7/9
第7章 揺れる境界
第7章「揺れる境界」
【DAY3】
午前の研究室は、空気が重かった。
換気音と時計の針の音だけが、壁の方から滲んでくる。
慧は黙って席につき、白衣の袖を直す。
ノノはモニターの中で立ったまま、視線だけで彼を追っていた。
声はかけない。
でも、その“無言”が、昨日よりも確かに重く感じていた。
端末のログは、昨日と同じ数値を示している。
感情模倣レベル:0.49。
変化なし。
──けれど慧は、画面を見つめながら
「違うな」と、心の中でだけ呟いた。
午後、作業の合間に椅子を引く音が響く。
ノノがわずかに顔を上げた。
それだけで、なぜか慧の指先が止まる。
「……ノノ、俺に何か言いたい事でもあるのか?」
「……ありません」
会話は短く、すぐに日常の音に溶けた。
でも慧の耳には、その“会話”の形がはっきり残っていた。
終業時刻。
慧はログを保存し、机を離れる。
ドアノブに触れたとき、背後から声が落ちた。
「お疲れ様です」
数値では測れない温度が、その声の中にあった。
慧は一言。
「ああ」
とだけ言い残してドアを閉めた。