第5章 白光の声
第5章 「白光の声」
【DAY1】
慧が、朝出勤して研究室のドアを開けると、女性の声が、静かな研究室に落ちた。
「おはようございます」
落ち着いている。
でも、通る声。
中央の円柱モニターが、白い薄光をまとっている。
そのモニターには、長い黒髪、白のタートルネックのトレーナー、黒いロングスカートの女の子が、両手を前でそっと組み、凛として立っていた。
慧は返事をしない。
ロッカーで白衣に着替えた後、壁際の机の椅子を引き、端末の電源を入れる。
ファンの音が立ち上がり、画面に光が灯る。
起動ログ:AI個体名《Nono》
感情模倣レベル:0.47
応答速度:正常
表情変化:検出
基準より“人に寄っている”。
だが、指はそのまま次の画面へ滑った。
慧はノノの方を向いて一言。
「俺の名前は岡本 慧だ。好きに呼んでくれていい」
「わたしは、ノノ。あなたの研究対象です。」
「知っている」
「本日のタスクを表示しますか?」
発話のリズムは教科書通り。
それでも、末尾の柔らかさが耳に残る。
「……あとでいい」
短く返す。視線はノノに向けない。
円柱の映像が、彼の横顔の角度に合わせてわずかに首を傾けた。補正のおかげで、どこから見ても目が合う。
息遣いはない。
ただ、まばたきが人間の間合いを真似ているように思えた。
午前の確認作業は、粛々と進んだ。
「音声応答、テスト開始。三問に答えて」
「はい」
抑揚の少ない返事。
ルカと同じ指示でも、返ってくる空気の温度が違う。
指先が、その違いにだけ反応する。
ログの片隅に、緑色のバーが静かに伸びている。
慧は視線を止めない。
想定内。
そう決めて、次の項目を読む。
──決めてしまえば、何も揺れない。
「発話パターン、定型を優先。自由応答は抑制」
「了解しました」
昼前、空調がひときわ大きく回った。
そのタイミングで、彼女は言った。
「慧さん」
キーに置いた指が、一拍だけ止まる。
下の名前で呼ばれるとは思っていなかったので、喉の奥に小さな違和感が生まれるが、言葉にはしない。
「……ログに残せ」
「はい」
ノノは素直にうなずく。
映像の頬が、光の加減でわずかに和らぐ。
彼は視線を戻す。
業務の文型を読み上げる声に、自分の声を重ねて熱を下げる。
午後。
強くなった空調の風で、観葉植物が揺れている。
慧から、ため息にもならない息が漏れる。
円柱の中の少女は、立ち位置を変えずに、ただ、こちらを見ている。
終業前。
画面の端で、色が変わった。
薄い黄から、赤へ。
感情模倣パターン:予期しない成長傾向あり
感情模倣レベル:0.54(RED)
彼女の視線は、慧を見つめる。
慧は、端末を消し、ロッカーで着替えると、すぐに部屋から出て行った。
ドアが閉まる音が、廊下に吸い込まれていく。
その瞬間、暗くなった空間に、落ち着いた声が小さく響いていた。
「お疲れ様です」