いつもの部屋で
好きになってはいけない人を好きになったの。
彼は私にとって特別だった。
こんな無価値な私にも分け隔てなく優しくしてくれる特別な人。
だから、恋をした。
身の程知らずの恋を。
【浮雲な私は福幸へと至る】
目を覚ますと、そこはいつもの部屋だった。
上体を起こし、窓の外を見ると色とりどりの花々が咲き乱れ、小鳥たちが祝福のように歌っている。
ふあっと欠伸をすれば、いつもの声がした。
「おはようございます、私の主…アイリス様」
控えていた“彼”を見る。
さらりと整えられたミディアムヘアの銀髪。
深く澄んだサファイアブルーの瞳と整った顔立ちはとても美しい。
白を基調に金色の刺繍が施された高貴な装束の肩には羽のような装飾がある。
彼が欠伸のせいでたまった涙を拭おうと私の目元に伸ばしてきた手は白の手袋で隠されている。
その手袋の縫い目はどこか違和感を感じさせるものの明確にその理由が分からないため、今日も違和感だけを残して思考から消えていく。
「…まだ少し眠そうですね。悪い夢は見ませんでしたか? 今すぐいつもの紅茶をご準備致します」
「…ええ、いつもありがとう。ヴィン」
申し訳なくなりながらお礼を言えば、彼は甘く蕩けるような微笑みを浮かべる。
彼はヴィンセント。
私のことを主と呼び、私の世話をすることに喜びを感じているらしい。
最初は誰かにお世話をされることに慣れずに大変戸惑ったものだが、自分のことを自分ですると彼がこの世の終わりのような顔をするのが心苦しくて、今では彼に頼りきりになっている気がする。
申し訳なさは消えないが、彼のこの笑顔を見るとほっとする。
「…ねえ、いつまでベッドにいるんだ?俺はずっと待ってるんだけど?」
その声にはっとして今度はもう一人の“彼”に目を向けた。
私が自分に気付いたことが分かったのか、彼は私のベッドに許可なくどかっと腰を下ろす。
「ねえ、お姫様。王子様の淹れた温い茶より俺が持ってきたこの果物の方が美味いぜ? 食べたら頭の中のモヤモヤなんて全部吹っ飛んで…俺のことしか考えられなくなるかもな?」
“彼”は私の顎を強引に持ち上げ、獲物を定めるようなルビー色の瞳で覗き込んでくる。
私は彼の軽口を流すようにため息をついて言った。
「ゼノ…それは安全な食べ物なの?」
「さあ、どうだろうな?」
ゼノと呼ばれた彼はにやりと笑みを浮かべた。
無造作にセットされた闇に溶け込むような漆黒の髪。
燃えるような真紅の瞳は暗闇で発光するかのようにぎらつく。
常に不敵な笑みを浮かべており、整った顔立ちではあるもののどこか人間らしさを感じさせない、凍りつくような冷たさを感じる。
黒を基調としたボロボロになった裾のロングコートを羽織り、窮屈な着こなしを嫌っているのか、シャツのボタンはいくつか外され、どことなく色気を漂わせている。
ヴィンセントとは対照的に手には常に黒革の手袋を嵌めている。
「…ゼノ様。貴方の我儘で私の主の平穏を乱さないで頂いてもよろしいでしょうか?貴方の言葉はすべてアイリス様には毒でしょうから」
「はっ、平穏だって? お前がやっているのは『飼育』だろう、王子様。子猫ちゃん。君のために俺がこいつのこと、消してやろうか?」
ゼノが私の肩を抱きながら、ヴィンセントに悪態をつく。
いつもスマートなヴィンセントには珍しく感情をあらわにしている。
二人は表向きは笑っている。
だが、目は笑っていない。
「…やめなさい、二人とも」
私の一声で二人はぴたりと止まる。
お互いに腑に落ちない様子ではあるが、とりあえずは水に流すようだ。
そんな中、窓からひらりと蝶が入ってきた。
光り輝く黄金の蝶。
「げっ…」
ゼノは苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼はこの綺麗な蝶が嫌いなようだ。
私が蝶から目を離せずにいると、すっとヴィンセントが蝶を捕まえて窓の外へと逃がした。
また外へと羽ばたいていく蝶からまだ目を離せずにいると、ヴィンセントは窓とカーテンをしめた。
「さあ、そろそろ朝食の時間にいたしましょう」
「…そうだな」
さっきまでの不穏な空気はどこへやら、ヴィンセントとゼノは打ち合わせたかのように私の手を引く。
私は不思議に思って尋ねる。
「…どうかしたの?」
すると、二人は息ぴったりに答えた。
「気のせいだよ」
「気のせいですよ」




