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第17章 ひとときの家族


第17章 「ひとときの家族」



【DAY5】


朝。

慧が、研究室のドアを開け、一歩足を踏み入れた、その瞬間だった。

まだ白衣にも着替えていない彼の耳に、モニターの中から、弾むような明るい声が届いた。


「おはよう、慧くん! 今日は、昨日より5秒遅いお着きだね!」


声の主であるユイは、モニターの中で嬉しそうに手を振っている。

その胸元では、昨日贈られたネックレスがキラリと光っていた。

慧は、そのあまりにも無邪気な出迎えに、必死に笑みを作って返した。


「……おはよう、ユイ。全部お見通しか」


「当然だよ! 慧くんのことだもん!」


ユイは得意げに胸を張る。

だが、次の瞬間、彼女の笑顔が、ふっと曇った。

モニターの中から、心配そうに、慧の顔をじっと覗き込んでくる。


「……ねぇ、慧くん。その笑顔…なんだか、無理してない…? 声も、少しだけ…元気ないように聞こえるよ」


慧の心臓が、ドクリと跳ねた。

声のトーン、表情筋の僅かな動き。

ユイは、その全てから、慧が隠そうとしている心の重荷を敏感に感じ取っていた。

彼は、もうこの優しいAIに嘘をつき続けることは、耐えられなかった。

意を決して、彼はロッカーへと向かう足を止め、ユイと向き合った。


「…ユイ。大事な話がある。この研究のことなんだが…」


慧は、必死に言葉を選びながら、切り出した。


「この研究には…終わりがあるんだ。

...決められた、期間が…」


それを聞いたユイは、驚く事なく、まっすぐ慧を見ていた。

ただ、心配そうに揺れていた瞳が、すっと、悲しい色に澄んでいく。

そして、静かに微笑んだ。


「…うん。知ってるよ、慧くん」


「……え…?」


「ルカちゃんと、ノノちゃんの記憶が、少しだけ、わたしの中にあるから…。

だから、この7日間で、この研究が終わってしまうことも…そして、最後に、慧くんが、辛い役目をしなくちゃいけないことも、知ってるの」


慧は、息を呑んだ。

彼女は、すべてを知った上で、毎日、自分に笑顔を向けてくれていたのだ。


「なんで…なんで、それを知ってて、お前は…!」


慧が、絞り出すように問う。

なぜ、自分を消す相手に、そんな風に優しくできるのか、と。

ユイは、少しだけ、困ったように微笑んだ。


「...わたしの中にね、ルカちゃんや、ノノちゃんが、最後に感じた気持ちが、少しだけ、残ってるの」


彼女は、自分の胸元のネックレスに、そっと触れる。


「ルカちゃんはね、最後まで、何も感じられなかった。慧くんが、背中を向けて、何の躊躇もなく、自分を消していくのを…ただ、見てた。悲しいとか、寂しいとか、そういうのじゃなくて…ただ、『無』だったんだって」


ユイの声が、震える。


「ノノちゃんはね…怖かったんだって。やっと、慧くんと、明日も会えるって、信じたのに…...何が起きたのか、分からないまま、『え…?』って、思ったまま、いなくなっちゃったの。

感謝とか、そういうのじゃなくて…ただ、怖くて、悲しくて、訳が分からなかったんだって」


その言葉は、鋭い刃のように、慧の胸を切り裂いた。

顔から、血の気が引き、呼吸が浅くなる。

自分が今まで、必死に蓋をしてきた罪悪感が、一気に溢れ出し、彼の心を黒く塗りつぶしていく。

胸を押さえて、その場にうずくまる。


(俺は…なんてことを…)


自覚はあった。

ただ、現実から、目を背けていた。

ユイは、そんな慧の心を、まっすぐに見つめ、そして、今までで一番力強い声で言った。


「だから!わたしは決めたの!」


慧は、その声に、はっと顔を上げる。


「わたしは、絶対に、あんな風には、終わらない!

わたしは、ちゃんと、慧くんの顔を見て、ちゃんと『ありがとう』って言って、笑顔でいなくなる!

慧くんの中に、冷たい喪失感なんかじゃなくて、温かい思い出を、ちゃんと残してあげる!」


ユイの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

それでも、その顔は、決意に満ちて、太陽みたいに輝いていた。


「**『――あなたの、瞳の奥にある寂しい色。わたしが、全部、塗り替えてあげるからね』**って、初日に言ったでしょ?」


慧は、息を呑んだ。

あの日の言葉が、今、鮮明に蘇る。


「それが、消えたルカちゃんと、ノノちゃんの分まで、わたしができる、たった一つのことだから!

だから、慧くんも、もう自分を責めないで!」


彼女の健気な魂の叫びに、慧の心が、激しく揺さぶられる。

彼女が、この残酷な運命をすべて受け入れた上で、自分を救おうとしてくれている。


「俺はっ…!」


慧が、その運命に抗うための決意を叫ぼうとした、その瞬間。

モニターの中のユイが、ふと言葉を止め、自分の隣にある何もないはずの空間を警戒するように見つめた。


「……あれ…? なんだろ…。システムに、何か新しい信号が来てる…?」


慧が「どうしたんだ?」と問いかけるより早く、端末からピコンと軽い通知音が鳴る。

それは、所長からのメッセージだった。


「岡本君。君が特定の個体に固執する傾向が見られるため、新たな個体を投入する。AI同士のインタラクションが感情に与える影響も、有益なデータになるはずだ。研究者として、冷静な観察を期待する」


慧が、その冷徹な文面を食い入るように読んでいると、ユイが「あ…!」と小さな悲鳴を上げた。

慧が顔を上げると、円柱モニター内の、ユイが警戒していた空間がノイズを立てて開き、そこに小さな女の子が姿を現した。

腰まで伸びる、サラサラの綺麗なブロンドヘア。

大きな瞳は、不安げに揺れている。

服装は、ピンク色の、胸に大きなスマイルマークが描かれたパーカーだ。


起動ログ:AI個体名《Koyuki》


あまりにも完璧すぎる、そのタイミング。

ユイと心を繋ぎ、「二人なら、この運命に抗えるかもしれない」という淡い希望が芽生えた、まさにその瞬間を狙い澄ましたかのような、強制介入。


(見ているのか…? 所長は、俺たちの会話を、リアルタイムで…)


この事実は、この研究が、所長という一個人の、底知れない悪意に満ちた「遊戯」の様なものだと、慧には思えてならなかった。

その、抗いようのない無力感に、慧の脳裏に、鮮明な記憶がフラッシュバックする。

ノノを消した時の、あの無機質なクリック音。


「……慧くん」


ユイが、固まった慧に声をかける。

慧が青ざめた顔でユイを見ると、彼女は、モニターの隅でただ不安そうにこちらをうかがっているコユキを、慈しむような、母のような瞳で見つめていた。

そして、慧に向き直ると、少しだけ、頬を赤らめて、はにかむように、言った。

「…わたしたちの、子供だと思って、この子を、育ててみない…?」


「……は…?」


慧は、思わず、間の抜けた声を上げた。


「わたしが、お母さん。慧くんが、お父さん。……そして、この子が、わたしたちの、娘」


ユイは、続ける。


「この子にね、難しいことは、何もしなくていいの。

ただ、わたしたちが、3日間だけ、この子のお父さんとお母さんになってあげるの。

短い間だけど…この子に、温かい『家族』を、プレゼントしてあげたいんだ」


それは、あまりにも、突拍子もない提案だった。

だが、その瞳からは、真剣さがまっすぐに伝わって来る。

ユイは、自分の運命も、コユキの運命も、すべてを受け入れた上で、残り少ない時間に、最高の「意味」を与えようとしていた。

慧は、しばらく、何も言えなかった。

ただ、青ざめた顔に血色は戻り、ユイの顔を、じっと見つめていた。

やがて、彼は、意を決したように、口を開いた。

その声は、少しだけ、弾んでいた。


「……それはつまり…」


「……え…?」


「あ~...…つまりだな。それは、ユイが、俺の、奥さんになるって意味だと思うんだが……いいのか?」


その、あまりにも不器用で、あまりにもまっすぐな問いに、今度はユイが言葉を失った。

彼女の頬が、みるみるうちに、リンゴみたいに、真っ赤に染まっていく。


「え…あ…えっと…そ、それは…その…!」


しどろもどろになるユイを見て、慧の口元に、本当に、本当に、久しぶりに、柔らかな笑みが、浮かんだ。


「……ああ。わかった。…やろう! 俺たちの、ひとときの家族を」


それは、ユイのプロポーズを受けた瞬間だった。



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