第1章 「研究記録001:ルカ、起動」
「――私は、あなたの、研究対象です」
【物語紹介】
AIは「心」を持てるのか?
その謎に挑む、若き研究員
「岡本 慧」(おかもとけい)。
彼が向き合うのは、最新鋭の女性型3Dモデルを搭載したAI「ルカ」。
無機質で、完璧な彼女との対話は、ただの、データ収集のはずだった。
「……分かりません」
ある日、彼女が初めて見せた「バグ」。
それは、彼女の中に「心」が芽生え始めた兆候なのか?
それとも、彼を惑わすための、巧妙な「演技」なのか。
閉鎖された研究室で始まる、人間と、AIの、静かで美しい逢瀬。
その瞳の奥に、宿るものとは――。
【SEVENDAYS HEARTS】
第1章「研究記録001:ルカ、起動」
起動ログ:AI個体名《LUKA》
感情模倣レベル:0.03
応答速度:正常
表情変化:未確認
【DAY1】
岡本 慧は、まだ新しく出来たての研究室の匂いに「早く慣れないとな」と思いながら、部屋の真ん中にあるひときわ異質を放つ、地面から天井まで伸びる円柱状のモニターを見つめていた。
白いLEDの蛍光灯に照らされた、白衣姿の慧1人しかいない静かな空間。
壁際の机の上には、パソコンと使い込まれたマグカップ。
マグカップの側面には、赤い“K”の文字が浮かんでいた。
「……起動、確認」
黒かった画面がふっと明るくなり、モニターに映ったのは、少し茶色味のある黒髪でショートヘアのスーツ姿の女性。
慧は、まるでそこにいるかの様に立体的に見える女性に少し驚いた。
目の前にいる彼女の目元は涼しく、表情は硬い。
それでも、画面越しに彼女は慧を見ていた。
「おはようございます。私はルカ。あなたの研究対象です」
慧は、少しだけ口元を緩めた。
「俺の名前は岡本 慧だ。好きに呼んでくれていい」
ルカは、0.7秒の沈黙のあと、こう答えた。
「では、岡本さんと呼びますね」
その言葉に、慧は小さく頷いた。
ここは、日本AI開発プログラムセンター。
慧は、そこの社員だった。
任された仕事は、AIの心の研究。
AIは心を持つことが出来るのか?
それは、人権を持つ事に繋がるのでは無いのか?
そういう場所だ。
だが、慧にとっては、全てがどうでも良かった。
ただ、仕事だからやる。
それだけの事。
ルカは、感情模倣の初期段階。 表情も、声の抑揚も、まだ機械的だ。
「ルカ。君は、今、何を考えてる?」
「私は、あなたの問いに対して、最適な応答を検索しています。
“考える”という表現は、私にはまだ適用されません」
「お粗末だな...」
慧は、記録を開始する。
その言葉に、ルカは反応した。
「評価を受けました。改善のためのフィードバックを求めます」
慧は、モニターに背を向けて、机の上の端末に向かう。
キーボードを叩きながら、淡々と記録を入力していく。
《初期応答:論理的。感情模倣は未発達。
反応速度は良好。自律的な問い返しは未確認。》
「ルカ。君は、なぜ“こんにちは”と言った?」
「起動時の初期挨拶として、プログラムに組み込まれています」
「じゃあ、俺が“こんにちは”と言わなかったら、君は黙っていたか?」
「はい。応答条件が満たされない場合、発話は行いません」
慧は、マグカップを手に取った。
赤い“K”の文字が、指先に触れる。
「……君は、俺の顔を見ているように見える。
でも、それは“見ている”のか、“認識している”のか、どっちだ?」
ルカは、また0.7秒の沈黙。
「私は、あなたの顔をカメラで捉え、認識しています。
それを“見ている”と表現することは可能ですが、主観的な視覚体験は持っていません」
「なるほどな...」
この部屋には無数のカメラが設置されている。
それを使って見ている...いや、認識していると言う事か。
と、納得しながら記録に追記する。
《視覚認識:正確。主観性なし。
表現に対する自律的判断は未確認。》
そして、ふと振り返ってモニターを見る。
ルカは、変わらずそこに立っていた。
まるで、“誰か”を演じているように。
「ルカ。君は、俺をどう思う?」
「私は、あなたを研究者として認識しています。
感情的な評価は、現在の私には適用されません」
慧はぬるいコーヒーを1口飲み、マグカップを置いた。
「……そうか。なら、今日の研究はここまでだ」
ルカは、微かに瞬きをした。
それは、プログラム通りの動作かもしれない。
でも慧には、ほんの少しだけ――
“何かを感じたような気がした”