第8話 最強の騎士
王国最強の騎士、フェリシア。
その名を聞いたことがない者は、この国には一人としていないだろう。モンスターの群れを単騎で鎮圧したとか、闇竜の鱗を剣で断ち割ったとか、数々の武勇伝が伝説のように語られている。
当然、まともにやり合って勝てる相手ではない。いや、そもそも決闘を挑むという考え自体が、命知らずの愚行として歴史に刻まれるレベルである。
だが、そうも言ってられなかった。
転移者のハーレムに残っているのは、もうフェリシアと王女ソフィアだけだ。それ以外の女性たちは、すでに全員、正気を取り戻している。ハーレムの完全崩壊まで、あと一歩なのだ。
しかしここで大きな壁が立ちはだかる。
——フェリシアが強すぎる。
背後から奇襲をかけるなんてこともできない。今の洗脳状態にあるフェリシアにそれを実行しようものなら、誰であろうと本当に殺されてしまうだろう。
一応、騎士団どうにかできないか聞いてみたが、「無駄死にしたくない」という回答しか得られなかった。ふぬけどもめ。まぁ俺も絶対やりたくないけど。
「……三階くらいの窓から植木鉢でも落とすか?」
割と真面目な提案だったが、ミーナは呆れた顔をした。
「それは本当に殺意があるときのやつです。いくらフェリシア様でも死んじゃいますって」
「死なないと思うんだよなぁ。むしろ普通に頭で受け止めて、怒り狂って追いかけてきそうなことの方が怖い。……やっぱりこの作戦はやめておこうかな」
「フェリシア様を何だと思ってるんだ……」
人間の見た目をしたオーガだと思ってるが。
ため息を一つ吐き、俺は腹をくくった。まったくもってやりたくはないが、もう選択肢は残されていない。
*
「フェリシアさん。俺と決闘してください。真剣勝負で」
「……お前がか?」
フェリシアは眉ひとつ動かさずに言った。話に聞いたとおりの美貌、そして圧倒的な威圧感。銀髪をきっちりと結い上げ、手には見事な長剣。見惚れるほどに凛々しく美しいのに、どこか言葉にしづらい違和感がある。
なんだろう、と俺が首をかしげている間にも、話は進んでしまう。
「ふん。よほど自信があるらしいな。……いいだろう。受けてやる」
あああああ了承されてしまった……。自分で言いだしたことではあるが、冷や汗が止まらない。やだあああ死にたくなああああい。「やっぱやめます」って言ったらキレるかなぁ。
もうすでに後悔の念が湧き上がってきている。
「ついて来い」
そんな俺の内心なんて知るはずもなく、フェリシアは背を向けて歩き出した。目的地は騎士団の訓練場だろう。
一瞬だけ躊躇したが、俺はすぐにその背を追った。
*
訓練場に着いた。いや、処刑場かな。
集まってきている見物人の数に、心拍が跳ね上がる。今すぐ逃げだしたい。
「一介の魔導師が、私に勝てるとでも?」
「……どうでしょうね」
これ本当に大丈夫なやつか!? 一応本当に殺されそうになったら、外から無理にでも止めてもらう手はずにはなってるけど、本当に大丈夫か!? 死なない!??
もちろん、正面から戦うなんて毛頭ない。ちゃんと計画があるのだ。
だが、計画があろうと、死ぬほど怖いことには変わりない。
緊張で足が震える中、「始め!」と合図が鳴った。
えっ、もう!?
開始の合図とともに、フェリシアが跳んだ。
速い。目にも留まらぬ、まさしく常人離れしたスピード——のはずだったのだが。
「……あれ?」
俺は後ろに跳んだだけで、その斬撃を避けていた。さらに二撃、三撃。どれも当たらない。なんなら軽く身をずらすだけで避けられてしまう。
「フェリシアの攻撃を避けられてる……!? 俺が!?」
いや、俺が強くなったわけじゃない。むしろこっちは腰が引けてるのだ。
これは——フェリシアの実力が、落ちているのだ。
よく見れば、その斬撃も、足運びも、どこかぎこちない。呼吸も浅く、間合いもズレている。
ああそうか。思い返してみれば、洗脳されてからというもの、彼女は常にユウトの傍にいた。護衛と称して、訓練もせず、ずっと寄り添っていたはずだ。そりゃあ、鈍るよな。
「なぜだ……なぜ当たらない……!?」
フェリシアの額に汗がにじんでいた。瞳は揺れている。自分の体が思い通りに動かないことに、戸惑っている。
「こんなはずはない……!」
……本当は、俺がフェリシアの注意を引いている間に、見物人の中に混ざっている魔導師たちがフェリシアの隙を狙うって計画だった。でも、その必要はなさそうだ。
「『アイス』」
氷塊を拳大に凝縮し、後頭部めがけて放つ。
ゴン、という鈍い音がした。
フェリシアの瞳が揺れ、よろめき、膝をついた。そして、そのまま前のめりに倒れる。
「……勝っちゃった」
王国の誰もが知るフェリシアは、最強の騎士と謳われたフェリシアは、
「……こんなに、弱いはずないのに」
呟いた声が、やけに虚しく響いた。
*
「っ……ここは……? 私は一体、何を……?」
しばらくして、フェリシアが目を覚ました。
焦点の合わない目で、周囲を見渡し——次第に、顔がみるみる赤く染まっていった。
「わ、私……! い、今まで、あんな格好で……あんな振る舞いを……ッ!?」
怒りよりも、恥の方が勝っているようだった。
俺は淡々と事情を説明した。洗脳のこと、王宮の状況、俺の目的——
「……っ、私は……」
フェリシアは唇を噛み、拳を握りしめた。
「私も戦おう。王宮を、仲間を……取り戻すために!」
真剣なその目に、ようやく『騎士』としての誇りが戻った気がした。でも、
「あ、もうあと一人しか残ってないから。手伝わなくても大丈夫だわ」
「え!?」
ご心配には及びません。ありがとね。
*
「……クソッ、フェリシアまで……! 全部あいつのせいだ……あのモブのせいで……」
ユウトは訓練場の影で爪を噛んだ。彼の傍に残っているのは、もはやソフィアただ一人。
つい数日前までは、山ほどの女に囲まれていたというのに、どうして。
俯いてブツブツとつぶやくユウトを、隣に立つソフィアが心配そうに見つめている。その視線にさえ気づかず、ユウトは自分を守る言葉を吐き続けた。