丈夫?」
扉を開けると心配した表情の姉がいた。
もしかして、彼と話していた声が廊下にまで聞こえていたのだろうか。
私は誤魔化すように微笑む。
「うん。大丈夫だよ」
「そう?何かあれば言ってね。できることは力になるから」
彼女は私にも優しい。
何度も父や母に私のことを進言しに行ってくれた。
彼女だけは家族の中で唯一私の味方だった。
大好きな私のお姉ちゃん。
私はウサギのぬいぐるみを抱きしめる。
「それ、大事にしているのね。嬉しいわ」
そう。
このぬいぐるみも姉からのプレゼント。
ある誕生日、姉は大きいぬいぐるみを父と母からもらった。
…私には何もなかった。
そんなことはいつものことだから特に気にはならなかったが、そのふわふわと柔らかそうな抱きしめられる大きさの動物を模したそれに私は目が離せなかった。
両親さえ私がぬいぐるみに興味を示したのを気付いていなかったのに、姉はそんな私に気付いたらしい。
プレゼントにもらったぬいぐるみを裂いて、私とお揃いになるように作り直した。
初めてだから縫い目を失敗したのと彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
そして、私には特別だからといって王冠までつけてくれたのだ。
むしろ、冷たいこの家は彼女の優しさを引き立てるための額縁に過ぎないのかもしれない。
私が今日も生きられるのは、この冷え切った家の中で彼女が私に注いでくれる甘い優しさのおかげだった。
「名前も決めたんだ。お姉ちゃんのはヴィクターでしょう?だからこの子はーーーーー」
はっと目が覚めた。
なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
夢の内容は思い出せない。
ただどんよりと重たい気持ちと涙が出そうな程切ない気持ち。
何の夢だったのだろう。
思い出したいのに…今の心情を考えるとなんだか怖い。
無性にヴィンセントの紅茶が恋しい。
私はベッドから起き上がる。
その様子を気配を消した死神だけは窓枠に座って眺めていた。




