蘇った記憶
コンビニの文具コーナーの前で立ち止まった。
スティックのりとノートを持ってレジへ向かう。
「お買い上げ、ありがとうございました」
ビニール袋を受け取って店の外に出た。
寒くて冷たい風の吹く薄暗い冬の夜は、まるで自分の心を映し出したようで少し心地が良かった。
さっさと家帰って課題を終わらせないと。
そう思いながら横断歩道を渡っていると、どこからかブォーンと車かバイクの走る音が聞こえてきた。
気がついた時には目の前に車がいて、その車にぶつかった瞬間に意識が飛んだ。
■■■
私、花村薫子は物心がついた頃から施設で育った。
施設でも学校でもずっと孤独だった。
だから、別に死んでも後悔なんてない。
ただ、今度こそ幸せになりたい。
孤独感を埋めてほしい。
そんなことを考えていると鋭い光が目の前を通り過ぎた。
思わず両手で視界を隠した。
目の痛みはすぐに引いてゆっくりと目から手を離すと、幼い子供のように小さい手が映っていた。
隣には黒いワンピースにエプロンをつけたメイドのような格好の女性が2人いた。
1人は淡い緑の髪をした背の高い女性で、もう1人は薄い茶色の髪の少し小柄な女性だ。
2人ともお団子をして、髪と同じ色の瞳が涙で潤っていた。
「お嬢様、意識が戻ったのですね」
「え、と」
「お嬢様は2日も熱を出して寝込まれていたのですよ」
「そう、なの、ですか」
少しの頭痛と共に記憶が流れ込んできた。
緑の髪の女性が16歳のエマで、水色の髪の女性が15歳のユーリ。2人とも私の侍女としてこの屋敷で働いているらしい。
そして、私はハインレット公爵家の次女、オリビア・ハインレット。
3人姉弟の末っ子で、なんと、現在6歳という。
いわゆる生まれ変わりというものなのかもしれない。
まさか、9歳も若返るとは。
「エマ、ユーリ。わたくしは大丈夫です。そのように心配そうな顔をしないでくださいませ」
スラスラと敬語が出てきた。
私はもっと普通の話し方のつもりだったけど、体が覚えているように全部敬語に変換された。
なんか、変な気分。
「それではお嬢様、お召し替えをいたしましょうか」
「今日は淡い青のドレスにいたしましょう。お嬢様の綺麗な金髪によく映えますよ」
「では、それでお願いします」
お召し替えを終えて、エマとユーリと共に広間向かった。
そこには私と同じような金髪の少年と女性と男性がいた。
男性は淡い赤色の髪をしていて、女性と少年は2人とも私よりも濃い金髪だけど、瞳は同じ青色だ。
少年は私の兄のレーベルト、女性と男性は私の両親。
もう1人、姉がいるみたいだけど姉は既に他所に嫁いでいて家にはいない。
「お父様、お母様、お兄様、ご心配をおかけしました」
「オリビア、もう体調は大丈夫なのか?」
「はい。平気です」
「建国祭に間に合いそうで良かったわ」
「オリビアも社交界デビューか。楽しみだよ」
「お兄様、舞踏会はお兄様も一緒に付き添ってくださるのですよね?」
「ああ。もちろんだよ」
ホッと胸を撫で下ろして、お兄様を見上げた。
社交界デビューは6歳になる貴族の令嬢と令息が行うもので、2つ年上のお兄様は既に済ませている。
お兄様がいれば安心だ。
「体調が良くなったのなら、3日後には商人を呼んで舞踏会の衣装の試着をしましょう」
「はい」
それからは、社交界へ向けての練習を再開した。
記憶をはっきりと思い出したというのに、元々ダンスが苦手だったせいで全く上手く踊れない。
もうすぐ商人が到着するということで、ダンスの練習を終わらせて会議室に向かった。
既に商人とお母様が到着していて男性の従者と護衛騎士は部屋の外で待っていた。
ドレスの試着をして、一緒にネックレスやイヤリングや髪飾りもつけてみた。
「どうでしょう、お母様」
「とても素敵よ。さすがわたくしと旦那様の娘ね。けれど、やっぱり髪は少し結った方が良いのではなくて?エマ、頼むわね」
「お任せください、奥様」
お母様がすごく乗り気なのは、社交界で多くの貴族との繋がりを作っておくと婚約を結びやすくなるからだ。
この世界では13歳から15歳の貴族が通う学校がある。
そこで繋がりを作ることも可能ではあるものの、高位の貴族は12歳には婚約を済ませている場合が多い。
だから社交界で繋がりを作ろうとするのが一般的だ。
正直、人見知りな私にとっては苦痛でしかないけれど。
ドレスの試着を終えると、お作法の勉強の時間だ。
テーブルマナーはもう大丈夫ということで、挨拶の仕方やダンスの受け方、断り方などを一つ一つ教わる。
その後は音楽の教養と世界の歴史についての勉強だ。
まだ6歳なのにこんなにたくさん勉強するなんて。
そうして勉強が終わる頃には夕食の時間になっていた。
夕食は広間で家族揃って食べる。
お兄様はお父様と一緒に王宮へ行って剣の練習をしていたそうで、少し疲れているように見える。
「訊いたことがありませんでしたが、お父様はどのようなお仕事をされているのですか?」
「オリビアにはまだ話したことがなかったね。私はアーデストハイト王国や他国の歴史についての研究と他国との取り引きを行う外交文官という仕事をしているんだよ」
「では、お父様は外国語も話せるのですか?」
「ああ」
「教えてくださいませ!」
「オリビアがお勉強をすべて終えたらね」
これは頑張らなくては。
前世では、勉強がそこそこ得意だった。
特に英語が好きだった。
自分の使っている言語とは別の言語で意思疎通を図るというのが面白くてたくさん勉強した。
もし、前世に心残りがあるとしたら英検1級を取れなかったことくらいだ。
翌日から猛勉強、というわけにはいかなかった。
建国祭まであと1週間。
私が何よりも頑張らないといけないのは勉強ではなくダンスの練習だ。
音楽だって、1日休むと指が動かなくなるという理由でダンスの練習の合間に詰め込まれている。
かといって、睡眠時間を削って勉強しようとしたら「お肌の調子が悪くなってしまいます。最高の状態で舞踏会に参加するためにお早めにお休みになってください」と勉強道具を取り上げられる。
睡眠時間削ったからって肌の調子が悪くなるわけないじゃん。
6歳児なめんな。
今日も、時間割に入っていた分の勉強しか終わらなかった。
この調子だと、学園に入学する年齢になってしまいそうだ。
歴史はまだしも計算って。
こんなよくわからない式を使わなくても、もっと簡単な方法があるのに。
夕食を終えたあと、お父様に直談判することにした。
「お父様、もう少しお勉強の時間を割いていただきたいです」
「ダンスで合格点をもらえば良いではないか」
「先生の背が高くて踊るのが大変なのです。相手がお兄様であればわたくしももう少しマシに踊れると思いますけれど」
「そうか。では、レーベルト。明日はオリビアのダンスの練習に付き合ってやってくれ」
「はい。お任せください、父上。オリビア、合格をもらえるように頑張ろうね」
「は、い………」
思っていたのとは違う展開になってしまった。
どうしよう。明日、合格しないとただの言い訳だってバレてしまう。
とりあえず思考は放棄して今日は早く寝ることにした。
嫌な嫌なダンスの練習時間が始まってしまった。
もちろん、相手がお兄様だからといって急激に上手くなるようなことはなかった。
「オリビア?私が相手なら合格出来ると言ったよね?これはどういうことかな?」
「こんなに長い時間練習しているというのに、いつになったらオリビア様に合格点をあげられるでしょう」
「お兄様、セレナ先生、今回は少し失敗してしまいましたが次は大丈夫です。信じてください」
「オリビア様、社交界でのダンスの失敗は許されませんよ。もし、王子の足を踏んでしまったらあなたはどうなることでしょう」
大丈夫です。王子と踊ることなんてありえません。
そう言いたかったけど、踊らない方がありえない。
第2王子はお兄様と同じ8歳。
建国祭の舞踏会は10歳以下の子供が踊る時間と11歳以上の貴族の踊る時間で区切られている。
第2王子であるジェラルド王子はもちろん10歳以下の子供たちと踊ることになる。
そんなときに誘う相手は決まっている。公爵家の令嬢だ。
他にも公爵家は4つある。けれど、お兄様とジェラルド王子は一緒に剣の稽古をするほど仲が良い。
きっとお誘いが来るに違いない。
「お兄様、ジェラルド王子にわたくしをお誘いしないように口添えしていただけないでしょうか」
「いいよ。その代わり、父上に外国語を教わることは出来なくなると思うけれどそれでもいいのかい?」
「そ、れは、嫌です」
「では、ダンスの練習を頑張ろう。今日から建国祭の前日までは他の授業をお休みして丸一日練習に付き合ってあげるから」
「お兄様!大好きです!」
それから、建国祭の前日までになんとか王子と踊れるくらいに仕上がった。
多分だけど、他の令嬢よりも圧倒的に上手くなったと思う。
王子と踊ることを目的に練習してるし、セレナ先生なんて泣いて拍手してるくらいだし。
「セレナ先生、お兄様、本当にありがとうございました。わたくし、お二人のおかげでジェラルド王子の足を踏まなくて済みそうです」
「オリビアは十分胸を張っていいと思うよ」
「そうです。もっと自信を持ってくださいませ。オリビア様は十分素敵な踊りを見せてくれました。きっと王子がリードしてくれるので楽しく笑顔で踊ってください」
「はい。ありがとうございます」
なんて言いながらも、正直明日王子が欠席してくれたらなぁ、なんて考えている。
言ったら叱られそうだから心の中にしまっておくけど。
夜は軽めにスープとサラダだけで、なんだか物足りない気分で部屋に戻って湯浴みをした。
その後は髪と肌の保湿をしっかりされてからベッドに寝かされた。
カーテンをシャッと閉められてそのまま目を閉じた。
疲れていたからかぐっすり眠ることができた。
〜〜〜〜〜
「おはよう」
教室に入って一番にそう言うと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
これは中学に入ってすぐのときのことだ。
昔から特徴的な高い声と、北欧寄りの顔立ちのせいでいつも注目を浴びていた。
多分、親のどっちかが北欧出身なのだろう。
会ったこともないから、どっちかは知らないけれど。けれど、こうやって笑い者にされたのは初めてだった。
「プリント、回収するからください」
男子の一軍グループのところに行くと男子は体をくねくねさせて「ぷりんと、くださぁ〜い」と私の真似をした。
「なんだそれ!変なの!」
「こいつの声の方がもっと変だろ」
一軍グループの中の1人が私に指をさして笑った。
そのうち、他のクラスメートも私の真似をしては笑い、「変な声」と言われるようになった。
そんな学校生活のせいで、施設でも学校でも話せなくなった。
心配して声をかけてくれていた子もいたけれど、声を出せなくて「心配してるのに無視するのかよ」と愛想を尽かされて結局孤独になってしまった。
今もまだ覚えている。
バカにするような笑い声。
嫌だ。笑わないで。私の声、そんなに変なの。
「変」
「変」
「変」
「変」
〜〜〜〜〜
ハァ、ハァ。
前世なんて、思い出したくなかった。
そういえば事故で死ぬ数週間前からは馬鹿にされることがパタリと止んだ。
そこからずっと空元気って感じでやってた。
今まで思い出さなかったのは多分、記憶の奥底に隠してたからだと思う。
それならずっと隠れておいてほしかった。
息を整えてもう一度目を閉じた。
エマとユーリが起こしに来るのを待っていよう。