episode04 独居老人は語る
アラフォーの独身男に大型連休は苦行である。贅沢な悩みかもしれないが、時間を持て余すのだ。若い頃はイベントが目白押しで血湧き肉躍ることもあったかもしれない。しかし、40歳になり体力が落ちて、人付き合いが減ってくると、休日にやることと言えば家事と食事、ゲームくらいである。つまり、どうにかして連休を生き延びなくてはならない。
藤沢のゴールデンウィークは三連休後に三連勤、その後に三連休だった。そこまで大型連休では無かったが、適度に休めて適度に退屈した。即ち平凡な連休である。5月にして真夏日に迫る気温であり、藤沢は1人自宅で過ごしたのであった。
藤沢は最近40歳の大台に乗ってしまった非正規オジサンである。眉間に寄ったシワと、死人のような瞳で、実年齢よりも老けて見える。福祉事業所とスーパーの遅番でダブルワークしており、人と接する職業のため、清潔感は意識している。ダークブラウンの髪を短くカットし、無精ヒゲなどは見当たらない。かろうじて社会人としての体裁を保っていた。
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暑かった三連休が明け、藤沢はまだ祝日だった月曜日に事業所へ出勤した。利用者の出勤率が高くないため、祝日に事業所を開所する意味が分からないが、これが藤沢の仕事である。午前はネットショップ関連の作業や、パソコン作業を指示した。連休だったため、沢山の商品が売れており、そこそこ忙しかった。藤沢は障害を持つ利用者の様子を見ながら業務にあたった。
午後、社長の竹腰が突然声を掛けてきた。
「藤沢くん、午後はこの間のマンションで作業をしよう。敷地内に畑もあるからそこの草むしりもするよ」
竹腰社長が言うマンションとは、以前部屋のクリーニングをした「コーポ小林2」のことである。お世辞にも奇麗とは言えない、生活保護受給者が住んでいるグレー色のマンションだ。少し遠くで鳴り響く寂しい踏切の音が悲壮感に拍車を掛ける。
社長の竹腰はいつも笑顔で温厚な性格である。小柄の痩せ型で髪色は透け感のあるグレーブラウン、年齢は50代半ばだ。愛車は三菱のアウトランダー。気は弱いが手先が器用でハウスクリーニングを1人でこなせる力量だ。今日の服装は茶色いTシャツとカーキ色の短パン、黒いサンダル、頭には白いタオルを巻いていた。
藤沢は返答に迷っていた。今日はタイミングが悪く白いデニムをはいていおり、草むしりには向かない服装だ。それに前回、マンションで生活保護受給者と接触した出来事は中々ショッキングで、積極的に行こうとは思えない。その上、日差しが強く熱中症にならないか不安であった。
「じゃあ、車出すから外に出てて」
どうやら同行せざるを得ないらしい。窓の外を見ると良い天気である。たまには施設外作業も気分転換になるかもしれなかった。
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社用車のアウトランダーに乗り込み、件のマンションに向かう。真っ青な空に白い雲が映えている。ちょっとしたドライブの気分である。車を20分ほど走らせ、寂しげな踏切が見えてきた。マンションは踏切の少し手前に位置している。ハウスクリーニング中の部屋は105号室で、一番奥から一つ手前にある。前回からある程度時間が経過していたが、ゆっくり作業しているのだろう。因みに一番奥には「山ちゃん」と呼ばれる生活保護受給者が住んでいる。
コーポ小林2は北と南に駐車場、東に線路、西に住宅街がある。藤沢が草むしりを命じられた畑は南の駐車場に面していた。105号室の中から見ると畑は南側の窓のすぐ下に位置しており、部屋の中からよく見える。部屋にはベランダが無いので、現在住んでいる住人達は南側、外側の壁に取り付けられている竿掛けに洗濯物を干していた。洗濯物を干すと窓から外は見えなくなる。干されている洗濯物から、住んでいる住人は「オッサン」ばかりだと判断できる。恐らく盗難の被害は無いだろう。
窓のすぐ下から1メートル先までの範囲は砂利になっており、エアコンの室外機が置かれている。砂利スペースから先は無造作に並べられたコンクリートブロックで区切られており、その先に車を二台ほど停められそうな広さの畑があった。畑の先は駐車場と、もう一棟のマンションが建てられている。駐車場は広く、畑の日当たりは十分である。中々良い立地だ。
畑は荒れており、寂れた住宅街に似つかわしくない真っ黄色な花が咲き乱れていた。謎の黄色い花以外は、逞しく育ちすぎたタンポポと、畑の右側(東側)に面した駐輪場との境に咲いている棘が目立つ物騒な草が生えている。その他にも砂利部分に生えている細かい雑草が目立つ。これらを抜くのは中々骨が折れそうだった。藤沢は竹腰から畑の前で指示を受ける。
「じゃあ、花も草も全部抜いちゃって。抜いた草は後で畑の上に集めるから捨てないでいいよ」
竹腰はそう言い残すと、105号室の窓を跨いで部屋の中へ飛び込んだ。お行儀が悪いが、オーナーなら許されるのだろう。藤沢は空を見上げた。直射日光に当たると暑いが、真夏に比べると幾分かマシである。竹腰から渡された軍手を装着し、畑に足を向けた。
(何なんだろう、このド派手な黄色い花は・・。凄い生命力だ)
藤沢は自己主張の強い黄色い花から抜き始めた。派手な見た目とは裏腹に、簡単に抜けるが量は多い。妙に茎が長い花である。黄色いキクやコスモス、マーガレットに似ているような気がする。つまりキク科の植物なのだろうか。一心不乱に黄色い花を抜いていると、バックグラウンドミュージックに演歌が流れていることに気が付いた。
前回来訪した時から気が付いていたが、このマンションは騒音が激しい。窓を開けてテレビを大音量で点けていたり、いかがわしい動画の音が聞こえたりする。ここの住人には羞恥心とモラルが欠けているらしい。昼間から家に居てそのような生活をしている居住者が多いと言うことは、山ちゃんだけではなく全員生活保護受給者なのだろうか。
(それにしても随分と近くから演歌が聞こえるな)
藤沢は違和感を覚えて後ろを振り返った。すると山ちゃんこと山田さんがすぐ傍に居た。腰にラジオを付けて演歌を流しているようだ。歩く騒音とはこの事である。
「よう! また会ったな! 草むしり手伝うよ」
にっこり笑ったその口には前歯が無い。山田は70代後半のハゲた老人だ。服装は汚いジャージである。かろうじてヒゲは剃られていたが清潔感は無い。眉毛は白髪、肌は褐色。屋外で長時間働いている人の特徴だ。いや、正確には「働いていた人」である。
山田は倉庫から大きい草刈り用のハサミを持ってきて、藤沢を手伝い始めた。人の役に立つことが好きなのかもしれないが、手伝うと後で竹腰からお小遣いを貰えるらしい。草を刈る音と演歌の音頭がリズム良く時を刻んでいく。藤沢は先程の疑問を山田にぶつけてみた。
「山田さん、この黄色い花は何ですか」
「こりゃ春菊だよ! あの婆さんは食べられるものを植えていたからな」
どうやらこの畑は105号室の住人が管理していたらしい。しかし、藤沢は山田の発言に驚愕した。105号室は壁に染み付いたタバコのヤニの凄まじさからオジサンが住んでいたと思っていた。まさか女性だとは思わなかったのだ。
「あの婆さんは生活保護と年金で、酒、タバコ、ギャンブル、何でもやってたからな~。80歳過ぎてたってのに」
何と老婆の年齢は80代らしかった。何と逞しいのだろう。山田の話によると105号室の老婆は名古屋へ旅立ったらしい。生まれ故郷なのだろうか。しかし、その後の消息は不明らしかった。
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山田に春菊と言われ、改めて黄色い花を観察してみた。成る程、確かに葉っぱの形にその面影がある。春菊を食べ損ねると、黄色い花に覆われる代償があるらしい。いや、美しく咲き誇る春菊の花は中々乙であった。
黄色い花を抜き終えて、藤沢は自身に起こった異変に気が付いた。真っ白なデニムが春菊の花粉で黄色に染まっていたのである。
(ああ! これは洗ってもダメそうだ)
絶望に打ちひしがれる藤沢に空気を読まない山田が話しかけた。
「藤沢くんは結婚してないの? 子供の一人や二人いそうだけど」
この手の質問はアラフォーになると増える。それは女性だろうが男性だろうが関係ない。特に山田の世代には独身者のアラフォーが奇異に見えるらしい。「異性に興味が無い」とか、「同性愛者」に思われてしまうのである。藤沢は最近この質問をされることが増えた。
「いや、独身です」
「へぇ~、でもコレはいるんだろう?」
山田は小指を立てて見せた。コレとは彼女のことだろう。
「いや、いないです」
山田の表情は益々曇った。眉をひそめてジーッと見てくる。草刈り用のハサミを操る手も止まってしまった。
「ま、まあ色々あるよな!」
彼はその場を取り繕うように明るく言った。「人生色々ある」を見事に体現している山田そのものに同情されることは些か不名誉だが、面倒臭いのでこの話はこのまま終わらせようと思った。
春菊やタンポポを抜き終え、二人は駐輪場脇の物騒な草に目をやった。立派なトゲが藤沢たちに敵意を向けているように見える。藤沢は105号室の中で壁紙を貼っている竹腰に声を掛けた。
「社長! この草もやるんですか? 手を怪我しそうなんですが・・」
社長の竹腰が窓から顔も出さずに答える。
「軍手着けていれば大丈夫でしょう」
どうやら軍手で防御できるらしかった。藤沢は竹腰の言葉を信じて件の草に向けて手を伸ばした。刹那、手に刺激が走った。
「……リーダーいって! この草痛いです! 社長!」
藤沢はある程度警戒して、ゆっくりと草を触ったのだが、それでも痛かった。大体、この草は何なのだろうか。動物の手が連なったようなギザギザの葉っぱ。葉の先からはサボテンを彷彿とさせるトゲが飛び出ている。それにしても木の葉の形状も春菊やタンポポと似ている。まさかこれもキク科の植物だろうか。
「あ~、触らない方が良いのかな? ハサミでカットすれば?」
105号室の中から無責任な竹腰の返事が聞こえる。山田はその草を見て口を開いた。
「これはアメリカオニアザミだな! このトゲは革手袋でもしないと防げないわ」
何と言うことだろう。社長の「軍手着けていれば大丈夫説」はデマだったのだ。スマホで調べると確かにその草はアメリカオニアザミであった。キク科の生態系被害防止外来種らしい。開花する前に駆除することが望ましく、捨てる時はトゲがゴミ袋を突き破って危ないので「新聞紙で包む」か、「トゲ注意の貼り紙」をするのがマナーらしい。藤沢は花粉事件に引き続き、トゲにやられてしまった。今日は厄日だ。
しかし、春菊、タンポポ、アメリカオニアザミ、全てがキク科の植物である。大なり小なり、葉っぱの形状に統一感がある。どうやらコーポ小林2はキク科に浸食されているようだ。
「よし、ハサミでやっつけよう! でも根っこまでは駆除できんな」
隣にいるハゲたジャージのオジサンがとても頼もしく見える。藤沢は山田に全権を譲った。それにしてもこのアメリカオニアザミは兵器になるほど危なかった。高さが100cmまで成長するらしいので、子供は注意する必要がある。もし藤沢が中世の軍師だったら略奪兵の侵攻を阻止するために、このアメリカオニアザミを至る所に植樹し、バリケードを造るだろう。間違いなく騎馬の侵入を阻むはずだ。
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草刈り用のハサミを器用に使いこなしながら山田が過去を語る。
「俺は若い頃とび職やってたんだよね。資格は取ってないけど色々な現場に行ったよ。スカイツリーだっけ? あれには登ってないけど、東京タワーには行ったな。」
東京タワーの建設は1957年~1958年である。山田の年齢を考えると当時小学生か中学生だったはずだが、その年齢で現場に居たのだろうか。藤沢は山田の話を全て鵜呑みにはしないつもりだ。しかし戦後の日本、高度成長期の「熱気」は未成年就労の法整備を曖昧にさせたに違いない。
「まあ、俺はガキだったから手伝ってただけだけど、兄貴は上がってたな。当時は300mの高さでも命綱やヘルメット、クレーンも無い。幅30cmの足場で作業をしていたんだ。兄貴の知り合いが落下して死んでしまった。だけど俺たちは日本の威信のために参加していたし、働けば働くほど稼げたからモチベーションが高かった。」
そう語りながらも山田の手は止まっていない。その横顔は職人のそれだった。
「東京タワーは広範囲に電波を届ける為に建てられたが、パリのエッフェル塔を抜いて世界一の高さを目指した。戦後復興を象徴する大プロジェクトだったが、当時の日本は鉄が不足していた。そこで米兵の戦車100両近くが使われたのさ。朝鮮戦争でスクラップになった戦車だ。アメリカとしても古い戦車を売り払って新しい戦車を造りたかったから都合が良かったんだ。それが戦後復興のシンボルになっていることが皮肉なもんだろ。今も昔も日米関係は何も変わっていないよ」
いつの間にか、アメリカオニアザミはその姿を消していた。往時を偲ぶ職人の表情は無くなり、山田はいつもの笑顔に戻っていた。ハゲた頭、汚いジャージの出で立ちは、年金と生活保護を受給している孤独なオジサンそのものであった。
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帰りの車の中で、藤沢は山田の話を反芻していた。人には人の歴史がある。あのマンションに住んでいる高齢の方々にも様々な過去があるのかもしれない。就職氷河期の藤沢からすると、好景気の日本は羨ましいのだが、その目映い光の影で苦労した人たちも存在するのだろうか。光が強ければ影も濃くなるのだから。
藤沢は社長に奢って貰った缶コーヒーを飲みながら、自分の足下に目をやった。視界には春菊の花粉で染まった白いデニムが映っていた。
(この花粉は洗濯したら奇麗になるのだろうか……)
藤沢はスマホで花粉の落とし方を調べながら、今度東京タワーへ行ってみようと思ったのであった。