12歳
前世の記憶を取り戻して、5年と半年の月日が経とうとしていた。
私が8歳になる年にルーディンクとユーリは正式に婚姻を結んで、エマはお母さんになった。
お兄様は10歳の誕生日に魔力が出現し、風と土と火の3属性でジェラルド王子は全属性。
私達一家は貴族の中でも少ない3属性を多く輩出するため、2年後私も風と土と水の3属性の魔力が出現した。
そして、10歳を過ぎた頃から縁談が持ち込まれるようになってきた。
お父様は学園に入るまでは私の意思を尊重すると言い、猶予を与えてくださった。
私はそれを盾に全ての縁談を断っている。
お兄様とジェラルド王子も今年で14歳だけれど、まだ婚約をしていない。
お兄様はハインレット家の跡取りだから、お父様に自由にさせてあげようと言われたお母様は、急かしはしないもののお茶をする度に私に愚痴をこぼしている。
そして、私は12歳になりお兄様とジェラルド王子は学園の2年生になった。
今日から学園が夏期休暇に入ったため、お兄様が我が家へ帰ってくる。
学園があるのは王都だから長期休暇でなくても帰ってこられるのに、お兄様が帰って来るのは1年生から2年生に上がる間の休暇以来で顔を合わせるのは一季節ぶりだ。
お父様も仕事がお休みなので一緒にお出迎えをする。
馬車の到着の知らせが入って、急いで玄関へ向かった。
お兄様は私服ではなく、夏用の学園の制服を着ていた。
そして、隣には明るい茶髪に深緑の瞳の優しげな令嬢が立っていた。
その令嬢もドレスではなく制服を着ている。
「父上、母上、ただいま戻りました。そして、こちらが話していた女性です」
話していたって、私は何も聞いてないんだけど。
お兄様に視線を向けてにこりと笑うとお兄様はすぐに私から顔を背けた。
今の反応、隠してた訳じゃなくて言うのを忘れてたって感じだ。
お兄様はコホン、と咳払いをしてお父様とお母様と私の顔を順番に見て真剣な顔になった。
「改めてご紹介します。こちらはバーネット侯爵家のクリスティアナ嬢です。私が婚約したいと思っている女性です」
お兄様が紹介すると、お父様から順番に挨拶をしていく。
「妹のオリビアです。兄がお世話になっております」
簡潔に挨拶を済ませると、お兄様は婚約の許可を願い出た。
お父様もお母様も特に反対することはなく2人の婚約を正式に認めた。
クリスティアナ様がお兄様より1つ年上なので、夏の間に国王陛下に許可を取りに行くだろう。
貴族の婚約と婚姻は国王陛下の許可が必要になる。
お兄様がクリスティアナ様を送って行くと屋敷を出て行ったのを見送って、はぁ、と息を吐いた。
なんだか少し寂しい。
お兄様が婚約したことはすごく嬉しいし、クリスティアナ様にお兄様を取られたって思うわけではない。
正直、あんな優しい人がお兄様を支えてくれると思うと安心するし素直に嬉しい。
けれど、私よりも先に大人になっていくから、いつか置いていかれて孤独になるかもしれないという不安がある。
お兄様が帰ってきて、夕食の時間まで少しお話をすることにした。
「学園は馬車で往復しても半年も掛からないのですからもう少し帰ってきてくださってもよろしいのでは?」
「寂しい思いをさせて悪かったね。けれど、私も剣の稽古で忙しいんだよ」
「忙しいのに休みの度に王宮に通われているのですね」
「どうして知っているんだ?」
「この間王宮へ伺ったときにアルデアート様にお聞きしました」
お兄様は目を泳がせて、観念したようにため息をついた。
どうやら、ジェラルド王子と共にアルデアート様に一撃を与えることが出来て今は一対一の訓練をしているそうだ。
2人では出来ても1人だと幼い頃のように軽くあしらわれてしまうため、その様子を私に見られたくはなかったらしい。
「兄として格好つけたい時もあるんだよ」
「ジェラルド殿下も同じことをおっしゃっておりました」
「ジェラルドに会ったのか?」
「いいえ。正確には手紙に書いてあったのです」
「文通、まだ続けていたのか?」
「はい。殿下はお兄様と違ってまめな方ですから、入学してから20日おきに一通届けてくださります。お兄様の様子もよく書かれていますから、クリスティアナ様のことは存じておりました」
まあ、今日家に連れてくることは知らなかったけど。
お兄様は知っていたなら先に言ってくれれば良かったのにと仕方なさそうに笑った。
ちょっとした仕返しのつもりで隠していたけれど、お兄様の反応が面白かったからチャラにしておく。
「それよりも、オリビアはやはりジェラルドのことが好きだったんだね」
「今さらなんですか?ずっと好きだと言っていますよ」
「いや、そういう好きじゃなくて。懸想しているわけではないのか?」
「何をおっしゃるのですか?わたくしにとって殿下は兄のようなものですし、殿下もわたくしを妹のように思ってくださっております。あくまでも兄への好きであり、懸想していません」
きっぱり言い切ったのに、お兄様は納得がいかない顔をした。
だって、恋ならジェラルド殿下に早く婚約者を決めてほしいなんて思う筈がない。
殿下が早く婚約者を決めて幸せそうにしてくれれば私としてはすごく嬉しい。
これはどう考えても妹の立場から出てくる感情だと思う。
お兄様が帰ってきて数日後、クリスティアナ様とお兄様の婚約が正式に決まった。
そのお祝いパーティーの日、久しぶりにジェラルド王子と顔を合わせた。
王子も会うのは一季節ぶりだ。
見ないうちに随分と背が伸びた気がする。
元々、私より少し高いくらいで一目で分かるくらいお兄様より低かった。
なのに、今はお兄様と同じくらいか少し抜かしているくらいまで背が伸びている。
これまでこんなに見上げることがなかったから、なんだか落ち着かない。
「お久しぶりです、ジェラルド殿下」
「ああ、久しぶりだな」
前会ったときは少しだったけど、もうすっかり声は低くなっていた。
相変わらず水色と銀色が合わさったような色の髪も緑の瞳も綺麗だ。
「なんだか、よく知っている殿下の筈なのに初めてお会いした方のように感じられます」
「落ち着かないか?」
「いえ、見た目は変わられましたけれど殿下は殿下ですから」
「そうか」
お祝いパーティーの参加者は本当によく知る顔ぶれの者ばかりだ。
何人か知らない顔ぶれの者はクリスティアナ様の友人か親族だろう。
殿下への挨拶を済ませてリゼリーのところへ向かう途中、赤髪にオレンジの瞳の少し年上くらいの男の子に声をかけられた。
「初めまして、オリビア様。私はクリスティアナの従兄弟のルーカス・バーネットと申します」
「初めまして」
「オリビア様、私は貴方に一目惚れをしました。もしよろしければ私と婚約していただけないでしょうか」
この人、本気?
驚いて一瞬言葉に詰まったけれど、すぐに笑顔を浮かべた。
「ルーカス様、このような場で婚約を申し入れるなど何を考えていらっしゃるのですか?私が貴方の申し出を断るとお祝いの雰囲気を壊してしまいます。つまり、貴方は私に選択肢を与えないつもりなのですか?それとも、私に兄と義姉のお祝いの場を壊せと?」
さらに笑みを深めてルーカス様の方を見た。
一目惚れをしたというのは本当だったのか、青ざめて申し訳ございませんと謝った。
けれど私は、後先考えずに行動する人は好きじゃないからお祝いムードを壊してしまうとしてもおことわりだ。
失礼します、と告げてリゼリーの元へ向かった。
リゼリーは私を見て胸の前で手を組んでうっとりと目を細めた。
「今日のオリビア様は一段と素敵です。殿方が一目惚れするのも頷けます」
「ありがとう。リゼリーもすごく素敵ですよ」
「ありがとうございます、オリビア様」
パーティーが終わるまで、リゼリーと沢山お喋りをした。
お開きになると、すぐに主役のクリスティアナ様が私の元へやってきた。
「オリビア様、本日はわたくしの従兄弟が大変失礼なことをしてしまい申し訳ございませんでした」
「社交に慣れていないのでしょうから仕方がありません。それに、クリスティアナ様が謝る必要はございません」
「いいえ。無知だった彼を招待したのはわたくしですからわたくしの責任です」
「では、クリスティアナ様に免じて彼の失態を見て見ぬふりします。わたくしは義姉になる貴方と仲良くなりたいですからクリスティアナ様も引きずらないようにお願いします」
クリスティアナ様は顔を上げて安堵の笑みを浮かべた。
本当に優しい人なんだろうな。
微笑んでクリスティアナ様を見送った。
パーティーの後片付けの邪魔にならないように、私は大広間を出て自室へ戻った。
アクセサリーを外して、ドレスを脱いで湯浴みをして髪を乾かしてもらう。
鏡の前に座って鏡に映る自分を見た。
殿下やお兄様だけじゃなくて、私も随分大人びた気がする。
もう、少女という言葉は似つかわしくない。
これなら、成人済みのルーカスが一目惚れしてもおかしくはないか。
「婚約か」
「お嬢様、お相手を決められたのですか?」
「全く。ねえ、ユーリ。どうしたら人を好きになれるの?」
「わたくしにも分かりません。案外、ご自身で気付いていないだけで誰かを思っているかもしれません」
「ユーリはそうだったの?」
「そうかもしれませんね」
ユーリとルーディンクは婚姻後も前と変わらない。
私の前では仕事仲間としてお互いに接している。
けれど、ユーリが時々自然と笑みを浮かべるようになった。
2人は今、幸せなんだろう。
まあ、私もものすごく幸せだけど。
前世と比べたら本当に恵まれていると思う。
なのに、誰かを愛したいだなんて贅沢な悩みを持ってしまう。
人って段々と貪欲になっていくんだな。
あっという間に夏は過ぎ、夏期休暇が終わったお兄様は学園の寮へ帰っていった。
それから少し経ったある日、社交界はある噂で持ちきりになった。
「ジェラルド殿下に縁談が持ち上がったそうですね」
「有力候補はヘルベンド公爵家とオトメーラ侯爵家だとお聞きしました」
「その2つだと、ヘルベンド公爵家のユリアンネ様をお選びになるのでは?同い年で、幼い頃にも何度かお茶を共にしたことがあるそうですから」
社交界ではジェラルド王子がどちらの令嬢を選ぶのかという話で持ちきりになっている。
私はどちらの令嬢とも挨拶を交わしたことはあるし、お茶会やパーティーで話したこともある。
2人とも、根っからの貴族令嬢という感じで笑顔の裏が読めない。
私としては少し関わるのが怖いけれど、王族の婚約者候補としてはとてもいい条件だと思う。
ただ、いつもクールなジェラルド王子が裏の読めない2人のどちらかと婚約して幸せになれるのだろうか。
エドワード王子は長年の片想いを実らせてハンネマリー様と婚約されたようだし、今は娘と息子が生まれて幸せそうだ。
国王陛下もジェラルド王子に選択権を与えてくださるだろう。
少しでも良い決断をしてくれることを祈るしかない。
どちらかの令嬢がジェラルド王子を想っているのであれば私はそちらの令嬢と婚約してほしいと妹の立場からは思ってしまう。
「お嬢様、旦那様からお話があるそうです」
机に突っ伏して考え事をしていると、ルーディンクが私に声を掛けた。
すぐに行きますと答えて椅子から下りてお父様の待っている談話室へと向かった。
扉の前で待っていたお父様の側近が扉を叩いた。
「旦那様、オリビア様がいらっしゃいました」
「入りなさい」
ルーディンクに扉を開けてもらって失礼します、と部屋に入るとお父様は優しく微笑んで待っていた。
けれど、その眼差しは真剣だ。
座るように促されて、お父様に向かい合って座った。
「オリビア、ジェラルド王子の婚約話は知っているね」
「はい。話題になっていますから」
「レーベルトから聞いたから間違いはないと思うのだけど、オリビアはジェラルド王子と文通をしているそうだね」
「はい。今朝も一通届いたところです」
「そうか。では、まだ返事は送っていないのだな」
お父様の質問の分けが分からず、頷いてすぐに質問を返した。
どうしてそんなことを訊ねるのか、と。
「ジェラルド王子にしばらく文通を辞めるように申し出てほしい」
「え、どうしてですか?」
「オリビアが婚約者候補ではないからだ。どうしても文通を続けたいのであればオリビアが婚約者になれば良い」
「それは出来ません。殿下はわたくしを妹のように思ってくださっています。そんなわたくしから縁談を持ち掛けると困惑されるでしょう」
「それなら、分かるよね?」
「はい。殿下に文通を辞めるように申し出ます」
「すまないね」
お父様が謝ることではない。
これが貴族社会だから仕方ないのだ。
私は所詮、幼馴染で縁談を持ちかけている令嬢や家からとったらただの邪魔者なんだから。
正直、毎回手紙が届くのを楽しみに待ったり、お返事を書いたりするのは楽しかったから続けられるのなら続けたい。
だけど、未だにエドワード王子が王位を継承を発表して自由に過ごせる行動範囲がさらに減ったことに負い目を感じているジェラルド王子に「文通を続けたいので縁談を申し込みます」なんてとても言えない。
なんでも1人で抱え込む彼にこれ以上の悩みの種は不要だ。
無力な私に出来ることは兄のような存在の彼を遠くから見守ることだけだ。