初めての贈り物
お姉様の息子が生まれて2週間ほどが経った。
やっと、ブランケットへの刺繍が終わった。
この世界の文字でアレン、と刺繍されたブランケットを見てお母様は笑顔で頷いた。
お姉様に渡せる出来栄えではあるらしい。
まだ会ったこともないのに、甥っ子というだけで可愛く感じてくるのはどうしてだろうか。
早速お姉様に手紙を書いて、2日後にブランケットを渡しに行くことが決まった。
楽しみだな。早く、お姉様とアレンに会いたいな。
「ずいぶん楽しそうだね」
ルンルンと浮かれた気分で読んでいた歴史書から顔を上げると、王宮に行っていたはずのお兄様が目の前にいた。
「お兄様。おかえりなさいませ」
「ただいま、オリビア。そうだ。明後日、姉上に会いに行くのだろう?私も一緒に行ってもいいか?」
「それは、もちろんです。でも、剣のお稽古はなさらないのですか?」
「いや、剣の稽古をするために行くんだ」
理由が分からずに首を傾げると、お兄様は教えてくれた。
いつも、ジェラルド王子と共に剣の稽古をしていて、教えてくれているのがお姉様の旦那様であるアルデアート様らしい。
そのアルデアート様が明日は私とお母様とお父様を迎えるために剣の稽古をつけられないと言ったそうだ。
ジェラルド王子もお兄様も剣の稽古はなるべく毎日行いたいと思っていたため肩を落としていると、アルデアート様が騎士団の稽古場で良いなら稽古をつけられると言ってくれたそうだ。
なんでも、アルデアート様の屋敷は騎士団の稽古場のすぐ隣にあって私たちも長居する訳では無いから、その後に稽古をつけてもらうことになったらしい。
だから、お兄様もアレンとお姉様に会いに行ってそれから稽古をするのだそうだ。
「早くアレンとお姉様に会いたいですね。なんて言ったって、アレンは甥っ子ですから」
「そうだね。義兄上曰く、髪色は姉上と同じ淡い赤色をしているそうだよ」
「へ〜。楽しみです。きっと可愛いのでしょうね」
お姉様は私達姉弟の中で唯一、お父様に似た淡い赤色の髪を持っている。
お兄様は髪色や瞳の色はお母様似なのに、お姉様はすごくお父様に似ている。
私は、父方のお祖母様の若い頃にそっくりだそうだ。
特に明るい金髪と笑った顔がお祖母様を幼くしたくらい似ているとお父様が言っていた。
夕食のときも、勉強のときもまだ見ぬ甥っ子への思いで溢れていた。
前世で家族なんていなかったからか、家族が増えるっていうのが嬉しくて仕方がない。
鼻歌を歌いながら勉強をしていると、気が付いたらもう計算の教科書を終えていた。
まあ、方程式より全然簡単だからね。
あとは古語と歴史か。
古語はまだ量が少ないから良いとして、歴史は多すぎる!
歴史書、既に300ページくらい終わってるはずなのに、まだ半分以上ある。
元々10歳になる前くらいに終わらせる量らしいから仕方ないけど。
「ねぇ、エマ。計算の教科書、終わってしまったのだけど学園の入学前の計算ってこれで全部?」
「はい。それにしても、もう終わらせてしまうなんてさすがお嬢様です。普通は10歳に終わるくらいの内容なのに、お嬢様は本当に聡明なのですね」
「ありがとう。それよりも、どうして10歳なのですか?学園は13歳からですよね?」
「あ、それは、10歳頃に貴族の子供は魔力が出現するのでそれ以降は魔力の扱いを練習しなければならなくなるからでしょうね」
魔力?この世界って魔力なんてあったんだ。
この記憶はオリビアとして生きてきた中でもない。
「魔力、ですか?」
「はい。でも、詳しくは魔力が出現するまで知らなくても良いでしょう。昔、ある貴族がまだ9歳だというのに無理に出現させようとして命を落としたことがあるそうなので」
「そうですか。気を付けます。ありがとう、エマ」
そっか。
子供にはあまり伝えないことだからオリビアは知らなかったんだ。
納得しつつ、分厚い歴史書を閉じた。
この国は建国してもう2000年以上も経ったらしい。
それにしてはこの歴史書は薄いかもしれない。
結構要約されているのだろう。
明日はついにアレンとお姉様に会いに行く日だ。
今日は早めに寝よう。
パジャマに着替えてベッドに入った。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
「おやすみなさい、エマ、ユーリ」
楽しみで中々寝付けなかった。
エマに起こされたのは体感で4時間ほど眠った後だ。
正直、少し明るくなるまで寝られなくて目が冴えていたため多分本当に4時間か5時間しか寝ていない。
けど、それでも眠くないのはアレンとお姉様に会えるのが楽しみだからだろう。
我ながら子供みたい。
まあ、本当に子供なんだけど。
伸びをしてベッドを降りると、ユーリがクローゼットを開けた。
「お嬢様、今日はどんなドレスにいたしましょうか」
「その薄い緑のドレスにします」
「でしたら、少し大人っぽい髪型にしましょう」
「お願い」
いつも通り着替えはユーリ、髪はエマが整えてくれて今日は部屋で朝食をとった。
お母様とお父様も準備に気合いが入っている。
まだ、アレンは生後間もないため目が見えないけれど若い祖父母だと認識されたいらしい。
やっぱり2人も初孫に会えるのは楽しみなのだろう。
朝食を終えて、プレゼントをユーリに持ってもらって部屋を出た。
広間に全員集合して、馬車でお姉様の住んでいる屋敷へ向かった。
「オリビア、少し落ち着きなさい」
「はい。すみません」
注意をするお父様だって落ち着いてください。
少しムッとした顔でお父様の方を見ると照れたように笑って、頬を掻いた。
屋敷に着くと、何度か会ったことのあるアルデアート様とお姉様の侍女頭である少し厳しそうな年配の女性が出迎えてくれた。
お姉様のいる温室に案内されて家族総出で向かう。
少し緊張しているせいか顔が強張ってしまうけれど、なんとか笑顔を作って温室に入った。
お父様と同じ淡い赤色の髪を上げて一つのお団子にしている美人な女性は小さな赤子に微笑みかけて子守唄を歌っている。
レナーティアお姉様だ。
アルデアート様は愛おしそうにお姉様とお姉様が抱き抱える赤ちゃんを見ている。
幸せそうだな。
私も幸せになれるのかな。
いや、私は今でも十分幸せだ。
前世に比べて優しい家族もいて、お金もあって、何不自由なく暮らせているんだから。
幸せ以外の何ものでもない。
「レナーティア、皆が会いに来てくれたよ」
「ありがとう、アルデアート」
お姉様とアルデアート様は同じ公爵家だからか崩した口調で会話をしている。
本当に仲が良いんだ。
「お姉様、お久しぶりです」
「あら、オリビア。見ないうちに大きくなったわね」
「はい。わたくし、いつかお姉様の背を越せるくらい大きくなります」
「楽しみにしているわ」
「あの、それで、今日はこれをお贈りしたくて」
私はユーリから包みを受け取ってお姉様の侍女に渡そうとすると、アルデアート様がお姉様の元へ行きアレンを抱き抱えた。
私はなるべく優雅にはしゃいだ様子を出さないようにお姉様の元へ行って包みを渡した。
「頑張って、刺繍しました」
「開けても良いかしら?」
「はい」
お姉様はゆっくりと包みのリボンを解いて、中からブランケットを取り出した。
アレンと刺繍した隣に、カリレラという花の刺繍をした。
その花はお姉様がアルデアート様から求婚されるときにいただいた花だそうだ。
お姉様の元侍女に聞いて、その花の刺繍もした。
一応、お母様からの許可は下りたけど、気に入ってもらえなかったかと不安になって顔を上げるとお姉様は青の瞳を少しを潤ませてとても嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう、オリビア。大切に使わせてもらうわね」
「気に入っていただけたのなら良かったです」
それから、アレンはベビーベッドに寝かされてお父様とお母様とお兄様と一緒にアレンの寝顔を窺った。
髪色はお姉様ににているけど、顔立ちは赤ちゃんなのに男の子と分かる。
「可愛い。アレン、オリビアです。いつか、名前呼んでね」
「私はオリビアの兄のレーベルトだよ。アレンの叔父だよ。騎士になるなら一緒に稽古しような」
お兄様ってば、生まれたばかりのアレンともうお稽古をする気満々だよ。
お姉様も少し苦笑してお兄様の方を見ているけど、アルデアート様はそうなると嬉しいなとお兄様と一緒に笑っている。
「姉上も、あまり無理をなさらないでください。義兄上が心配していますよ」
「アルデアートが心配性なだけよ。私はもうすっかり元気だというのに」
「いや、けど、出産っていうのは大仕事なんだろう?もう少し安静にしてくれないか?頼むから、私が帰るまで起きて待っているとか、そんな体に負担がかかるようなことはしないでくれ」
「あら、それなら早く帰ってこれば良いでしょう?旦那様が」
「拗ねるとそうやって遠ざけた呼び方をするのは止めてくれ。寂しいだろう」
アルデアート様って、なんか犬みたい。
でも、お姉様のことが大好きなのは伝わってくるしお姉様がアルデアート様を大好きなのも伝わってくる。
ふふっと笑って2人の顔を見上げた。
「わたくし、いつか結婚したらお姉様とアルデアートお義兄様のような夫婦になりたいです」
そう言うと、2人は少し赤くなった顔で笑った。
照れたように笑う2人もやっぱり幸せそうに見えた。
私もいつか、誰かを好きになることがあるのかな。
「それじゃあ、私はそろそろ仕事に行って来る。レナーティア、元気でな」
「はい、お父様」
お父様は側近と共に温室を出て行った。
私とお兄様とお母様もあまり長くいてお姉様の負担になってはいけないからと温室を出た。
お母様はこのあと、そのままアルデアート様のお母様とお茶をするらしく私はそこに混ざりたくないためお兄様の稽古の見学に行くことにした。
アルデアート様とお兄様と一緒に馬車ですぐ隣にある騎士団の稽古場に向かった。
隣ではあるものの、屋敷から門までの道が長いため私に配慮して馬車を準備してくれた。
稽古場に着いて馬車を降りると、訓練中の騎士たちの声が聞こえてきた。
お兄様の後ろに隠れるように訓練場を観察しながらアルデアート様の後に続いて歩いた。
既にジェラルド王子が来ていて、今はアルデアート様のお父様である騎士団長に稽古をつけてもらっているらしい。
そのジェラルド王子は訓練場で騎士に紛れて剣の素振りをしていた。
王子なのに、本当に騎士みたい。
騎士団長がジェラルド王子に声を掛けると、ジェラルド王子は剣を振るのを止めてこっちに歩いてきた。
慌ててお兄様の後ろから出て、スカートを摘んで礼をした。
「ジェラルド王子、またお会いできたことを光栄に思います」
「オリビア嬢、どうしてここに。姉と甥に会いに行っていたのではないのか?」
「はい。ですが、お母様とケイリー様がお茶をするらしいのでわたくしはお兄様のお稽古の見学に来たのです」
「お茶をしなくても良かったのか?」
「わたくし、一度でいいから騎士の訓練を見てみたかったのです」
お茶会なんてしたくない。
話に入る隙なんてないだろうし、何より、相槌がめんどくさい。
そんなことは言えないから騎士の訓練が見たかったってことにしておこう。
ジェラルド王子も納得したのかそれ以上訊いてくることはなかった。
お兄様が来たからとジェラルド王子とお兄様は騎士たちから少し離れたところで訓練をすることになった。
お兄様も最初に素振りをして、木でできた人形に木剣を打ち込む。
しばらくそれをやった後、アルデアート様が地面に手をついてお兄様たちと同じくらいの大きさの土人形を作り出した。
しかも木製の人形と違って動いている。
驚いて目を見開くと、アルデアート様が説明してくれた。
「僕の属性は土と火だから、土人形を作り出して操れるんだよ。2人にはこの土人形と対人訓練をよくしてもらっているんだ」
属性とかあるんだ。
なんか、すっごいファンタジー。
お兄様とジェラルド王子が土人形を倒すまで見守っていたけど、2人とも同じくらいの強さなのかほぼ同時に土人形を倒した。
土人形との対人訓練が終わったと思うと、今度はアルデアート様が2人の前に行った。
「じゃあ、今日も私に攻撃をしてください。2人のどちらかの攻撃が一発でも入ったら私は木剣を持ちます」
アルデアート様はにこりと微笑んで2人の間に立った。
2人は顔を見合わせて、木剣を握ると順番に攻撃を打ち込みに行ったり同時に打ち込みに行ったりと様々な方法で攻撃していた。
それでも、アルデアート様は攻撃を避けたり木剣を片手で掴んだりと全然攻撃は効いていない。
長くなりそうだから休憩用っぽいベンチに座って見ることにした。
なんか、少し温かい気がする。
ゆっくりと目を見開くと、見覚えのないコートが駆けるていた。
昨日、中々寝付けなかったせいで途中で寝ちゃったんだ。
ふわぁ、とあくびをすると、お兄様とジェラルド王子はアルデアート様と騎士団長と喋っているのが見えた。
これ、誰のコートだろう。
お兄様、今日、こんなコート羽織ってたっけ?
疑問に思いながらもやっぱり少し寒いのでコートを羽織った。
少しすると話し終わったのか、お兄様とジェラルド王子がこっちに歩いてきた。
「あ、お兄様。これ、お兄様のコートですか?寒かったので助かりました」
「いや、ジェラルドの物だよ」
「へ………。で、殿下の物だなんて知らずにすみません。お気遣いありがとうございます」
慌ててコートを脱いでジェラルド王子の側近を探すと、ジェラルド王子は首を横に振った。
困惑してお兄様に視線で助けを求めると、ニヤリと笑って顔を背けられた。
「あの、殿下。こちらのコートはどうすれば」
「寒いのならば羽織っていれば良いだろう。コートは今度、レーベルトを通して返してくれれば良い」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言ってもう一度コートを羽織った。
やっぱり温かい。
「殿下は寒くないのですか?」
「私は訓練を終えたばかりだから寒くない。それに、寒くなってもまだ予備のコートがある」
「そうでしたか。それなら良かったです」
少し大きいけれど、大人にコートを借りるよりは全然大きさが合う。
それに、ドレスの上から着るから少し大きいくらいのほうが着やすい。
ジェラルド王子は馬車が迎えに来ると側近と一緒に帰っていった。
私もお兄様とアルデアート様と一緒に隣の屋敷に戻ってお母様と合流して一緒に馬車で帰ることになった。
お母様は私を見てすぐにこのコートはジェラルド王子の物だと見抜いて、お兄様や側にいたユーリに事情を尋ねた。
お兄様は簡単に説明してから馬車に乗るように促した。
「オリビア、そのコートはオリビアが自分で王宮に返しに行きなさい」
「でも、許可もお招きも受けていないのに王宮に行くなんて」
「いいえ。レーベルトを通して返すなんて王子が許可したとはいえ王族に対して無礼です」
え〜、王宮に行くの?
せっかく王子が来なくてもいいって言ってくれたのに。
勉強時間が減るのは嫌だな、と思っているのがお母様にバレてしまったらしい。
お母様はにっこりと目が笑っていない笑顔で私を見た。
「わたくし、自分でコートをお返しに行きます」
「それでは、今日の夜には王宮に連絡しておきますね。明日、レーベルトと共にオリビアが王宮に向かいますと」
「明日、ですか?」
「何か問題でも?」
「いえ」
寒かったから助かったのは本当だけど、今はジェラルド王子の優しさが憎い。
だって、王宮にコート返しに行ってそれじゃあ帰りますなんて出来ないし。
あと2日くらいで古語の教科書を終わらせたかったのに。
屋敷に帰って夕食を終えてすぐに部屋に帰って寝た。