嫉妬
学園を卒業してジェラルド様の執務室で執務を手伝い始めた。そして、身近で変わったことと言えば一番はレベッカの監視が解けて私の侍女となって入れ替わるようにユーリが産休に入ったことだろう。ユーリは今年で26歳になる。貴族としては子供を産むには少し遅いけれど、従者の中では平均的な年齢だ。そして、ユーリたちの子供は貴族ではなく従者として育てるようだ。
「ルーディンク、ユーリが産休の間は休暇を取っても良いと言っていたでしょう?取らなくても平気なのですか?」
「私も休暇を取らせていただくつもりでしたが、ユーリが慣れない環境で仕事をすることになったお嬢様の手助けをしてほしいと言うので。それに、エマがユーリのお産の手伝いとして来ているので積もる話もあるようですし」
「そうですね」
元々、私の侍女として仕えてくれていたエマは2度の出産経験を経ているためユーリの助産をしてくれることになった。本当は公爵家お抱えの医者と助産師を手配するつもりだったのだけど、クリスティアナ様も今妊娠していてお産時期が被りそうなのでクリスティアナ様が優先となった。他の出産経験のある侍女たちもその手伝いをすることになる。クリスティアナ様が優先されるのは当然だけど、エマ1人での助産は大変だと思う。クリスティアナ様もユーリを心配してくださっていたけれど産婆の知り合いはいないそうで紹介できないと心を痛めていた。私も産婆の知り合いなどいないのでユーリは初めての出産を産婆なしで行うことになる。
資料に目を通しながら内容ごとに仕分けていく。ユーリの子供はもう10日ほどで産まれるだろうと言われている。それまでに産婆が見つかればいいけれど。
考え込んでいると、トントンと軽く肩を叩かれた。ハッと顔を上げるとルーディンクがジェラルド様の執務机の方へ手のひらを向けた。ジェラルド様はゴホン、と咳払いをして私の顔を見た。
「皆、少し休憩にしよう。オリビア、何か相談があればのるぞ」
ジェラルド様と執務室の隣にある個室へ行ってお茶をすることにした。ダミアン様がお茶を淹れてくれて一口飲んだ。
そして、ユーリのお産のことで悩んでいることを打ち明けた。
「お嬢様、ユーリのことで悩んでいらしたなんて。気がつけなかった自分が不甲斐ないです」
ルーディンクが申し訳なさそうに頭を下げる。だけど謝られることではない。私がただ単純にユーリが心配なだけだ。ユーリは私の侍女だけどそれよりも家族に近しい存在だ。だから、ルーディンクが謝る必要なんて全くない。
「それなら、王族お抱えの産婆を紹介しよう。兄上や私、兄上の子供たちも取り上げた産婆だから腕は確かだ。初めての出産でも心強いだろう」
「良いのですか?」
「ああ。今は王族にも王宮に仕えている者にも妊婦はいないからな。それに、オリビアの大切な人のためならそれくらい易い」
「ありがとう、ございます」
少し不安が和らいでジェラルド様にお礼を言うと、ルーディンクは泣きそうな声で何度も感謝の言葉を繰り返していた。やっぱりルーディンクも不安だったんだろう。
その翌日には産婆がハインレット家へ来てくださって、その2日後にユーリはルーディンクそっくりの可愛い男の子を無事に出産した。産婆曰くとても安産だったらしい。その日は私もルーディンクも執務を休ませてもらってユーリを休ませるためにたくさん働いた。
そして、その翌日に産気づいたクリスティアナ様の子もその産婆が取り上げてくれることになってそちらも無事に男の子を出産した。クリスティアナ様にもお兄様にもユーリにもルーディンクにも感謝されて少し申し訳なくなった。私はただユーリが心配だっただけで手配してくれたのも取り上げたのもジェラルド様と産婆なのに。だけど、4人の感謝を無視することも出来ないのでジェラルド様に伝えておきますと言っておいた。
数日の休暇は忙しく過ぎていって、私は5日ぶりに執務に戻った。去年に比べて私付きの文官が執務に加わることになっているので休暇中も滞りなく執務が進んでいたようだ。それに、人手が増えたので1人あたりの仕事量も随分と減ったとダミアン様が嬉しそうに教えてくれた。
今日はいつもよりも仕事が少なくて、早く終わった。残りの時間をどうして過ごそうかと思って廊下を歩いていると、赤い瞳に真っ白な髪のハンネマリー様にそっくりな男性が大量の箱を抱えて歩いていた。ハンネマリー様の兄のテオダート様だ。
「テオダート様、お手伝いします」
「オリビア嬢。それではお言葉に甘えてこの箱を運ぶのを手伝ってほしい」
「はい」
渡された箱は大きかったけれど、重さはそれほど重くはない。何が入っているのかと問うと手当ての際に身に着ける手袋や看病で使用する口を覆うための布などが入っていると教えてくれた。
医務室まで箱を届けて終わりと思いきやまだ仕事が残っているようでそれも手伝うことになった。どうやら王宮医務室は今、人手不足らしい。なんでも、レベッカの父親に加担していた者が多くいたそうで罪に問われて牢に入れられているらしい。
私にも出来そうな医薬品の在庫を調べて足りないものを注文する仕事を振り分けられて、早速始める。テオダート様は私だけでなくルーディンクや護衛であるジークハルトにまで仕事を振り分けていった。相当忙しいのだろう。
「魔力増幅薬が20と魔力回復薬が13で、風邪薬は足りてる。あとは………」
足りない医薬品リストを作ってテオダート様に手渡すと少し驚いたように目を見開いた。どこか間違えてしまったのかもしれない。少し不安に思っていると、テオダート様は手に持っていた医薬品リストから私に視線を移した。
「オリビア嬢、私の助手をしてくれないか?」
「えっと、」
「今、王宮医務室は人手が不足している。だが、1年前の件があり、そう安安と新しい人材を増やすことも出来ない。だからどうか、力になってほしい」
「テオダート様たちが大変なのは重々承知しました。わたくしも力になれるのであれば手を貸したいと思っています。ですが、これはわたくしの一存で決められることではございません。一度持ち帰って相談してからでも良いですか?」
「もちろんだ」
そんなわけで戻ってすぐにジェラルド様に伝えたところ、少し渋りながらも許可が出た。私付きの文官たちは皆優秀なので私一人分穴が空いても埋めてくれる。それに、ルーディンクはいつも通りジェラルド様の執務を手伝うことになっている。王宮内なので護衛はジークハルト1人で十分ということになった。
今日からしばらくの間、王宮医務室勤務となった私は少し緊張しながら頼まれた仕事を進めていく。本当に人は少ないらしい。テオダート様以外の医者は1人しかいない。だけど、忙しいと言っていたけれど、王宮でそんなに病人や怪我人が出るのだろうかと思っていると早速3人の文官がやって来た。しかも、全員気分が悪そうな顔をしている。
「オリビア嬢、魔力回復薬を3つ頼む」
「はい」
すぐに取って手渡すと、テオダート様は魔力回復薬の瓶の栓を取ると3人の口に乱暴に突っ込んで飲ませた。なんだか、テオダート様の印象とは違って驚いていると1人がははっと笑った。
「毎度面倒をおかけして申し訳ありません、テオ先生」
「笑い事ではない。魔力切れを起こすほど実験を繰り返さないようにと何度も言っているというのに、いつになったら注意を聞いてくれるのだ?」
「これでも魔力増幅薬を使ったのですけどね」
「増幅薬を飲んだのは昨日の朝のことですよ」
「あれ?そうでしたか?」
確かに文官たちは目にクマを作っていた。夜通し実験を行っていたそうだ。文官たちが帰るとテオダート様が魔法具研究所の文官たちだと教えてくれた。そういえば見覚えがある人もいたような気がする。そして、息をつく間もなく患者が次々とやって来た。そのほとんどが訓練を行っている騎士などではなく文官だ。騎士で医務室へ来たのは、魔術開発研究所に所属している騎士だけだ。新しい魔術の威力が強すぎて魔力の爆発のようなものが起こったらしい。
やっと波が去った頃、テオダート様ではない方の医者がお茶を淹れてくれた。
「どうぞ、ジークハルト様も」
「お心遣い感謝します、タルチージオ様」
毒味のためにジークハルトの分も淹れるのであれば、声をかけない。タルチージオ様はジークハルトにも少し休んでほしいと思ってわざわざお茶を淹れてくれたのだろう。
一息ついて少しすると、今度はお父様が部下らしい人を連れてやって来た。お父様たち外交文官は実験を行ったりする部署ではないはずなんだけど。少し驚いていると、お父様と共に来た男性はすぐにベッドに倒れ込んだ。
「三日三晩寝ずに資料を読み漁っていたらしい。少し眠らせてやってくれないか?」
「もう、眠っていますけれどね」
「そうだな。それでは、夜にそいつを迎えに来る。それまでに起きなくても起こす必要はない」
「承知いたしました。お父様もあまりご無理はなさらないでくださいね」
「ああ。気をつけるよ」
それから10日が経った。医務室の手伝いは思っていたよりも忙しくて、ジェラルド様と顔を合わせることはなく過ぎていった。
今日はいつもに比べて医務室へ来る人が少ない。どうしたのだろうかと思いテオダート様に訊ねると研究所に所属している文官たちの発表会があるようで誰も実験を行っていないそうだ。お陰で、ほとんどの患者が実験による負傷をした文官だということを思い知らされた。
いつも忙しいのに、むしろ今日は暇にすら感じる。
「タルチージオ、今日はもう帰りなさい。愛娘が待っているだろう?」
「お心配りに感謝します。それでは、お先に失礼します」
タルチージオ様は慌てて側近たちと帰っていった。私も今日は大丈夫だと言われて医務室を出た。
だけど、ルーディンクはまだ執務中だろうから途中で抜けさせるのはジェラルド様たちに迷惑をかけてしまうかもしれない。どうせ暇を持て余しているのだから、私も執務を手伝おうと思いジークハルトと共にジェラルド様の執務室へ向かった。
久しぶりに執務室の戸を開けると、なんだか皆いつもより落ち着いた雰囲気で執務をこなしていた。どうやら、溜まっていた執務が一通り片付いているらしく手伝いは不要そうだった。
「オリビア、久しぶりに顔を合わせたんだ。せっかくだからお茶でもしよう」
執務室の隣にある個室へ入ると、いつも通りダミアン様がお茶を淹れてくれた。ジェラルド様と久しぶりに会えて嬉しいと同時にどんな顔をすればよいか分からなくなる。
「医務室の手伝いはどうだ?」
「とても忙しいです。それでいて本当に人手が足りていません。テオダート様とタルチージオ様の2人しか医者はいませんし、手伝いをわたくしとジークハルトとお二人の側近の方と行っていましたがそれでやっと回るくらいです。」
「新しい人材なら明日には来るだろう。医者を3人と助手を4人手配してある」
「それなら安心です」
「ああ。だから、オリビアは通常業務に戻るように」
「承知しました」
それから、忙しいながらもなんだかんだ充実した10日間をジェラルド様に話した。侯爵家の次男であるタルチージオ様はお茶を淹れるのが好きで自分の側近たちの分まで淹れて少し困らせたり、テオダート様が文官たちに愛称で呼ばれていたりと楽しい発見があったことを伝えた。
医務室で何よりも盛り上がったのがテオダート様の婚約者候補の話だった。今年で25歳になるテオダート様はまだ婚約されていない。そのため、色んな女性から求婚を受けるらしい。最近、研究所で人気の文官の1人から求婚を受けたようで、怪我をして医務室にやって来た文官から返事はどうするのかと問い詰められていた。断ると言うと、それを聞いた文官たちにどんな令嬢だったら良いのかとテオダート様は好みを探られて珍しく慌てていた。
「あの反応はきっと想っている方がいる反応ですね」
「そうか。テオダートと随分と親しくなったようだな」
「そうですね。忙しいとは言ってもお昼頃は人が来ないのでその間に話していましたから」
「テオダート様と親しくなったから帰り際もこちらに顔を出さずに帰っていたのか?」
ジェラルド様は少し拗ねたような顔で私を見る。これはもしかして、ヤキモチを妬いているのだろうか。前ならどうして不機嫌なのか分からず不安になっていたと思うけれど、今はジェラルド様が私を好きだと知っているからヤキモチも愛おしく感じてしまう。
つい笑ってしまうと、ジェラルド様は拗ねた顔のまま私を見た。慌てて謝るけれどやっぱりなんだか可愛く感じてしまって表情が綻ぶ。
「ジェラルド様もヤキモチを妬いたりするのですね」
「ヤキモチ、なのか?これは?」
ジェラルド様はすぐに振り返ってお兄様に訊いた。お兄様は呆れたように笑って頷くと、ジェラルド様は少し赤くなって視線を逸らした。私は微笑んでジェラルド様の顔を見つめた。
「執務でお忙しいと思って、顔を出さなかったのですがそれで不安にさせてしまったなら申し訳ありません」
「いや、オリビアが謝ることではない」
そう言うとジェラルド様は少し安心したようにため息をついてお茶を飲んだ。
「ご心配なさらずとも、わたくしがジェラルド様以外を好きになることはありませんよ」
そんなことを無意識のうちに口に出してしまった。言った本人である私ですら驚いたのだ。ジェラルド様もお兄様もこの部屋にいる全員が驚いた顔をしたり照れた顔をしたりしている。なんてことを口走ってしまったのだろうかと後悔しながら両手で顔を覆った。
「私もだ」
「そう、ですか」
顔を上げてジェラルド様の方を見つめると、ジェラルド様は少し照れくさそうに笑みを浮かべた。
そして、そんな私たちを見ていたお兄様は少し呆れたように笑った。