第1話 帰還
「や~っと帰って来られた~」
夕暮れに照らされた王都の石畳の上で、俺は両腕を上げて大きく伸びをした。
辺境の田舎、それもど田舎中のど田舎に突然出張を命じられて1か月。娯楽など何一つない死ぬほど退屈な田舎からやっと帰って来られた。
国の端から、国のど真ん中にある王都に帰ってくるのはさすがに時間がかかった。もう疲れたから早く帰ってベッドに飛び込みたい。だが上司に報告を済ませないと。
目指すは王宮の北端。豪奢な宮殿が並んだ王宮の敷地の隅に追いやられるように建っている魔導師の塔に向かって真っすぐに歩いていく。
久々の王宮は、俺が出張に出る前と何も変わっていない——と思っていたのだ。この時までは。
「……なんか、人が少なくない?」
魔導師の塔の廊下を歩きながら、思わず口に出す。もう夕方とはいえ定時にはまだ早い時間なのに、何だかがらんとしている気がする。何人かのやけに忙しそうな同僚の魔導師たちとはすれ違ったが、それだけだ。以前なら、研究用の魔導書の整理に追われる若い魔導師たちが絶えず右往左往していたはずなのに。魔導書は壁の近くに高く積み上げられ、だれも整理している様子はない。
違和感は大きくなる一方だ。俺はさっさと廊下を通り過ぎ、研究室とは名ばかりの事務所の扉を開いた。
「ただいま戻りました~。疲れた~」
「おーロイド君、お帰り。お疲れ様ー」
そう返してくれたのは、偶然扉の近くにいた俺の直属の上司だけだ。小太りで人の良さそうな中年男性、と言えばだれもがイメージしそうな容姿をしているこの上司は、いつも朗らかだが今日は少しくたびれているようだ。他の魔導師たちは皆忙しそうに走り回っている。事務所の中も、いつもの半分以下の人数しかいないようだ。
「なんかやたらと人が少なくないですか?」
俺はそう言って事務所を見回す。普段は狭い事務所の中に魔導師たちがひしめき合っているのに、今はその半分以下の人しかいない。あまりにも少なすぎる。
もしかして俺が出張の間に、みんなで休暇を取ってどこかに遊びにでも行ったのかな。……ということはこの上司は誘ってもらえなかったのだろうか。かわいそうに。
憐れみを込めた目で上司を見ていると、ジトリとした目で睨まれた。
「何を考えているのかは知らないけど、多分違うからね。君はまだ知らないと思うけど、今すっっっごく忙しいんだよ……まあ、その話は長くなるから、先に報告を聞こうかな」
俺は視線を逸らしつつ、そのまま報告に移った。……はずなのだが、だらだらと話しているうちに脱線に脱線を重ねて、気づけば報告なんだか愚痴なんだかわからない内容になっていった。
「カエルの魔物なんて別に何もしないんだから放っておけばいいじゃん~何で王宮魔導師の俺がわざわざ対応しに行かなきゃいけないの~」
上司の机にもたれかかりながらぐちぐちと文句を言う俺に見向きもせず、上司は書類を振り分けている。
「しょうがないでしょ。『デカくてキモいからなんとかして』って陳情が来ちゃったんだから」
「絶対地方の魔導師でも対応できたじゃん~~なんで俺が~」
「だってロイド君が一番暇そうだったんだもの。そんなことより、人が少ない理由、説明してもいい?」
呆れた目でそう言い、上司はとっくに冷めているだろう紅茶をすすった。
「ああ忘れてた。何かあったんですか?」
「ロイド君が出張でいない間に大変なことになっちゃってね……」
上司はため息を吐いて深刻そうな顔で言った。あれ、そんな大変な感じなの? なんだ、俺はてっきり。
「え、みんなが一斉に休暇を取っちゃったからじゃないんですか?」
「そんな風に思ってたの……? そんなんじゃないよ。——”転移者”が現れたんだ」
テンイシャ。なんだそれ。聞きなれない言葉に俺は首を傾げた。
「テンイシャ……? ってなんですか?」
「いや、私もよくわかんないんだけどね……」
そう言って紅茶をすすった上司から聞かされたのは、まるでおとぎ話のような内容だった。
***
小一時間後。
「……つまり、王宮の謎の魔法陣に突然現れた謎の男に王宮の若い女がみーんな惚れちゃって、どこもかしこも仕事が回らなくなっている、と」
「まあそんなとこだよ。そんなわけだから現状の調査とかもろもろ、全部よろしくね」
「何で俺が???」
「言ったでしょ。私も他のみんなも忙しいんだよ。今は暇な人なんてロイド君しかいないの。それじゃ、任せたよ」
任されてしまった。とても面倒だ。
「やるしかないのか~」
「そうだよ。ちゃんとやってね。査定にも影響するからね」
サボれなくなってしまった。しばらくは忙しくなりそうだ。