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浮気疑惑


 秋が深くなるにつれ、執務がだんだんと忙しくなってきた。ジェラルド様は通常の執務だけでなく開国祭のために衣装を整えたり、平民街で行うパレードの演出やフロートのデザインについて話し合ったりと大忙しだ。それに秋は収穫の季節のため、各領地から農作物の収穫量の報告書が大量に送られてくるため実務の半分くらいは収穫量の報告書を読んでいる。

私もジェラルド様も忙しくなってしまったせいで、2人きりになりたいなんて甘えたことは言っていられなくなってしまった。レティシア王女も今はグルカトス公爵家に滞在しているそうで、王都の令嬢たちに度々お茶会に誘われて忙しいらしい。


「こちらの報告書は資料室へ運ぶので分かりやすいところにまとめておいて」

「承知いたしました」

「メアリ、北部の報告書はこれで全てですか?」

「はい」


今日はジェラルド様が開国祭についての会議があるため執務室を仕切るのは私の役目だ。その会議にダミアン様も付き添っているため、ダミアン様とジェラルド様の分の執務を私とルーディンクが担うことになった。普段執務を振り分けているのがジェラルド様だから知らなかったけれど、ジェラルド様もダミアン様も私の倍以上の執務をこなしていたらしい。

北部の報告書に全て目を通したというのにまだ目を通さなければならない書類が山積みだなんて信じたくもない。けれど、明日もジェラルド様たちがいないため今日中に終わらせなければ明日はもっと書類の山が高くなる。


他の文官たちを先に帰して、なんとか執務を終わらせた。

いつもは日が暮れる前には帰れるのに、今日はもう星空が広がっている。遅くなるのは分かっていたので今日と明日は王宮へ泊まるとユーリとレベッカには報告してある。ルーディンクも客間へ泊まることになっている。ジークハルトもと思っていたけれど、ジークハルトは騎士寮の方が落ち着くからと客間への宿泊は断った。


王宮の自室へ行くと、1つ年上の侍女であるサリーが出迎えてくれた。


「オリビア様、夕食はどうされますか?」

「今日はいりません。湯浴みも明日の朝で結構です」

「承知いたしました」


パジャマへの着替えを手伝ってもらって、化粧を落として髪を解くとすぐにベッドに入った。サリーはおやすみなさいませと微笑んで天蓋から垂れるカーテンを閉めると部屋の灯りを消して外へ出た。さすが王宮勤めの侍女だ。長い付き合いでもないのによく気がつく。


「疲れた。ジェラルド様はまだ帰ってきてないのね」



翌朝、起きるとサリーが既にお湯を沸かしてくれていてすぐに湯浴みができた。それから化粧とヘアセットをしてドレスに着替えてから朝食を摂った。


「サリー、ジェラルド様はもう王宮を出られましたか?」

「殿下なら、昨夜は戻られていません。開国祭のパレードで演奏する王宮音楽隊の指揮者の方の邸宅に宿泊されたそうです」

「そう、ですか」

「ご心配は無用ですよ。その方は独身らしいので邸宅に若い女性はいらっしゃらないそうです。侍女は皆、四十を越えていると聞いております」

「心配なんて………。そんなに顔に出ていましたか?」

「はい」

「もっと気を引き締めないといけませんね」

「ここはオリビア様の自室ですから気楽にされて良いのですよ」


サリーにありがとうと告げて朝食を終えると、執務室へ移動した。

やはり、昨日同様かそれ以上に書類が積み重なっている。私付きの文官やジェラルド様付きの文官たちが少しは手伝ってくれてるけれど、王族とその側近以外は行えない執務が大半を占めているので手伝ってもらうことは出来ない。私はまだ王族ではないけれど、ジェラルド様がいない間に執務が滞るわけにはいかないから代理として執務を行っている。ルーディンクもダミアン様の代理だ。


「お嬢様、この法案はどういたしましょう」

「却下です」


ルーディンクが見せた資料には上位貴族、つまり伯爵家以上の貴族令嬢は『23歳までに嫁入りか婿を迎えなければならない』法案をつくると書いてあった。これを考えたのはきっと、嫁入りせず婿養子もいない独身令嬢の父親だろう。だけど、23歳までに結婚しなければ賠償金を支払うなんてふざけている。特に女性騎士は結婚が遅いのでむしろ23歳で結婚している方が珍しい。


ジェラルド様はいつもこんなふざけた法案にわざわざ目を通さないといけないのだろうか。無駄に仕事を増やすのはやめていただきたい。


「エレナ、法案はもっとまともなものを持ってきてくださいと警告文を書いてください」

「承知いたしました」



今日は昨日よりも執務の量が多かった。どうやら、ジェラルド様の代理を私が行っていると知った者たちが私ならすぐに法案を通してくれるだろうとふざけた法案を大量に送ってきたようだ。お陰で日付が変わるまであと1時間もない。


今日も王宮の自室へ泊まるため、執務室のある中央棟から王族の自室がある南棟へと移動した。眠気で私がふらついていたので、ルーディンクが付き添ってくれてやっと部屋へ辿り着いたとき、ちょうどジェラルド様が帰ってきた。


「おかえりなさいませ、ジェラルド様」

「ただいま戻った」


ジェラルド様は少し驚きながらも返事をして私の目の前まで歩いた。約2日ぶりに会えたのが嬉しかったのか、疲労と眠気のせいなのか、周りの目なんて気にせず気が付いたらジェラルド様に口付けをしていた。初めての口付けだ。だけど、ドキドキするというよりも怒りが込み上げてきた。

ジェラルド様の口からはアルコールの匂いがして、服からはローザの香水の香りがした。明らかに女物の香水だ。


「こんな遅くに帰ってくるなんてと思っていましたけれど、そういうことでしたか。さぞ楽しまれたのでしょうね」

「オリビア、何を」

「わたくしがくだらない法案を大量に押し付けられている中、殿下は女性とお酒を飲まれていたのでしょう?ローザの香水なんて男性が使うはずがありませんから」

「それは、」

「言い訳は結構です。一夫多妻は法律で認められていますし、殿下は何も悪いことをしていませんもの」


さっきまで冷たい視線を向けていたけれど、貴族令嬢らしく優雅に笑みを浮かべた。「おやすみなさいませ」そう告げてすぐに部屋に入った。


部屋に入るとサリーは手早く寝る仕度をしてくれたのですぐに休むことが出来た。



翌朝、起きてすぐに朝食を摂っていつもより早く執務室へ行った。

文官がまだ揃っていないけれどすぐに執務を始めた。とりあえず今は何かをしていないと落ち着かない。昨夜もあまり寝れていなかったから、今少しでも気を抜けばそのまま眠ってしまいそうだ。


報告書に目を通していると、気が付いたら文官が全員揃っていてジェラルド様が執務室へ入ってきた。


「ごきげんよう、殿下」


昨日同様、優雅に貴族令嬢らしい笑みを浮かべて挨拶をすると、ジェラルド様が私の席の前まで歩いてきた。


「オリビア、話があるから個室へ来てくれないか?」

「命令ならば行きますが、そうでないのであれば執務が溜まっておりますので後ほどお伺いします」

「それじゃあ、執務後に」


昨日や一昨日に比べて執務の量は格段に減って、明日の分も一部終わらせた。その中にはまだいくつかくだらない法案があった。そんな法律があっても得をするのは一部の貴族たちだけで平民たちや他の貴族は得どころか損をする。こんな自己中心的な考えをしている人に法案なんて話し合わせてはいけない。どうせまともな話し合いにならないのだから、そんな時間があれば雑務を担えばいいのにと思ってしまう。


寝不足と疲労のせいで執務が終わった途端、どっと疲れが押し寄せてきた。今すぐ帰って休みたいけれど、執務のあとジェラルド様が話があると言っていたからまだ帰るわけには行かない。自分の執務机を片付けてジェラルド様の机の前へ行った。ジェラルド様が個室へ移動しようと席を立つと、ルーディンクが私の前に来た。主である私の前に出るなんてルーディンクらしくない。


「殿下、申し訳ありません。執務後にとの話でしたが、今日はお嬢様を早く帰して休ませたいと存じます。今日は執務が捗り明日の分も三割ほど進みましたので、明日に遅らせることは可能でしょうか?」


さすが、16年の付き合いだ。何も言わなくても私の体調が悪いのを察してくれたらしい。けれど、私は首を振った。


「殿下、今日で構いません。わたくしは平気ですから」

「いや、明日にしよう」

「殿下のお心遣いに感謝します」


ルーディンクは安堵のため息を吐いた。

ハインレットの屋敷に帰る途中の馬車の中で私はルーディンクを睨みつけていた。ルーディンクは呆れたように笑って私の顔を見る。


「お嬢様、子供みたいに拗ねないでください」

「わたくしは平気です。ジェラルド様はしなくてもお兄様やダミアン様やオーガスト様に心配をかけてしまったでしょう?」

「心配なら、とっくにかけています。化粧でクマを隠しても私たちは幼い頃からあなたを知っているので無理をしていることくらいすぐに気付きます」

「まあ、それは心強いですね」

「思っていませんよね?」


フンッとルーディンクから顔を背けて馬車から外を眺めた。


屋敷に着いてすぐに湯浴みをしてベッドに横になった。夕食の時間にレベッカが起こしに来てくれたけれど睡魔に抗えなくてそのまま夕食は摂らずに寝た。


翌朝はすっきりと目覚めて朝食を食べるために食堂へ向かう途中、お兄様とクリスティアナ様が廊下で話し込んでいた。2人は私に気付くとすぐにこちらを向いた。


「オリビア、一昨日のことは」

「聞きたくありません。わたくし、朝食は部屋で食べることにします。レベッカ、ユーリに運ぶように伝えておいて」

「オリビア!」


お兄様の呼び止める声を背に踵を返した。ジェラルド様がもし別の女性と仲を深めていてもそれは法律で許されていることだから私が諌められることはない。けれど、せめてレティシア王女であってほしかった、なんて思ってしまう。それなら仕方がないと納得できるから。


朝食を食べてお兄様と一緒に馬車に乗って王宮へ向かった。いつもお兄様は浮遊魔法で移動しているけれど今日は何故か一緒に馬車で向かうと言い出した。


執務室へ行って席に着く前に隣の個室へ通された。ジェラルド様と向かい合うように座って顔を見た。いつも冷静な無表情だけど、今日は本当に無の表情で何を考えているのか分からない。


「オリビア、一昨日は私の分の執務まで代わってくれて感謝している。しかも、私の不在を聞きつけた貴族たちが法案を大量に送ってきたと報告を受けている。本当にすまない」

「………」

「オリビアが忙しい中、女性と酒を飲んでいたのも事実だ。だが、私は仲を深めたいなど思ってもいないし側室を設けるつもりもない」

「では、一夜限りの関係ということですか?」

「それも違う」


ジェラルド様は慌てて首を振って私の目を見つめた。そんなジェラルド様の言葉を補うためかダミアン様が発言をしても良いかと聞いてきた。許可すると一昨日とその前日について話してくれた。


ジェラルド様が開国祭について話し合うために王宮音楽隊の本部へ行った日の夜、音楽隊の指揮者の邸宅に招かれて一緒にお酒を飲んで一晩泊まらせてもらうことになったそうだ。その日は何事もなく終わり、翌日の晩、つまり一昨日の夜は早く打ち合わせが終わったためまたお酒を一緒に飲むことになったそうだ。そして、指揮者が贔屓にしている踊り子たちをジェラルド様に何も告げずに呼んだそうだ。

その踊り子たちは田舎の領地から来た者たちばかりでジェラルド様に婚約者がいることも、第2王子だということも知らずに誘惑しようとしたため罪には問わなかったものの、指揮者は不敬罪に処してパレードでの音楽隊の責任者の解雇を言い渡したそうだ。そして、指揮者宅へ来ていた踊り子たちを帰してから王宮へ戻ってきたそうだ。


「私もオーガストもレーベルトも見ていましたが、ジェラルド様は決して誘惑になびく様子もありませんでした」

「それどころか、酔っていたせいかオリビアに会いたいと何度も言っていたんだよ」

「レーベルト」


ジェラルド様はお兄様を睨んでから側近たちに個室から出るように命じた。だけど、ルーディンクとジークハルトは私の指示がなければ部屋を出ないと言って個室に留まったままだ。


「オリビアと2人になりたい」

「殿下、お嬢様はまだ婚約者であって貴方の妃ではございません。こんな密室で、しかも防音の部屋に2人きりにさせることはできません。お嬢様はもう成人された淑女なのです」

「………何もしない、とは言えないがオリビアが嫌がることは絶対にしない。2人にさせてほしい。頼む」


ジェラルド様が頭を下げるとルーディンクとジークハルトは慌てて頭を上げてくださいと言って私の顔を見た。王子に命令じゃなく頭を下げて頼まれたら、ルーディンクもジークハルトも断れない。2人に外で待つように指示をした。2人が個室を出ると、ジェラルド様は私の横に座った。


「オリビア、心配をかけて本当に申し訳ない。ただ、これだけは覚えていてほしい。私が側室を設けることは絶対にない。オリビア以外を妻に娶る気はない。私にとってオリビア以上の女性は今後一切現れることはない」

「………勘違いをしてしまい申し訳ありませんでした。態度もジェラルド様に対して相応しいものではありませんでした」

「そうだな。オリビアはもっと私に惚れ込んでもいいと思う。私を好きでたまらないという態度を取ってくれなければ」


ジェラルド様は照れくさそうに微笑んでそう言った。私はジェラルド様の襟を掴んで寄せてそのまま口付けをした。


「わたくしは貴方のことが好きで好きでたまりません。本当はジェラルド様からしてほしかったのですが、2回ともわたくしから口付けをするなど、これこそジェラルド様の言う相応しい態度ではありませんか?」


微笑んでジェラルド様の顔を見上げると耳まで真っ赤になっていた。


ああ、この人は本当に私を好いてくれているんだ。


そう実感できたからもう嫉妬心なんてものは完全に消えた。ジェラルド様が真っ赤な顔のまま私に口付けをしようと顔を近付けたけれど、ジェラルド様の唇を手で塞いだ。


「執務が滞ってしまいます。早く戻りましょう」


会えなかった2日間、寂しかったのだから少しくらい意地悪をしても許されるだろう。貴族令嬢らしく優雅に笑みを浮かべてソファから立ち上がった。少し拗ねた顔のジェラルド様は放って個室の扉を開けた。

すぐ前にルーディンクとジークハルトが待っていてその横にお兄様たちが立っていた。

ジェラルド様は拗ねた顔をしたまま少し遅れて個室から出てきた。


「私からしてほしいなんて言っておきながら」

「ここで話す内容ではありませんよ。皆さん、どうか殿下の言葉はお気になさらずに執務を進めてください」

「あとで覚えておけ」


煽りすぎたらしい。ジェラルド様は怒りの籠もった笑みを浮かべて自分の席に着いて書類に目を通し始めた。お兄様とダミアン様とオーガスト様からは同情されて、ルーディンクとジークハルトからは呆れたような視線を向けられた。とりあえず、しばらくは2人きりにはならないように心掛けよう。

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