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episode03 月下の窃盗

 年が明けて間もない頃、藤沢はスーパーの店内で品出しをしていた。彼の本業は福祉事業所の指導員だが、薄給のためダブルワークをしている。事業所の社長である竹腰は副業を推奨しているのだ。昇級が無い代わりに副業可なのである。藤沢は遅番を担当していた。夕方の数時間、品出しと値引きをしている。


 藤沢はアラフォーだが、眉間のシワと疲れが溜まっている表情で老け込んで見える。接客業のため、清潔感は意識している。ダークブラウンの髪を短くカットし、メガネではなくコンタクトレンズを装着している。

 所謂、藤沢のような年配のベテランパートは店長からは重宝される傾向にある。店舗のことを知り尽くし、アルバイトにも指示が出せて、レジが並んだらサッカーのフォローにも入れる。遅番なので防犯面でもオジサンは有用なのだ。

 遅番は学生バイトがメインなので、藤沢のような非正規オジサンには馴染みづらい。しかし馴染まない分、人間関係のトラブルに巻き込まれないので助かっている。正社員にならないベテランパートは人件費が抑えられる上に、学生より真面目に働くので、何か大きな問題さえ起こさなければ解雇されることは無い。



 この時間帯の店内は、値引き品を狙う客で溢れかえっている。円安、物価高、不況の昨今、惣菜を定価で購入する客は少ない。値引きシールを貼っている後ろで、目をギラつかせながら待っている客はかなり鬱陶しい。客の圧力を背中に受けながら、藤沢は惣菜を値引いていく。その時、店内に大きな声が響いた。


「あんた、やったね! あたしゃ見てたよ! こっちに来るんだ!」


 怒りに満ちたおばさんの怒鳴り声である。万引きGメンの声だ。藤沢が声の方へ視線を向けるとGメンが逃げようとしている万引き犯を捕まえていた。万引き犯は痩せた白髪の女性で、年は60代半ばだろうか。片手に杖とエコバッグを持っている。どうやらGメンが店内で犯行現場を押さえて事務所へ引っ張ってきたようだ。見て見ぬ振りをしたいところだが、藤沢は二人へ近付いた。


「フジちゃん! この人逃げちゃう! おばちゃんなのに凄い力よ! 事務所に連れて行くから手伝って!」


 万引きGメンの名を小暮と言う。70歳を過ぎていそうな女性である。白髪と茶髪が混じったショートヘアで前髪は二つに分かれている。かなり恰幅が良い女性だ。怒鳴ると迫力がある。何故か上の前歯が2本無い。万引き犯は女性が多いが希に男性もいる。Gメンが万引き犯を取り抑える時にはリスクが付きまとう。歯が無いと不気味な迫力が出て「はったり」になるのだと言う。


「はい、もう逃げられないから。暴れないように」


 藤沢が小暮のフォローに入った。事務所の引き戸を開けて万引き犯の女性を押し込もうとすると、その細い腕からは想像できないほど凄まじい力で抵抗してくる。この力が出せるなら杖は要らないと思う。逃げようとする万引き犯の怪力は侮れない。

 犯人の行動パターンは様々である。とことん逃げようとする奴、素直に応じる奴、座り込んでしまう奴、失禁する奴、一度は事務所に入っても従業員がその場を離れると逃げる奴など色々だ。どうにか事務所に押し込んだタイミングで、社員のマネージャーが休憩を終えて戻ってきた。



 万引き犯の女はロック歌手の内田裕也を彷彿とさせる外見であった。白髪がダイナミックに伸びており、頬がこけている。顔は土気色だ。上はだらしない水色のカーディガン、下はインディゴブルーのデニムパンツ。パソコンと棚に囲まれた狭い事務所の中で無機質なスツールに座らされている。


 女は先刻発揮していた怪力があれば必要なさそうな杖と障害者手帳、精神安定剤を持っていた。杖、手帳、薬は万引き犯の三種の神器と言って良い。大体どれかは持っている。女はゴソゴソをペットボトルの水を取り出し薬を飲んだ。水は万引きしたものではなさそうだ。


 女が万引きしたのは栗きんとんである。万引きのやり口はこうだ。カートの持ち手にエコバッグをセットし、万引きするものをその中へ放り込む。買い物カゴの中の商品はレジを通す。買いながら少量だけ万引きする手口だ。2020年のレジ袋有料化でエコバッグを持つ客が増えて万引きが激増した。コロナ禍でマスク着用が義務化されたことも、その流れに拍車を掛けたのである。マスクで素顔が見えないと強気になるのだろう。


「ほら! 栗きんとんを机に置いて! あたしゃずーっとあんたを見張ってたんだよ!」


 小暮は凄まじい剣幕で万引き犯を叱りつける。これには二つの意味がある。まずは万引き犯への牽制である。万引き犯は狡猾で、事務所で観念しているように見えても、隙あらば逃げようとするし、店員が目を離した隙に、盗った商品を事務所の棚の奥に押し込んで隠そうとするのだ。過去に、万引き犯が警察に連れて行かれた1週間後、事務所の棚の奥に大トロの刺身が押し込まれているのを発見したことがある。警察が来る前に神速の手捌きで大トロだけ隠したのだろう。万引き犯の手のスピードはとても速い。結局その犯人は刺身の料金を払わずに済んだのだ。小暮は大声を出すことにより万引き犯が小細工をする気力を削いでいるのである。


 もう一つはクライアント、つまりは店側へのアピールである。腕の良い万引きGメンは引っ張りだこだが、一人も犯人を捕まえられないGメンは二度と呼ばれない。大声を出して叱りつけ、仕事をしっかりとこなしていることを証明しているのだ。店側も万引き犯は年中捕まえているので、いちいち犯人を叱るのが面倒なのだ。叱ってくれるGメンに甘えているところがある。


「あんた途中まで八百屋のミカンの袋とどっちを万引きしようか迷ってただろ! 何故ミカンを戻して栗きんとんにしたんだ!? 栗きんとんの方が軽くて値段が高かったからか!」


 小暮の責めに犯人は無反応である。


「ほら! 身分を確認するから免許証を机に出すんだ!」


 小暮は手際よく免許証をチェックする。マネージャーが免許証をコピーし、藤沢はデジカメで犯人を撮影する。そして出禁の念書を書かせるのである。ロック歌手のような見た目の犯人の名前は伊藤静子と言った。年齢は65歳だが、かなり老けて見える。


 そのタイミングでマネージャーが呼んだ警察官が事務所へ到着した。男性3名、女性が1名である。年配の太った男性が1人、アラフォー世代で疲れ切った表情の男性が2人、新人らしい女性が1人である。「ライオンはウサギを狩るときでも全力を尽くす」と言うが、万引き犯1人のために警察官は結構大所帯でやって来る。太ったベテラン警官が免許証を確認しながら、犯人に声を掛ける。


「えー、伊藤静子さん? 身元引受人いる?」


 ベテラン警察官は恰幅がよく、頭は角刈り、頬に大きなホクロがあった。その隣で、どことなく藤沢に雰囲気が似ている疲れた顔の警察官が電話で犯人のデータを確認している。警察署に電話しているのだろう。彼は黒縁眼鏡を掛けており痩せ型である。


「はい、はい、あ、そうですか? 伊藤静子さん、窃盗の前科なし」


 眼鏡の警察官は電話で前科無しとの報告を受けたようである。もう一人の男性警察官は事務所の外で待機、女性警察官は犯人の隣で見張っている。藤沢は犯人の態度から初犯ではないと確信していたが、警察のデーターベースには伊藤静子の記録が無いらしい。マネージャーも腑に落ちない表情をしている。マネージャーはまだ若く、ひょろっとしていて頼りないが、社歴が長くベテランであった。警察の電話を聞いていたGメンの小暮が藤沢とマネージャーに耳打ちした。


「まあ、警察の調書はいい加減だからね、万引きくらいじゃ残ってないこともあるのよ」



 藤沢達の前で、女性警察官が伊藤静子に栗きんとんを指差すように指示を出し、撮影している。万引きした証拠となる写真である。撮影が終わり、伊藤静子がスマホを出して娘に電話をしようとした時、連絡先を見たベテラン警察官はあることに気が付いた。


「あれ? 伊藤静子さん? 娘さんの姓が伊藤じゃないね? 娘さんは石坂恵さん・・? ああ、伊藤さんは再婚してるんだ? おい、田中! 石坂静子で検索してみて!」


 ベテラン警官が、隣で電話をしている疲れた表情の警察官に指示を出す。どうやら藤沢に似ている警察官は田中と言う名前らしい。


「はい、はい、石坂静子……ああ、窃盗の前科ありっすか! 4犯? 承知しました。堂本さん、旧姓で前科ありです」


 どうやら犯人は再婚していたらしく、旧姓では前科があるらしい。堂本と呼ばれる太ったベテラン警官が驚いたように言った。


「伊藤さ~ん、前科4犯じゃない。自分から言ってよね。あ、娘さん2人いるんだ? 石坂さんと伊藤さんで? 石坂さんの方が来るってことでいいよね?」


 その時、外に居た警察官が事務所へ入ってきた。


「えー、娘さんが身元引受人となる。じゃあ任同方向で良いっすか? 堂本さん」


 入ってきた警察官はスポーツ刈りで背が高い。いかにも何か武術の心得があるように見える。彼が発した任同とは任意同行の略である。


「防カメチェックは後日でいっか、映像いつまでっすか? マネージャーさん」


 先程、田中と呼ばれた警官が、藤沢の横に居るマネージャーに聞く。防カメとは防犯カメラの略である。


「あ、はい。映像は2週間残ってます」


 ひょろっとしたマネージャーはオドオドしながらも礼儀正しく答える。ベテラン警察官の堂本がマネージャーに確認をした。


「被害届はどうします? 出すなら一緒に来てもらいます。閉店まで帰ってこられない可能性もありますね。夕方忙しそうですが……」


 警察側は明らかに面倒臭そうな態度である。警察は被害届を嫌がる傾向にあるのだ。現場検証は時間が掛かるので、店側も被害届を出さない可能性が高い。「栗きんとん」のために、発注やレジ、品出しを疎かには出来ないのだ。マネージャーは厳重注意をお願いし、伊藤静子を出禁にした。



 身元引受人が来るらしく、盗品の会計を済ませた犯人は近くの交番へ連行されることになった。結局一言も謝罪しない犯人にGメンの小暮はこう言った。


「ミカンより『再婚後に前科が付いた現実』の方が重いよ! あんたバカだね!」


 被害届を出されずとも、前科4犯となると悪質と判断され、微罪処分では済まない可能性が高い。小暮の言葉に何を思ったのか、犯人は一礼して出て行った。マネージャーと藤沢は売り場に出てルーティン業務をこなし、Gメンの小暮は獲物を探すため、客に紛れていった。その顔つきはハンターそのものである。



 万引き騒ぎがあった日は心身共に疲弊するものだ。勤務を終えた藤沢は家路に就いた。伊藤静子は一言も謝らなかったが、小暮の言葉から何かを感じ取って欲しい。終始無表情だった顔、警察に連れて行かれる時に見えた寂しそうな後ろ姿から、これまでの彼女の辛い人生が透けて見えたような気がした。


 明日は久々の休日である。藤沢はコンビニでビールと弁当を購入し、晩酌に思いを馳せながら月夜に照らされた道を歩いて行く。

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