番外編 2
寒い冬が明けて、暖かい風が吹く春が訪れました。
今日はわたくしとレーベルト様の婚姻の儀が行われます。冬のうちにハインレット公爵邸へと越してきていたので、両親に会うのは少し久しぶりです。
そういえば、レーベルト様と初めてお会いしたときも今日のように心地良い風が吹く日でした。
あの頃は、レーベルト様と結婚するなんて思いもしていませんでした。
✽ ✽ ✽
あれは、わたくしが学園の2年生になって10日ほど経った日のことでした。いつものように、全ての授業が終わると研究室に所属している友人と別れて女子寮へ向かいます。その途中で騎士志望の生徒が使用している訓練場を通ります。今日からは1年生も放課後の自主練に参加することが出来るようで、真新しい訓練服を着た新入生が多くいました。
その中で、背の高い金髪の新入生らしい男子生徒と同じく新入生である第2王子殿下がお話しされているところに遭遇しました。どうやら盛り上がっているようで少し離れたここまで2人の声が聞こえてきます。そんな2人を微笑ましく見守っていると、殿下のお隣にいた彼と目が合いました。金髪に青い瞳の彼は真っ直ぐにこちらを向いてゆっくりとわたくしの目の前に歩いてきました。
見すぎてしまったのでしょうか。慌てて謝罪の言葉を述べようとした瞬間、彼は真っ赤な顔でわたくしの顔を見下ろしました。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「クリスティアナ・バーネットと申します。バーネット侯爵家の次女です」
「私はレーベルト・ハインレットと申します。クリスティアナ嬢、私はあなたに一目惚れをしました。もしよろしければどうか私と婚約していただけませんか?」
彼はどうやらハインレット公爵家の長男のレーベルト様だったようです。社交界にあまり顔を出さないわたくしはお顔も知りませんでしたが、5大公爵家の1つのハインレット公爵家の方から求婚されるなんて多くの令嬢からすれば夢物語でしょう。
ですが、
「申し訳ありませんが、お断りします。」
そのまま立ち去ろうとすると、後ろから再び声をかけられました。振り返ると相変わらず真っ赤な顔をしたレーベルト様が真っ直ぐこちらを見ています。
「どうしてですか?想い人がいるのですか?」
「いません。ですが、わたくしは例え無理だと仰られても恋愛結婚がしたいのです。ですから、好きでもない方、それも初対面の方と婚約することは出来ません」
恋愛物語が好きでそれに憧れているなんて、子供っぽいところを知ればきっと彼もすぐに諦めてくれると思っていましたが、レーベルト様は違いました。決意の籠もった瞳で改めてわたくしを見つめます。
「それなら好きになってもらうまでです。絶対に私を好きだと言わせてみせます」
「その前にレーベルト様がわたくし以外の方をお好きになるかもしれませんよ」
「私はきっとクリスティアナ嬢以外を好きになることはないでしょう」
レーベルト様は真剣な瞳を向けたまま微笑んで殿下のところへ戻られました。生まれて初めて求婚されてわたくしも少し驚きました。だけど、わたくしにレーベルト様の婚約者は務まらないでしょう。何より、わたくしがレーベルト様の気持ちに応えられる自信がありません。レーベルト様には申し訳ないのですが、わたくしは年上の落ち着いた方の方が好みですから。
その翌日、教室へ行くとクラスメートたちがわたくしに注目していました。寝癖などついていないはずなのですが。疑問に思っていると、友人のメアリーが少し興奮したようにわたくしのところへ来ました。
「ティアナ!レーベルト様から求婚されたって本当なのですか?」
「どうしてそれを」
「本当ですのね!学園中で噂になっていますよ。しかも、ティアナが求婚を断ったって。レーベルト様をお慕いしている令嬢たちから反感を買っているかもしれませんよ」
「それでも、学園内でくらいは夢を見ても良いでしょう?」
「そうですね」
わたくしとメアリーは恋愛物語の同志なのです。だから、メアリーは仕方なさそうにわたくしの言葉に頷いてくれました。
休み時間になるとレーベルト様が1人でわたくしの教室にやって来ました。
「クリスティアナ嬢、甘いものは好きですか?」
「嫌いな令嬢は少ないでしょうね」
微笑むと、レーベルト様はパッと明るい顔になってわたくしに招待状を差し出した。
「もしよろしければ、今度の休日にお茶をしませんか?」
すぐに断ろうと思ったけれど、必死なレーベルト様が少し可愛く思えて微笑んで招待状を受け取りました。
「午前中であれば構いませんよ」
「本当ですか!?」
それから、時々お茶に誘われるようになってだんだんとレーベルト様のことを知っていきました。誠実で一途で、日に日にわたくしを好きになってくれているのだろうなということがひしひしと伝わってきていました。そんな彼にわたくしも少なからず好意を抱くようになっていました。だけど、彼の気持ちに応えられるほどの気持ちが自分にあるのか自信がありませんでした。
そんな日々が続いているうちにわたくしは3年生に、レーベルト様は2年生に進級しました。その日はちょうどレーベルト様とお会いしてちょうど1年が経った頃でした。わたくしは同じ侯爵家で幼馴染のイアンから求婚されました。しかも、その現場をレーベルト様に目撃されていたのです。
返事はもう少し考えてと言われて、いつもレーベルト様とお茶をするガゼボへやって来ました。今日ほど自分の情けなさを嘆いたことはありません。小さくため息を吐いて俯いていると、わたくしの向かい側に誰かが座りました。ゆっくりと顔を上げると、1年前よりも大人びたレーベルト様がわたくしの顔をじっと見つめていました。
「クリスティアナ、あの男の求婚を受けないでくれ」
レーベルト様はそう言うと隣に来てわたくしの手を取りました。空気を読んだ側近たちがすぐさまガゼボを出ていってしまったので、レーベルト様と2人きりです。どうにかなりそうなくらい、心臓が速く鳴ります。
「私は誰よりもクリスティアナを愛しているし、絶対に幸せしてみせる。だから、あの者ではなく私の求婚を受けてくれないか」
「落ち着いてください、レーベルト様。わたくし、イアンの求婚を受けるつもりは元からありませんから」
「本当か?」
「ええ」
わたくしは自分の顔が熱くなるのを感じながらもレーベルト様の手を握り返しました。
「気持ちに自信を持てなくて言うのが遅くなってしまいました。わたくしも、レーベルト様が好きです。愛しています。レーベルト様の求婚を喜んでお受けします」
その瞬間、レーベルト様の目から涙が溢れたのはわたくししか知らない事実です。わたくしは初めて自分と同年代の男の子が泣く姿を見ました。貴族社会では泣く騎士は心が弱く情けないと言われますが彼の涙からは本当に一途にわたくしを想い続けてくれていたことが分かりました。そんな彼がとても愛おしく感じてそっと抱きしめました。わたくしは本当に幸せ者です。
✽ ✽ ✽
クリスティアナの控室の扉を叩くと、中からどうぞと声が聞こえた。そっと扉を開いて中に入ると、美しいドレスに身を包んだ私の女神が微笑んでいた。
初めて会った日からクリスティアナは私の女神だ。明るい茶色の髪に深緑の瞳は森の精霊を思わせる。
「レーベルト様、今日は一段と素敵ですね」
クリスティアナは白い頬を桃色に染めて私の方を見た。そんな彼女が愛おしくて仕方がなくてすぐにでも口付けをしたかったが、せっかくの化粧を落とすのが申し訳なくて我慢した。
「クリスティアナも本当に美しいよ」
「ありがとうございます」
照れたように微笑む彼女もまた可愛くてつい表情が緩んでしまう。本当にクリスティアナと結婚出来るのか今さら不安になってきた。もし、これが夢であれば一生覚めたくないくらい幸せな夢だ。
「1つだけ、質問しても良いか?」
「いくつでも質問をしてくださって良いですよ」
「私は何があっても公爵の爵位を継ぐことはない。生涯ジェラルド殿下の護衛騎士でいるつもりだ。それでも、クリスティアナはこの結婚を後悔しないか?」
「しません。わたくしは地位のためにあなたと結婚するわけではありませんよ。地位が欲しいなら、あなたの求婚を即答で受けたに決まっているではありませんか」
「そうだな」
「レーベルト様、改めて申し上げます。わたくしはレーベルト様が好きで愛しているから結婚するのですよ」
そう言うよな、クリスティアナなら。分かっていたけれど不安になってしまった。クリスティアナは滅多に愛していると言わない。私が愛していると言ってもわたくしもと同意をするだけで言葉にしない。わざと私をからかっているのだ。だけど、こうして不意に伝えてくるからこちらとしては動揺せずにはいられない。本当にクリスティアナは昔から賢い。
婚姻の儀が始まる時間になると、クリスティアナと一緒に広間へ向かった。扉の前で立ち止まって腕を組むと執事がゆっくりと扉を開けた。
婚姻の儀は親族や友人の前で愛を誓って契約書にサインをする。そして婚姻を結んだ証にお互いローザの花をモチーフにした何かを贈り合う。私はローザ柄の扇子を贈って、クリスティアナからはローザと王宮騎士団の刺繍が入ったマントをもらった。
婚姻の儀が終わるとそのまま披露パーティーを行う。クリスティアナは友人に囲まれて幸せそうに笑っている。そんな彼女に見惚れていると、後ろから小突かれた。こんなことをしてくる人は2人しかいない。振り返ると予想していた片方の人が立っていた。
「レーベルト、結婚おめでとう」
「姉上!来てくださってありがとうございます。お体は大丈夫ですか?」
「ええ。弟と義妹の晴れ舞台だもの。それに子供たちはアルデアートが見てくれてるから心配ないわ」
去年の夏の終わり、双子の女の子を産んだ姉上はさらにたくましい母の顔で微笑んだ。義兄上に可愛い娘が2人も増えて親バカに拍車がかかっている。
「クリスティアナを呼んできましょうか?」
「レーベルトよりも先に挨拶を済ませてあるわよ」
「実の弟の私よりもクリスティアナを優先するのはどうかと思いますけど」
「大切な義妹だもの。良い関係を築くためにも優先するのは当然でしょ?」
「そうですね」
姉上とオリビアはクリスティアナと友人だと間違えるくらい親しい。良い関係が築けているのはいいけれど、私や義兄上やジェラルドは3人の中に入っていけない。だから、こっちの寂しい思いを少しは味わってもらうために今度は男だけで集まってやろうかと企んでいる。
姉上は学生時代の友人に挨拶に行くと言って立ち去ると、入れ替わるようにオリビアとジェラルドがやって来た。相変わらずジェラルドは王子だというのにオリビアといるときはナイトにしか見えない。
「おめでとう、レーベルト」
「おめでとうございます、お兄様」
「ありがとう、二人とも」
「今日のお兄様とクリスティアナ様はいつも以上に素敵でした。わたくし、自分の婚姻の儀が待ち遠しくなってしまいました」
「婚姻」
そう呟いて顔が赤くなったジェラルドが何を考えたのかは何となく察しがついた。だが、オリビアの兄として一応言っておかなければならない。
「オリビアはまだ未成年だからな」
「わかっている」
「夏には成人ですけれどね」
「余計なことは言わなくていい。ジェラルドもオリビアが成人したからって学園を卒業する前に手を出そうとしたりしたら許さないからな」
「肝に銘じておく」
ようやくオリビアにも意味が伝わったようで顔を真っ赤にして余計なお世話です!と怒られてしまった。怒るならジェラルドを怒れ。婚姻と聞いて真っ先に初夜を思い浮かべるような奴がオリビアの婚約者だなんてこの先が心配だ。まあ、私もクリスティアナとの婚姻の儀の日程が決まって全く想像しなかったわけではないが。
「オリビア、私が悪かったからもう怒らないで」
「仕方ありません。クリスティアナ様に告げ口で許します」
「待って!オリビア!それだけはやめて」
「冗談ですよ」
「驚かせないでよ。ジェラルド、笑うな」
ジェラルドを睨んでオリビアには微笑んだ。王族に対してこの態度は不敬だと言う者もいる。だけど、さすがに公の場では殿下と呼んでいるが、ジェラルドにこのままでいてほしいと頼まれた手前特に直すつもりはない。