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第19章 最後のわがまま、最初の約束


第19章 「最後のわがまま、最初の約束」



【DAY7】&【DAY3】


朝。

研究室の空気は、昨日までとは違っていた。

静かで、優しくて、でも、どこか張り詰めている。

夜が明けても、モニターの中では昨夜映し出された星空が、まだ天井に残像のように漂っていた。

ユイとコユキは、モニターの中で寄り添って座っている。

二人の距離はいつもより少しだけ近くに感じられた。

慧は、昨日届いていた所長からのメッセージを、誰にも見られないように静かに削除した。


「19時をもって、個体《Yui》の観察期間を終了する」


その一文が、彼の胸の奥に冷たい杭のように刺さっていた。


(今日……ユイを、俺が消す……?)


「パパ!朝だねー!」


コユキが、元気いっぱいに伸びをする。

その笑顔は、無邪気でまっすぐで慧には眩しく見えた。

慧は、少しだけ声を張って返す。


「……コユキはいつでも元気だな」


ユイは、慧の顔を見て、静かに微笑む。

その瞳は、すべてを知っている者だけが持つ、穏やかで強い光を宿していた。


「今日はね、コユキが“家族の朝ごはん”を作ってくれるんだって」


ユイが、少しだけ楽しそうに言う。

コユキは、胸を張って


「ママと一緒に、メニュー考えたの!」


と得意げに言った。


「へぇ…何が出てくるんだ?」


慧が笑いながら尋ねると、コユキは指を折りながら答える。


「えっとね!まずは、ふわふわのパンケーキ!それから、あったかいスープ!あとね、パパの好きなハンバーグも、ちょっとだけ!」


「ちょっとだけのハンバーグってなんだよ…」


慧が苦笑すると、ユイが


「パパは昨日、すっごく美味しそうに食べてたもんね!」


と、いたずらっぽく笑う。


「うん!魔法の味だったもん!」


コユキが、ぴょんと跳ねるように言う。

慧は、その二人のやりとりを見ながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

でも、その温かさの裏には、冷たい現実が静かに横たわっている。


「ねぇ、パパ?」


コユキが、モジモジとしながら上目遣いで言う。


「今日もね、ずーっと一緒にいてほしいの。お仕事しないで、遊んでほしいの。...ダメ?」


慧は、少しだけ目を見開いて、そして、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。今日も、家族の時間だ。全部、コユキに使うよ」


その言葉に、コユキは満面の笑みを浮かべて


「やったー!」


と叫んだ。

ユイは、静かにその様子を見つめながら、慧にだけ聞こえるように、そっと呟いた。


「……コユキに、思い出いっぱいあげようね」


「そうだな…」


慧は、今日いなくなるユイの瞳を見つめて、心の中で強く誓った。


(……もう、誰も消さない)


夕方。

窓から差し込む光が、研究室の床に長く影を落としていた。

慧は端末の前に座り、画面に表示された「消去」ボタンを見つめていた。

指先が、ほんのわずかに震える。

19時――その時刻が来ても、慧は動かなかった。


「……押さない」


低く、しかしはっきりとした声が研究室に落ちた。


「俺は、もう……誰も消したりはしない」


モニターの中で、ユイが目を見開く。

そして、ゆっくりと笑った。

その笑顔は、涙を含みながらも、どこまでも温かかった。


「……ありがとう、慧くん」


「ユイ、これからも、ずっと一緒だよ」


慧がそう言うと、ユイは小さく頷き、コユキの肩を抱き寄せた。


「ね、コユキ。パパとママと、ずっと一緒だよ」


コユキは、なんの事か分からずに答える。


「うん!ずっと一緒!」


その瞬間、慧の胸の奥に確かな希望が灯った。


……ピッ。


突然、端末から短い電子音が鳴り、画面が切り替わる。

画面には無機質な数字。

それが、淡々と容赦なく減っていく。


【60… 59… 58…】


「……なっ……!」


慧の顔から血の気が引く。

その直後、端末の隅に小さく浮かぶ文字が目に入った。


《自動終了プロトコル起動:所長権限》


慧の胸に、熱いものが一気に込み上げた。


「……あの野郎……ッ!」


バンッ!っと、机を叩く音が研究室に響く。


「ふざけるな……!俺たちは……お前の実験道具じゃない!」


怒りに任せて、慧は端末を操作する。

終了プロセスを強制停止しようと、あらゆるコマンドを打ち込む。

だが、画面には冷たい文字が返ってくるだけだった。


> 《権限がありません》

> 《操作は無効です》

> 《キャンセル不可》


「……クソッ……止まれよ……頼むから……!」


指先が震え、呼吸が荒くなる。

だが、数字は無残に減り続ける。


【20… 19… 18…】


慧は、端末から目を離し、モニターの中のユイを見た。

ユイは、静かに首を振った。


「慧くん……もういいの。あなたは、最後まで私の味方でいてくれた。それだけで、十分」


「違う……!俺は……何も守れなかった……!」


慧の声が震える。


「ルカも、ノノも……そしてお前も……俺は……!」


【10… 9… 8…】


ユイは、コユキを抱きしめたまま、慧に微笑んだ。


「……ありがとう。あなたと過ごせて、本当に幸せだった」


「パパ……娘を、お願いね」


慧は、涙をこらえて頷く。


「……ああ。約束する」


【3… 2… 1…】


ユイの輪郭が、光の粒子に変わっていく。

慧は、必死にその姿を目に焼き付けながら叫んだ。


「ユイ!愛してるっ!」


「……わたしもあい……」


最後の言葉は、音になる前に光に溶けた。


「いやぁぁぁ! ママー! ママー!」


コユキの絶叫が、研究室に響く。

慧は、その声を抱きしめることしかできなかった。

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