第2王子と初対面
日が昇ってくると、エマとユーリが私を起こしに部屋にやってきた。
今日は夢見が悪かったせいで、いつものように何度も声を掛けられることはなく起きて朝の支度をした。
エマもユーリも朝の支度にいつも以上に気合を入れている。
ドレッサーの前に座るとエマが私の髪をとかし始めた。
「今日は待ちに待った建国祭ですね!お嬢様の社交界デビューが無事に成功することを祈っておりますね」
ニコニコと笑うエマを鏡越しに見ながら笑顔を返す。
こんな様子のエマに全く待ってなかったなんて言えないな。
午前中は王族が街のパレードに参加するため、貴族の建国祭が始まるのは午後からだ。
私は昼までは自由時間を与えられて、やっと勉強をすることができる。
嬉々として勉強をしている私を見て、エマは不思議そうに首を傾げた。
「お嬢様、お勉強は楽しいのですか?」
「知らないことを知れたり出来なかったことが出来るようになるので楽しいですよ」
それに、何かに集中していれば他のことを考えなくて済むから勉強は私の逃げ道だった。
「エマはお勉強が好きではないのですか?」
「そうですね。学生時代もあまり好んで自分からすることはなかったですね。あ、でも、刺繍の授業や音楽の授業は好きでしたよ」
私は刺繍と音楽の方が嫌かも。
けど、学園に入るまであと7年もあるから、ある程度は上達するはず。
刺繍や音楽のことは置いておいて、とりあえず久しぶりの自由時間を有意義に過ごせるように勉強に集中した。
お昼過ぎになるとドレスに着替えるために先に湯浴みをした。
湯浴みを終えると、髪をしっかりタオルで拭いて乾かしている間に髪飾りを選んで髪を編み込んでもらう。
髪を編み終えると、今度はドレスに着替え始める。
薄紫をベースとしたドレスで、フリルやレースがたくさんついている。
正直、前世で15歳まで生きていた私からすると、少し子供っぽくて好みではないけれど、鏡に映る自分は6歳の少女のため特に違和感はない。
イヤリングとネックレスもつけると完成だ。
着替え終わった私を見て、エマは目を輝かせて笑った。
「とても素敵です、お嬢様」
「ありがとう、エマ」
ユーリもエマの言葉にゆっくりと頷いてドレスに合わせて特注した靴のリボンを結んだ。
2人がせっかく頑張ってくれたけど、やっぱり舞踏会なんて行きたくない。
心の中でため息をついて広間に向かった。
お父様とお母様とお兄様が待っていて、全員で揃って馬車に乗って王宮に向かった。
「オリビア、そのドレス似合ってるね」
「ありがとうございます、お兄様。お兄様も新しい衣装、すごく素敵です」
「ありがとう」
王宮に着くまで緊張を紛らわせるようにたくさんお兄様と話した。
馬車から降りると、舞踏会の会場まではお兄様がエスコートしてくれた。
生まれて初めてのエスコートに少し戸惑いつつも、8歳の男の子なのにすごく頼りになるなと思いながら顔を見上げていた。
会場に着いてしばらくすると、王族が入場してきた。
国王陛下が席の前に着くと、緊張感が走ってシン、と静まり返った。
陛下はグラスを掲げて会場一帯を見回した。
「今年も無事にアーデストハイト王国の歴史を刻むことができたことに感謝と喜びを。さぁ、皆の者、盛大に祝ってくれ」
その言葉に続くように、それぞれ近くの者とグラスを交わした。
ダンスタイムが始まると、やっぱり想像通り第2王子であるジェラルド様が私の方にやって来た。
お兄様も頑張れ!と言いたげな目で私を見ている。
ジェラルド王子は迷わず私の前まで来ると水色と銀色を合わせたような色の髪を揺らしてゆっくりと手を差し伸べた。
そして宝石のように綺麗な緑の瞳で私の顔を見下ろしていた。
「ハインレット公爵令嬢、私と一曲踊ってはいただけないだろうか」
その瞬間、周りの令嬢や令息たちが私に注目しているのが分かった。
どうして今日が社交界デビューの私に、と思っている令嬢もいるのだろうか。
緊張で固まっている私を見てか、クスクスとした笑い声も聞こえてくる。
「………ぁ」
どうしよう。上手く声が出せない。
もう、あの声じゃないのに。
泣きそうなのを我慢していると、王子がボソリと呟いた。
「声が出せないのか?」
コクリ、と小さく頷いて顔を上げると、王子は私の目を真っ直ぐ見つめた。
「それなら、声は出さなくて良い。礼をして私の手を取るんだ」
頷いて、私は練習通りにスカートの裾を摘んで礼をして王子の手に自分の手を重ねた。
ダンスが始まると、周りの目よりも王子の足を踏んでしまわないかという方が心配になってさっきまでの嫌な記憶は頭の隅に追いやられた。
なんとか無事にダンスを終えて、お兄様と共に一度控室に戻ることにした。
少し時間差を空けて第2王子も控室へやって来た。
ソファに座っていた私は慌てて立ち上がると、第2王子は座っていろと言って私の前にやって来た。
「あの、先ほどは申し訳ございませんでした」
「案ずるな。周囲の者も君が今日社交界デビューだということは知っている。そこまで気にしている者はいないだろう」
「そう、ですか。良かった」
ホッと胸を撫で下ろすと、王子が私の顔を覗き込んできた。
「今は声が出るのか?」
「はい。先ほどは大勢の方々から注目を浴びて緊張してしまい、声が出なかっただけなので」
「そうか。それなら時期に慣れる」
慣れる、かな。
大丈夫だよね。前とは違う声なんだもん。
「緊張することはないよ。もし、失敗しても私がフォローするからオリビアは笑顔でいること。分かったかい?」
「はい。ありがとうございます、お兄様」
微笑んで頷くと、お兄様も微笑んで頷いた。
王子は私とお兄様を見比べて、感心したように息を吐いた。
「レーベルトも妹の前では兄らしい振る舞いをしているのだな」
「それはどういった意味だろうか」
「そのままの意味だ」
睨み合っている2人をみていると、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
「お兄様と殿下は本当に仲がよろしいのですね」
「まあ、ほとんど毎日顔を合わせているからね」
貴族同士の会話は基本的に敬語だ。
たとえ、家族や友人であってもそれは変わらない。
ただ、同じ爵位であれば崩した口調で話すことも稀にある。
それでも、王族との会話は公的なものであれば必ず敬語を用いらなければならない。
そんな貴族社会で崩した口調で話すのは相当仲の良い親友同士か同じ主を持つ側近同士だけだ。
「オリビア嬢もこの舞踏会で友人が出来ると良いな」
「わたくしにもお友達が出来ると思いますか?」
「ああ。きっと」
王子は頷くと先に控室を出ていった。
私もお兄様と共に控室を出て会場に戻った。
ダンスタイムは終わったのか、それぞれが王族に挨拶に行っている。
私達も両親のと合流して、一緒に王族に挨拶をした。
一家の代表として、お父様が挨拶をして私を紹介した。
私は深呼吸をしてから一歩前に出て、国王陛下と王妃様と第1王子であるエドワード殿下とさっきまで話していた第2王子、ジェラルド殿下に挨拶をした。
「さすが、エリオットの娘だ。6歳とは思えないほど綺麗な所作だ」
「お褒めに預かり光栄です」
「本当に可愛らしくも聡明なお嬢様ですこと。将来は立派な淑女になるでしょう」
うちのお嫁に来てほしいわ、と聞こえたのは気のせいだったことにしておこう。
噂では、王妃様はエドワード王子が成人間近というにも関わらず婚約者を決めかねているのを見て自分が王妃に相応しい人材を探そうと奮闘しているらしい。
どうかお願いだから、私のことは婚約者候補に入れないでください。
6歳のときに14歳の王子様、しかも第1王子の婚約者なんて荷が重すぎる。
終始なんとか笑顔で乗り切って、王族への挨拶は終わった。
それからも他の貴族から挨拶されたり、娘の紹介をされたりと気が休まることがなく忙しく過ぎていった。
やっと気が休まると思った頃には、今度は11歳以上の貴族のダンスタイムが始まった。
私は会場の端でボーッとダンスを眺めていた。
他の貴族の子供たちは少しずつ仲良くなり始めているけど、私は人見知りが発動して中々話しかけられずにいる。
まあ、話しかけることが出来たとして、仲良くなれるかはまた別だし。
暇だな、と思いバルコニーの方の窓から夜空を見上げた。
冬に近い秋だからだろうか。
今日は星が綺麗に見える。
バルコニーに出るのは肌寒いだろうけど、これだけ星が綺麗なら寒さを我慢して出てみようか。
バルコニーに出るためのドアノブに手を掛けると、ちょうど曲が終わった。
もうすぐお開きか。
バルコニーに出るのは諦めて両親の元へ戻った。
王族が会場から退出していくのを見送ってから馬車で屋敷に帰った。
あ〜、なんかすごく疲れる1日だったな。
今すぐにベッドにダイブしたいけれど、バスタブにお湯を張って待ってくれていたエマとユーリのためにも湯浴みをしてから寝ることにした。
ドレスは着るだけでなく脱ぐのにも少し時間がかかる。
2人はなるべく早く私が休めるようにと湯浴みを終えると急いで髪を乾かしてくれた。
ベッドメイキングはすでに他の侍女がしてくれていて、髪を乾かし終わるとすぐにベットに横になった。
本当に疲れていたせいかすぐに眠りに落ちた。
建国祭が終わると、元の生活に戻った。
ダンスの練習時間は減り、自由時間が増えた。
その自由時間で少しずつ勉強を進めていく。
私は厚さ7cmほどの分厚い歴史書を使って勉強している。
この歴史書と、薄い計算や古語の教科書を全て終わらせるのには少なくとも後5ヶ月はかかるだろう。
刺繍や音楽の練習がなければもっと早く終わるんだけどな。
歴史書を開いて勉強をしていると、お母様の侍女頭が部屋にやって来た。
ユーリに対応してもらおうと思ったけれど、侍女頭が直々に来るなんて大至急らしい。
栞を挟んで歴史書を閉じて、ユーリと共に広間へ向かった。
広間にはお母様がすでに待っていた。
表情には出していないけれど、なんだかいつもより少し緊張感が走っている。
「お待たせいたしました。お話とは何のことでしょう」
「急に呼び出して申し訳ないわね。旦那様とレーベルトが帰ってから伝えても良かったのですけれど、一刻も早く伝えたくて」
何?病気になったとかじゃないよね。
ゴクリと唾を呑み込むと、お母様は満面の笑みを浮かべて私の顔を見た。
「レナーティアが今朝、第一子となる男児を出産したそうです」
「お姉様は、ご懐妊なさっていたのですか?」
「ええ。妊娠中は何があるか分からないからと、レーベルトとオリビアには伏せていたのです」
お姉様は一昨年の16歳のときに騎士団長の息子と婚姻を結んでいて家を出ていたから、記憶を取り戻してからはまだ一度も会っていなかった。
建国祭にも出席していなかったのは、お腹が大きくてもういつ生まれるか分からない状態だったからだそうだ。
でも、そっか。なんか、嬉しいな。
「わたくし、何かお姉様にお祝いの贈り物をしたいです」
「それでは、レナーティアの息子の名前を刺繍してはいかがですか?きっと喜んでくれますよ」
「はい。わたくし、頑張って刺繍します」
すぐに部屋に戻って、刺繍糸を選んだ。
せっかくなら使える物をと思い、ブランケットを準備してもらってそこに刺繍をすることにした。
けれど、先に練習をしなければならない。
私、まだ自分の名前の刺繍もやっとだからもう少し上手くならないと。
誰かに贈り物をするなんて、前世も含めて初めてだ。
燃えてきた!