表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/12

第10章 聖女殿下、神の御心をお伝えください!

"じりじりと迫りくるホブゴブリンを前に、だがアンイ・カールは、その場から動こうとしない。

(奴は、一体、何を……?)

 成り行きを見守る者たちの間に、同じ疑問が浮かぶ。

 迫る、さらに迫る。

 ホブゴブリンが振るう丸太のような棍棒が、恐ろしい風切り音を立てる。万が一にもアンイの体に当たれば、致命傷は避けられない!

 アンイは逃げない! まだそこにいる! 何を考えているんだ!?

 その時、アンイは、誰もが予想だにしなかった行動に出た。

 数歩、横に移動し、民家と民家の間の、狭い隙間すきまへと、するりと身を滑り込ませたのだ――

「ドガァァン!」

 凄まじい轟音。左右に薙ぎ払われた棍棒が、片方の民家に、もろに激突した。土埃が舞い上がり、土壁つちかべが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる!

 同時に、家に棍棒を打ち付けた衝撃で、ホブゴブリンの動きに、一瞬の硬直こうちょくが生まれる。

 タッ。

 隙間から、両手で剣を構えたアンイが、一歩、踏み出した。

 ホブゴブリンが再び棍棒を振るおうとした時には、アンイは、またしても、奴の眼前に立ちはだかっていた――

「ズブッ!!」

 長剣が、無防備なホブゴブリンの腹部を貫き、そのまま心臓めがけて、一直線に突き進む!

「グオオオォォ――ッ!!!」

 ホブゴブリンが、激痛に叫び声を上げた。咄嗟に腕を振り上げ、アンイを叩き潰そうとする。

 だが、アンイは、まるで、それすら予測していたかのように、深々と突き刺さった長剣から手を離すと、素早いスライディングでホブゴブリンの両足の間――その死角へと潜り込み、同時に腰の短剣を抜き放ち、下から、ぐい、と跳ね上げた――!

「グギャアアアアッ!!!!」

 まさに、急所!

「おぅ……っ!」

 見ていた男衆は、思わず、自分の股間が、ひやりとするのを感じさせられた。

 アンイのこの一撃。その、耐え難い激痛に、ホブゴブリンは、たまらず身を屈め、股間を押さえて全身を、ぶるぶると震わせる。

 アンイは短剣を手に、ゆっくりと、ホブゴブリンの背後から、その正面へと回り込んだ。

 眼前に立ち、短剣を逆手に持ち替えると、もう片方の手を柄頭つかがしらに添え、ぐっ、と押し込む。

「プス――」

 短剣が、ホブゴブリンの眼球を貫き、その脳髄のうずいへと達した。

 こともなげな、ただそれだけの動作。ホブゴブリンの巨体は、まるで糸の切れた人形マリオネットのように、その場に、どさり、と崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。

 アンイは、ホブゴブリンの死体を、ちらり、と一瞥する。

(はぁ……ホブゴブリン一匹相手に、我ながら手間取ったもんだ)

 脳か心臓にダメージを与えれば即死判定。それが、この世界の『お約束システム』ってやつだ。だから、傷が浅いなんて心配は、まぁ、無用ってわけだ。

 心臓も脳もないアンデッドとか、そういう連中相手なら、話は別だけどな。


「死んだ……のか?」

「ああ、どうやら、そのようだな」

 物陰に隠れて様子を窺っていたアセル・カールたちが、ホブゴブリンが動かないのを確認し、さらにしばらく警戒した後、ようやく姿を現した。

 数人の魔族ハンターが、ホブゴブリンの死体に近寄り、念入りに確認し、ようやく安堵の息をつく。

 だが、彼らの心中にあったのは、興奮や歓喜よりも、驚愕と、そして困惑だった。

「おい、若いの。お前、分かってるのか? このホブゴブリンは、レベル2魔族だぞ?

 レベル2の魔族ハンターだって、パーティを組んで、ようやく討伐できるかどうか、って相手なんだ。

 それを一人で仕留めたってことは……お前、レベル3の魔族ハンターに匹敵する実力だぞ。

 お前……一体、何者なんだ?」

 リーダー格の魔族ハンターが、眉をひそめ、アンイに問いかけた。

 若いのに実力がある、それは、まぁ、いいことだ。

 だが、このホブゴブリンとの戦いで、アンイが見せたのは、単なる実力だけじゃない。

 それ以上に……こいつを相手にした『経験』ってやつだ。

 彼らとて、それなりに場数を踏んでいる。アンイが、先ほどの戦闘で、相手の動きに対応してみせた、あの速度。単なる反応速度だけで、できる芸当じゃないことくらい、分かっている。

 あるとすれば……奴には、途方もない戦闘経験があり、この手の大型魔物の攻撃パターンを、知り尽くしている、ということだ。

 それに、反射神経だけに頼ったギリギリの回避や攻撃なんてのは、相当に体力を削られるものだ。

 だというのに、アンイには、疲れた様子など微塵もない。まるで、ちょっとした片付け物でも済ませたかのような顔をしている。

「何者か、ね」

 アンイは、傍らのホブゴブリンに目をやった。

 前世のことなど、誰にも話したことはない。そんなことをすれば、まるで、落ちぶれた人間が、自分の不幸な過去を語り、誰かに同情されたがっているみたいで、嫌なんだ。

 わざわざ隠しているのは、あれこれ聞かれるのが面倒だからだ。

「勝てると思った。だから、殺した。……それだけだ」

 アンイは、素っ気なく答える。

「よし! よくやったぞ!」

 他の者が何かを言いかける前に、アセルが、はっはっは、と高笑いしながら、アンイの肩を叩いた。

 そして、皆に向かって、こう言った。

「この子はな、昔から才能があってな。18になる前から、このセントラン村じゃ一番の剣士だったんだ。

 それに、若いやつは反応が速い、当たり前のことだろう?」

「いや、しかし……」

 魔族ハンターたちは、それでもまだ、納得がいかない様子だ。

 いくら才能があろうが、反応が速かろうが、アンイが見せた動きは、普通の若者が持ちうるレベルを、遥かに超えている。

 たとえ、幼い頃から軍隊で、対魔族戦の英才教育えいさいきょういくを受けた若者だって、ここまでの動きは、できやしないだろう?

「疲れた。……街へ避難する。今夜、まだ魔族が出るかどうかも、分からないからな」

 そう言うと、アンイは剣をアセルに返し、さっさと背を向けた。

 アセルは、一瞬、きょとんとしたが、すぐに大声で叫んだ。

「おお! よし、撤収だ! 全員、撤収!」

 ……

 【レベル1災害:ゴブリン襲撃しゅうげき】の場合、20匹以内のゴブリンと、『エリートモンスター』であるホブゴブリンをすべて倒せば、それ以上、魔族が出現することはない。

 もし【ゴブリン襲撃】がレベル2災害にまで発展すれば、出現数も倍になるわけだが。

 まぁ、アンイのいるセントラン村の規模は【レベル1】相当。この程度の場所で【レベル2】の災害なんて、発生するはずもないってわけだ。

 つまり、この後、魔族が現れる心配なんて、実は、これっぽっちもなかったりする。

 街へ避難する、なんて言ったのは、あれこれ聞かれるのが億劫おっくうだった、ってだけのことだ。

 他人に教えるなんて、面倒くさいにも程がある。

 以前、街の図書館で確認したが、魔族に関する書籍は、それなりに揃っていた。聞きたいことがあるなら、そいつら自身で本でも調べればいい、って話だ。


 街へ到着すると、魔族ハンターギルドと街の長が、避難してきた村人たちの受け入れにあたった。

 もちろん、小さな街のこと、全員に個室なんて与えられるはずもなく、用意されたのは、だだっ広い訓練場と、数十組の寝具だけだったが。

 アンイの戦いを、この目で見た魔族ハンターたちは、村人たちの前で、大げさにその活躍を語って聞かせ、アセルに至っては、尾ひれをつけて、そりゃもう大騒ぎだ。

 アンニ・カールも、隣で興奮気味に相槌を打ち、母親のエルサ・ロスは、穏やかな笑みを浮かべながら、その話を聞いている。

 そして、皆に称賛される当の英雄アンイはといえば、とっくに、ぐっすりと眠りこけていた。

 この手で姉を救い、憎むべき惨劇の元凶を討ち、両親を守り、村を守り、村人たちを救った。

 前世における、この瞬間の後悔の念だけは、ようやく、少しだけ、手放すことができたのかもしれない。

 だが、まだ、もっと大きな、前世で成し遂げられなかった宿願しゅくがんが残っている。

 それは、聖戦において魔王を倒し、魔族を完全に滅ぼし、この世界に、二度と同じ悲劇を繰り返させないこと。

 今生で悲劇を回避できたからといって、それで全てが許されるわけじゃない。

 それに……

 この世界は、すでに、終焉へのカウントダウンが始まっているのだ。

 あと10年で、人類は、この世界から、完全に姿を消す。

 それはゲームの『設定』だが、アンイにとっては、紛れもない現実だ。

 魔王を討たねばならない。必ず、この手で、魔王を殺さなければならない。

 他に選択肢なんて、ありはしない!

 ……

 翌日、正午。

 金と光に満ち溢れた、壮麗なる聖堂。天窓から降り注ぐ陽光が、豪華な内部を、眩いばかりに照らし出している。

 赤い絨毯の上には、白金の法衣を纏った神職者たちが、一人、また一人と、聖堂の最奥に向かって、敬虔な面持ちで並び立っている。その数は、優に数千は下らないだろう。彼らは皆、神の御言葉を待っているのだ。

 ここに立つことを許されるのは、オードリッチ教国において、主教クラス以上の、高位の者たちばかりだ。

 高壇の上、白い長鬚を蓄え、金と白の法衣を纏った教皇が、厳かに告げた。

「……始めよ」

 そして、朗々たる声で、呼びかける。

げよ――!

 聖女殿下! 我らに、神の御心をお示しください!」"


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ