第14章 Kの消失点
第14章 「Kの消失点」
夜の研究室。
慧は、机の端に腰をかけ、Kの赤いロゴが入ったマグカップを両手で包み込んでいた。
縁の欠けを指でなぞるたび、蛍光灯の白がにじみ、消えたはずの笑顔が浮かぶ。
大学院時代。
香坂先輩――いつも白衣の袖を肘までまくり、コーヒーを淹れる所作は無駄がなく丁寧だった。
腰まで流れる黒髪が、視線を奪って離さなかった。
前髪が目にかかると、指先で払う仕草、片方だけ口角を上げる笑顔。
慧は、その一つひとつが好きだった。
「慧は、研究より人を救う人やな」
冬のある日、そう言ってKマグを渡された。
理由は、冗談で濁されたが、慧にとっては心の奥に封じた感情のしるしだった。
深夜の研究所。
開け放たれたサーバー室、赤い警報灯と鳴り響くサイレン。
翌朝、香坂先輩は姿を消し、機密AIデータもなくなっていた。
それは裏切りか、それとも何かを守るためなのか――答えは今もない。
残ったのは、このマグカップだけだった。
現在。
慧は、ユイの前にマグを差し出す。
わずかに震える指先。
これは、終わらせる為に渡すんだ。
あの日言えなかった想いと、未練を、まとめて手放すために。
「なあ、ユイ。このマグカップ、お前にやるよ」