宣戦布告
レティシア王女がアーデストハイト王国へ来て15日が経った。王宮での生活に慣れてきたようで生き生きと過ごされている。そんな王女は毎日のように違う令嬢たちとお茶会をしている。お陰でジェラルド様と2人になる心配はしなくて済むけれど。
執務机に向かって、報告書を読んで重要事項だけジェラルド様の机へ持って行きその他の物は資料室へ持って行く。文官たちからも資料室へ持って行く報告書を預かってまとめて抱えて資料室へ向かう。いつも一緒に来てくれるのはジークハルトだ。
資料室に着くとすぐに鍵と扉を開けてくれる。
「ジークハルト、これを一番上の棚へ収納してください」
「承知いたしました」
全て収納して鍵を閉めて執務室へ向かった。廊下を歩いていると、色付き始めた庭の木の葉が目に入った。ついこの前まで夏だったのにもう秋がやって来た。秋の終わりには建国祭があるからそれまでは執務が忙しくなると言うけれど正直あまり忙しくなった感じがしない。
「今年の建国祭はオリビア様もパレードに参加されるので近付いてきたら忙しさを実感するのではないですか?」
「そうですね。あまり実感したくはありませんけど」
執務室へ戻ると改めて執務を始めた。
数日後、午前で執務を終えるとレティシア王女に午後からお茶をしないかと誘われた。特に予定もなかったので快諾するとお茶会室ではなくレティシア王女の泊まっている客室に招かれた。他の者は控えていてほしいと言われジークハルトとルーディンクには外で待っていてもらうことになった。レティシア王女の側近もお茶を淹れると部屋から出ていった。
王女がお茶を口にしてから私もお茶を飲む。いつもはにこやかに話題を振る王女が今日は静かだ。これまでのお茶会で何かあったのだろうか。
「あの、レティシア様。どうかされましたか?」
「………単刀直入に申します」
「はい」
「わたくしはジェラルド様をお慕いしております」
分かってはいたけれど、まさか本人の口から聞くとは思っていなかったので驚いて目を瞬いた。だけど王女は私を気にせず話を続ける。
〜〜〜〜〜
初めてジェラルド様にお会いしたのは9年前のことでした。
ジェラルド様がナディレアスに遊びにいらしたのです。
わたくしは生まれたときから絶世の美女と言われてお父様からも従者からもとても可愛がられて育てられていました。ですが、そんなわたくしを妬んだ第一王妃と第二王妃が自分の子供たちにわたくしと遊ばないように言い聞かせていました。だから、わたくしは兄弟と一緒に遊んだことがありませんでした。
ジェラルド様がいらしたとき、わたくしの絵を描いてくれるとおっしゃったのです。だから庭で絵を描いてもらっていると、兄弟たちが興味を持って近づいてきました。けれど、母親に一緒に遊ばないように言いつけられているので遠目にこちらを見ているだけです。
そんな兄弟たちにジェラルド様が声を掛けると、兄弟たちは周りを見て恐る恐る近付いてきました。
その日初めて、自分の姉たちと話しました。2人の姉たちは優しくて花冠の作り方を教えてくれました。2人のお兄様たちは花冠を作り終わると一緒にかくれんぼをしてくれました。とてもとても幸せな時間でした。
少し日が落ちかけた頃、お姉様たちお兄様たちは部屋に帰ってしまわれましたがジェラルド様がずっと描いていた絵を見せてくれました。
その絵には笑顔の兄2人と姉2人とわたくしが描かれていました。
「レティシア様、よろしければ受け取ってもらえますか?」
「いただきます。宝物にします」
その翌日にはジェラルド様は帰ってしまわれましたが、お姉様たちお兄様たちが第一王妃や第二王妃の目を掻い潜って一緒に遊んでくれるようになりました。そして気がついたらわたくしに宝物をくださったジェラルド様に恋に落ちていました。
〜〜〜〜〜
レティシア王女は照れくさそうに微笑んだ。さすが絶世の美女と言われるだけある。頬を染めた彼女は性別年齢関係なく誰もが見惚れてしまうだろう。私も例に漏れずつい見惚れてしまった。
「ジェラルド様と再会して改めてあの方が好きだと実感しました。なので、婚約者を目指します。こちらの国も一夫多妻が可能なのでしょう?」
「それは、そうですが」
「わたくし、第二夫人でも構いません。ですから、この滞在中にジェラルド様を落としてみせます。オリビア様は妨害されても構いません。わたくし、負けませんから」
「アーデストハイトでは王族はあまり第二夫人、側室を設けません。側室と正室の実家同士が対立し、王子や王女にまで影響が出ることが多いからです」
なるべく感情を出さないように淡々と話すと、レティシア王女は少し考え込んでそして笑みを浮かべた。
「ナディレアスはハインレット公爵家と対立することはないでしょうし、ハインレット公爵家もわざわざナディレアスの王家と対立しようとはしないでしょう?それに、友好国の王子と王女の結婚はアーデストハイトにも利があります。ですから、心配は無用ですよ」
王女の言う通りだ。ただ、私がジェラルド様を独り占めしたいだけだ。だけど決めるのはジェラルド様だ。私のワガママで王女に諦めてくださいなんて言えないし、言ったところで諦めてくれるようには見えない。
こうなったら仕方がない。私は笑みを浮かべて王女の目を真っ直ぐ見た。
「そうですね。では、全力で妨害させていただきます」
「ええ。負けませんわ」
「わたくしこそ」
レティシア王女はすごく素直な人だ。宣戦布告なんてせずにジェラルド様を誘惑してしまえば側室どころか正室になれたかもしれないというのに、わざわざ婚約者である私に宣言するなんて。それだけ自信があるのかもしれないけれど、たぶん真面目なのだろう。正直、ジェラルド様を譲るつもりはサラサラないけれどもしジェラルド様が彼女を婚約者として認めても私は納得してしまうだろう。それくらい、彼女は魅力的なのだ。
それから宣言通り、レティシア王女はさらにジェラルド様への好意を表に出し始めた。私もそれに対抗してジェラルド様を含めた3人でお茶をしたり湖へピクニックへ出かけたりするようになった。ジェラルド様は急に私やレティシア王女に連れ回されるようになって戸惑っているようだけど、未だに王女の好意には気付く気配すらない。
「どうですか?ナディレアスから取り寄せたお茶は」
「爽やかな風味で美味しいです」
「わたくしなんて既に自分用に注文しました。ナディレアスのお茶は本当に種類が豊富で飽きることがありませんね」
「そうだな」
「よろしければジェラルド様にも目利きの商人を紹介しましょうか?」
「レティシア様のお手を煩わせるわけにはいきません。お気持ちだけいただきます」
ジェラルド様はこんな風にレティシア王女に少し遠慮しているけれど、好意に気づいてそうしているわけではなさそうだ。というか、この鈍感王子が自分に向けられる好意に気付くわけがない。レティシア王女が自分によくするのは従姉妹として親しくしているだけだと思っているのだから。
少し王女に同情してしまう。恋敵だけど、王女とは以前に比べて親しくなったのでお茶会の雰囲気は和やかだ。そんな和やかな空気の中、扉がノックされた。返事をすると、入ってきたのは王妃様の側近だった。確か、フィリップ様という名前だった。
「お茶会中失礼いたします。オリビア様、王妃殿下がお呼びです」
「分かりました。レティシア様、ジェラルド様、失礼いたします」
フィリップ様に案内されたのは王妃様専用の温室だ。花が好きな王妃様のために王太子時代に陛下が作られたもので、基本的に王妃様の側近と陛下以外が入ることは許されていない場所だと言われている。そのため一緒についてきてくれたレベッカは外で待機することになり、私は緊張しながら足を一歩踏み入れた。
この温室は少し変わっている。王宮にある他の温室やハインレットの温室は樹木が多いけれど、ここは鉢植えされた花がずらりと並んでいてまるで花畑にいるようだ。王妃様の花好きが窺える。
温室の真ん中にある噴水の近くに真っ白な2人掛けのソファが2つ向かい合って並んでいる。ソファの隣にはちょうどいい高さのサイドテーブルも添えられていて王妃様のものであろうカップとポットが置いてある。
「急に呼び出してごめんなさい」
「いいえ。このような特別な場所にお招きいただけて光栄です」
「いい場所でしょう?わたくしの秘密基地。ここに陛下以外を招いたことはないのですよ」
「ジェラルド様やエドワード殿下もですか?」
「ええ」
どうしてそんなところに招いてくださったのだろうか。ハンネマリー様も招かれていないとなると、少し贔屓されているような気がして気が引ける。そんな私の心情を察したのか王妃様は少し困ったように笑った。
「安心してちょうだい。ハンネマリーとはお互いにちょうどいい距離を保っているだけで、オリビアが思っているよりもわたくしたちは仲が良いのよ。よく子育てについて相談をしてくれるもの」
それなら良かった、と小さく安堵のため息を吐くと王妃様が微笑んだ。
「ハンネマリーも、わたくしが贈り物を渡すと喜んでくれるけれどあなたの心配を真っ先にするわ。普通、王太子妃と第2王子の婚約者はお互いの心配なんてしないものよ」
フィリップ様にお茶を淹れてもらって勧められたクッキーを食べた。ここに呼び出されたからには何か重大な話があるのだろうと思って構えていたけれどこのクッキーのお陰で緊張が解れた。
「レティシアがジェラルドの気を引こうとしているみたいだけど良いのですか?」
「レティシア様が悪いことをしているわけではありませんから。そう理解しているつもりなのですが、2人になる時間がなくなったのは少し寂しいです」
レティシア王女のことは嫌いじゃないし、むしろ好きだ。だけど、レティシア王女が来てからジェラルド様と2人きりの時間がなくなったせいで少し距離が出来た。距離が出来たというのは心の距離ではなく物理的な距離だ。手を繋ぎたくても繋げない、抱きしめたくても抱きしめられない。それが少し寂しく感じてしまうのは私だけなのかもしれない。
「それなら、ジェラルドに素直に言えばよろしいです。2人きりの時間が欲しいと。あの子なら喜んで時間を割いてくれるでしょう」
「困らせてしまわないでしょうか?」
「淑女は好きな殿方は困らせるものよ」
そんなことを当たり前のように言えてしまうなんて、さすが王妃という立場を担っている人だと改めて感心した。
執務の再開の時間になりお茶会が終わると、ずっと気になっていたことを聞いた。
「今日はどうして温室にお誘いいただけたのですか?」
「オリビアがもし、レティシアの行動に不快な思いをしているならレティシアをナディレアスに帰すつもりで話を聞いていたのです」
「不快ではないです!レティシア様と張り合いながらジェラルド様にお菓子を勧めたり庭園の散歩をしたりするのはなんだかんだ楽しいですから」
「話を聞いていて十分伝わりました。あなたとレティシアは恋敵で友人でもあるようですね」
王妃様の言葉に大きく頷くと、優しく目を細めた。そんな王妃様の顔を見上げて笑い返した。
「お心遣いに感謝します、カトリーネ様」
「早くお義母様と呼んでくれる日が来ることを待っていますね」
「………それは、ジェラルド様のお考えもありますから」
王妃様もといカトリーネ様はからかうように笑うと温室を出て行く私を見送ってくれた。例え婚約者の母親であっても義母ではないため王妃であるカトリーネ様をお義母様と呼ぶことは失礼にあたる。だから、ジェラルド様と結婚しない限りお義母様と呼ぶことはない。
将来、ジェラルド様と結婚すると分かっていてもやはり実感はまだまだ湧かない。