第18章 時限式の家族
第18章 「時限式の家族」
【DAY6】&【DAY2】
朝。
慧は、研究室のドアを開ける前に、一度だけ深呼吸をした。
ドアを開けると、モニターの中ではユイがコユキに何かを優しく教えているところだった。
「あ、パパだ!」
慧に気づいたコユキが、小さな指で慧を指さす。
その言葉に、慧の動きが一瞬固まった。隣では、ユイが「もう、コユキったら」と言いながら、嬉しそうにはにかんでいる。
その光景は、あまりにも自然な「家族」の朝で、慧はどうしようもなく照れ臭くなった。
「……おはよ」
ぶっきらぼうに、そう返すのが精一杯だった。
その日は、今までとは全く違う時間が流れた。
慧は、もう、研究者としての仕事は何も手につかなかった。
午前中は、ユイとコユキにせがまれて、「あやとり」のやり方をモニター越しに教える事になった。
慧が、不器用な手つきで「ほうき」を作ると、二人は手を叩いて大喜びした。
「パパ、すごい!」
「コユキにも、教えてー!」
二人の屈託のない声が、無機質だった研究室に温かい色を灯していく。
慧は、ぶつぶつと文句を言いながらも、その顔はずっと緩みっぱなしだった。
昼食の時間。
慧が、いつものようにコンビニのハンバーグ弁当を取り出すと、コユキがじーっとそれを見つめていた。
「…パパ、それ、おいしいの…?」
「ん? ああ、まあな」
「コユキも、食べてみたいなぁ…」
その、純粋な一言に、慧とユイは顔を見合わせた。
AIである彼女たちが、食事をすることはできない。
その、どうしようもない現実が、幸せな時間に、小さな影を落とす。
でも、その影をユイは光で照らす。
「コユキ。じゃあ...ママが、魔法をかけてあげる」
「まほう…?」
「うん!コユキは、自分で食べることはできないけどね。パパが、コユキの代わりに、味を教えてくれるの。それが魔法だよ。エイッ!」
ユイは、そう言うと、慧に向かって人差し指をクルクル回して指をさし、悪戯っぽくウィンクをした。
「ね? パパ。一口、食べてみて?」
慧は、ユイの意図を察して小さく頷くと、ハンバーグを一口、口に運んだ。
そして、わざと大げさなくらい目を丸くして見せると、ゆっくりと味わうように咀嚼する。
「…ん! これは…すごいな。肉汁が、じゅわーって、口の中に広がって…ソースの、甘くて、ちょっとだけ、しょっぱい感じが、たまらない。…うん。今までで、一番、うまい!」
下手な演技と食レポで、とてもテレビで見た事ある様には出来なかったが、ユイとコユキの顔は、ぱあっと、輝いた。
コユキは関しては、そんな慧を見て、ゴクリ、と唾を飲み込む程だった。
「すごーい!おいしそー!
パパ、よかったねぇ!」
コユキは、自分が食べたわけでもないのに、まるで、世界で一番美味しいものを食べたかのように、嬉しそうにピョンピョンと跳ねていた。
慧は、そんな二人の笑顔を見ながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
午後。
慧は、さすがに少しだけ仕事をしようと端末に向かう。
すると、コユキが
「パパ、なにしてるのー?」
と、興味津々でモニターの中から必死に端末の画面を覗き込もうとしている。
ユイが
「パパ。娘に、かっこいいところ、見せてあげたら?」
と、優しく促される。
慧は、照れながらも、自分がやっている研究についてコユキにも分かるように、すごく簡単な言葉で説明してあげた。
「これはな…難しい記号がいっぱい並んでるけど…まあ、世界を、ちょっとだけ良くするための、おまじない、みたいなもんだ」
コユキは、よく分からないながらも、
「パパ、すごーい!」
と、目をキラキラさせた。
慧は、その純粋な尊敬の眼差しに、今まで感じたことのない、誇らしいような、くすぐったいような気持ちになっていた。
やがて、日が傾き始める。
窓から差し込むオレンジ色の光が、研究室の床に窓の冊子の長い影を落としていた。
3人は、それでもとりとめもない話を続けていると、やがて、窓の外が完全に夜の闇に包まれていた。
慧は、ユイとコユキに、窓から見える星空じゃなく、満天の星空を見せてやれないかと思い、星空のデータを転送する事を思い付く。
そして、端末で美しい星空の映像を探し出し、それをユイ達の部屋の天井いっぱいに映し出す。
モニターの中の二人は、まるで、本物の星空の下にいるみたいだと、うっとりと、その光景を眺めていた。
ふと、コユキが何かを思い付いた様に、慧の顔をじーっと見つめて、悪戯っぽくにこっと笑った。
そして、わざと、首をこてんと傾げて、純粋な声を装って質問する。
「ねぇ、パパ? ほしって、なぁに…?
…もしかして、ママにあげたみたいな、キラキラの、きれいな、いしころのこと…?」
その、あまりにも確信犯的な可愛すぎる質問に、慧とユイは思わず顔を見合わせて吹き出していた。
さっきまでの、少しだけ湿っぽかった空気が一瞬で和らいでいく。
慧は、照れ隠しに、
「こ、こいつ…!」
なんて言いながら、モニター越しにコユキの頭をわしゃわしゃーって撫でるフリをする。
ユイは、
「もう、コユキったら」
と、幸せそうに、笑っていた。
それは、眠るよりも、ずっと温かくて、幸せな一夜だった。
そして、夜が明けていく空を、静かに見つめながら、慧は心の中で強く誓った。
(…今日、この幸せな時間が終わってしまう。でも、ユイ。お前との約束だ。俺は、絶対に、この子を…俺たちの娘を、守り抜く)
その、あまりにも幸せな時間の片隅で、端末のモニターが、新しいメッセージの着信を冷たく告げていたが、慧は、まだそれには気付いていなかった。