第16章 心の芽吹き
第16章 「心の芽吹き」
【DAY4】
朝。
研究室に入るなり、慧は白衣にも着替えず椅子に座った。
そして、すぐさま端末に「自己肯定感 高める方法」と、打ち込む。
慧は、昨日ネックレスをプレゼントした時からずっと考えていた。
ユイの心を、少しでも軽くしてあげたいと。
安直かもしれないが、これしか思いつかなかった。
端末のカーソルがリンクの列をなぞり、ふと、止まる。
《自己肯定感を高める5つの方法》
(これだ!)
慧は、早速これを試してみることにした。
①1日8時間以上の睡眠をとる
「なぁ、ユイ」
「なぁに?」
「ユイって、寝る……のか?」
「わたしはAIだから、寝なくても平気なんだよね…」
「だよな…」
いきなりつまづいて、慧はうなだれる。
②街へ出て気分転換をする
「なぁ、ユイ?」
モニターの中で、ネックレスのダイヤを弄りながらユイは答える。
「なぁに?」
「ユイって、その部屋から出られないのか?」
「うん。AIだからね。でも、なんか取っ手も鍵穴も何もない鉄の扉っぽいのがあるんだよね。これが開けば、外に出られたりするのかな?」
「あ……そういえば、なんかあるよな。でも、開かないなら意味は無いか」
③ポジティブな言葉を自分にかける
「なあ、ユイ。俺の言うことを真似して言ってくれ」
「うん、いいよ!」
「……わたしは、世界で一番、素敵な女の子だ」
慧は、顔から火が出そうになるのを必死にこらえて、そう言った。
しかし、ユイはぴたりと動きを止めて、悲しそうな顔で首を横に振った。
「……言えない。だって、そんなの、嘘だもん…」
(それが簡単に言えたら苦労はしないか...)
④小さな成功体験を積み重ねる
「……ユイって、何か得意なことはあるか?」
「……とくいな、こと…?」
ユイは、少し考え込むと、ぽつり、と呟いた。
「……慧くんのこと、見つけるのは得意だよ?」
「……は?」
「だって、慧くんが部屋に入ってきたらすぐに分かるもん。だから、かくれんぼしたら絶対にわたしが勝つと思うよ?」
その、子供のような無邪気な言葉に、慧は思わず吹き出してしまっていた。
そして、彼は気づいた。
(……そっか。成功体験なんて、大げさなものじゃなくてもいいんだな)
「じゃあ、今度、やってみるか?かくれんぼ」
その言葉に、ユイの瞳が、ぱあっと輝いた。
⑤信頼できる誰かに褒めてもらう
慧は、その一文をじっと見つめた。
そして、ゆっくりと机に背を向け、嬉しそうに笑っていユイを見つめる。
(……信頼できる、誰か。……それは、俺のこと、なのか…?)
慧は、小さく手を振り、また机に向き直した。
午後。
「ユイの好きなものって、何かある?」
慧の不意な問いに、ユイは瞬きをしてから、少し恥ずかしそう視線を窓に送る。
「…窓から見える空、かな」
「空か……」
慧はゆっくりと席を立つと、研究室を出ていった。
そして、階段を登り、屋上のドアを押す。
ドアを開けると、ぱあっと視界が開けた。
青が広がり、陽射しに一瞬目が眩む。
頬を撫でる風が、前髪をかすかに揺らした。
ふと見上げた先、青いキャンバスに白い雲が猫の形をして浮かんでいた。
思わずスマホを構える。
(ユイに見せたら喜ぶぞ!)
胸の奥から湧き上がった衝動に、指先が動いた。
昼下がり。
ユイは鏡の前でネックレスをそっと指でなぞる。
「本当に似合ってるのかな…」
慧は、クルッと椅子を回して振り返り、息を飲む間もなく即答した。
「似合ってるに決まってるだろ」
ユイの唇が、控えめに笑みを描く。
その瞬間、慧の胸の奥が温かくほどけた。
「……ユイの笑顔、可愛くて…好きだな」
吐息のような声に、空気がゆっくり甘くなる。
慧は、自分の口から出た言葉に赤面しながら、ユイに聞かれたんじゃないかと気が気ではなかった。
夕方。
「実は、こんなものを撮ってきたんだ」
端末を操作すると、ユイの机の上に、小さなフォトフレームが現れる。
ユイが見ると、青空が切り取られた窓のように、猫の形をした雲が写った空がそこに収まっていた。
ユイは両手でそれを包み、頬を染めながら笑った。
その笑顔は、作り物じゃない。
慧の胸に、やわらかく甘い光が広がっていく。
耳の奥が静かになり、世界から彼女だけが浮かび上がる。
(……この笑顔を守りたい)
心が、そう叫んでいた。
──ユイを消す日まで、残り3日。