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episode01 孤独を肴に酒を飲む

 ―― デラシネ(deracine) ――

 フランス語で「根なし草」の意味。定職に就かず一箇所に留まらない人を揶揄する言葉として使われることもある。

 正社員になれず、フリーターとして人生を流浪する就職氷河期世代。俗に言うロスジェネ(失われた世代)は国から捨てられたデラシネだ。

 失われた世代と言われようが、真面目に生きているヤツもいる。そんなデラシネ男、藤沢のリアルな日常を綴っていこう。 



 空がうっすらと明るくなってきた。空気はひんやりとしている。街は寝静まり、鳥のさえずりも聞こえない。冬を感じさせる静かな朝だ。

 何の変哲も無い住宅街に佇むマンションの一室で、一人の男が洗濯機から服を取り出していた。時計を見ると明け方の5時半である。洗濯機を回すには若干時間が早かったかもしれない。数時間前からエアコンが切れており、部屋はすっかり冷え込んでいた。


「今日は……大晦日なのか」


 藤沢は一人呟いた。一人暮らし故、当然答える同居人はいない。氷河期世代である藤沢は40歳の大台が間近に迫っている。結婚願望は無くもない。焦らないわけではないが、焦っても仕方がない。彼は非正規雇用故に出会いには消極的である。


「アラフォー非正規おじさんの大晦日なんてこんなモノかな」


 藤沢は洗濯物を室内用物干しに干し終えた。一人暮らし歴が20年を突破し、家事は万能である。彼は不細工ではないが、飛び抜けた美形でもない、中肉中背の男だ。39と言う年齢の割には老け込んでいるようにも見える。眉間に寄ったシワ、疲れた表情がそれを際立たせていた。

 一人で迎える大晦日が通常になって久しい。若い頃はここぞとばかりにイベントを詰め込んでいたが、それにも飽きた。独身なのだから用事が無くて当然だ。罪悪感を覚える必要はない。


 掃除機をかけ終えて、藤沢の大晦日の予定は無くなった。時計の針は6時過ぎを指している。窓から外を見下ろしても人影は無いが、朝焼けが町並みを緩やかに照らしている。1年の終わりには良い朝だと感じる。


「予定が無いことが、予定に等しい。贅沢な自由時間だ」


 煩わしいイベントは無い。時間はタップリとある。今日ばかりは仕事の悩みや将来の不安を忘れてゆっくりしたい。昨日、年越しのための買い物も済ませているので、引き籠もる準備は万端である。

 藤沢は納豆ご飯で朝食を済ませてテレビを点けた。テレ東で人気のグルメドラマを放映している。彼は自分で淹れたコーヒーを飲みながらドラマを鑑賞した。

 静かに時間が過ぎていく。普段なら出勤する時間にドラマを観ている。藤沢の職場はオフが少ないが、年末年始には休みがあるので嬉しく思う。


「昼飯は……セブンの焼きそばで……。年越しの晩酌には自家製チャーシューとカップ麺だな」


 先程、朝飯を済ませたばかりだが、もう昼飯や晩酌のことを考えている自分がいる。暇な独身中年は、男女ともに飯くらいしか予定が無い。食事が単なるタスクだと感じるようになる。

 ドラマをバックに流しながら、パソコンでYouTubeを点けて、手にはスマホを持っている。どうでもいい情報の濁流に身を任せ、ただただ無為に時間を過ごす。心が疲れている時は脳が思考を拒否しがちだ。考えたくないから部屋を無意味な情報で満たすのである。


「後で散歩に出るかな」


 引き籠もろうと思っていたが、どうやらしっかりと日光に当たらないと寝付きが悪くなるらしい。夜に寝そびれるほど辛いことは無い。藤沢は頃合いを見計らって外出することにした。



 大晦日の喧噪が身体に溜まった1年分の垢を洗い流してくれる。そのように思えるほど、大晦日の雰囲気は忙しなく開放的だ。藤沢は都心に程近い片田舎の駅前を一人でぶらつきながら気分が高揚していくのを感じた。特に予定があるわけでは無い。散歩は彼の趣味である。

 この歳になると道行くファミリーに目が行く。自分にも家庭を持つチャンスがあったのかどうか考えることがある。だが、今夜は大晦日である。将来への不安は来年へ持ち越すに限る。


 腕時計が15時を指し、散歩に満足した藤沢は家までの道のりを20分ほど歩く。自宅から駅まで遠いわけではないが、決して近くない。この微妙な距離が部屋の家賃を引き下げていた。道中楽しそうな若者のグループやファミリーを早足で追い抜きながら晩酌に思いを馳せる。冷蔵庫に仕込んである自家製チャーシューは絶品で酒と合う。

 独りには独りの楽しみ方がある。人生において孤独を楽しむスキルは必須である。基本的に人間は独りなのだから。独りで生まれ、独りで死んでいくのだ。


「さて、もう少しで家だな……ん?」


 街路樹で陰った歩道を歩いて行くと、前から1匹のネコが歩いてきた。藤沢の姿に動じることは無く、引き返そうともしない。トットットと歩いてくる。まるで人間のようにお行儀良く歩道を歩いている。背後には先程追い抜いたファミリー、眼前には1匹のネコ。何とも言えないシチュエーションであった。


「お前も一人か、ネコよ」


 周囲に聞こえないように呟くと、ネコがこちらに視線を向けた。ネコは藤沢を小馬鹿にするように数秒静止し、スルッと横を通り抜け、駐車場の車の下へ潜ってしまった。ネコから同情のようなものを感じ取った藤沢は家路に就いた。



 冷蔵庫には100g100円の豚バラで仕込んだチャーシューがある。豚肉の塊をニンニクやショウガと一緒に1時間半煮込む。煮込んだ後、フライパンで焼き目を付け、醤油で仕込んだタレに漬けるのだ。タレで煮込まないことがポイントである。

 チャーシューを厚めに切り分け皿に盛る。かなりのボリュームなので前菜からメインまでカバー可能だ。酒は缶ビールで良いだろう。晩酌開始である。


 飲み会は嫌いではないが、気を遣うし、帰りの電車が気になってあまり酔えない。酒と肴を楽しむなら自宅で一人飲みが正解である。好きな音楽を流しても良いし、ネットで動画を鑑賞しても良い。贅沢な晩酌時間だ。

 相手が居ると会話は楽しいが何かと忙しい。人疲れしている現代人こそ飲み会ではなく宅飲みするべきなのだ。孤独が心地よく、酒の肴になるのである。独身ならではの癒やしと言える。


 晩酌の〆は年越し蕎麦という名のカップ麺だ。チャーシューが手作りなので、蕎麦は手を抜いても良いだろう。気を入れるところ、抜くところ、メリハリ点けてスマートに生きたい。それが年の功である。ただのカップ麺だが、大晦日に食べると何か神聖なモノを感じてしまう。


 今年の大晦日は日曜日である。年末でありながら、恐ろしいほど普段通りの週末に驚愕する。先週の週末と同じ事をしている。これは既視感だ。しかし、それだけ平凡で平和な生活と言えるだろう。世界では戦争、飢餓、異常気象、感染症で大変だが、自分はテレビの前で蕎麦を啜っている。そう、退屈な人生は贅沢なのである。これ以上何かを求めたら天罰が下るだろう。


 藤沢は年末だろうが日付が変わる前に寝る主義だ。イベントで羽目を外すと翌朝に響き、それが仕事の不調へと繋がる。彼はいつしか無理をしなくなった。これは老化と言えるのだろうか。今夜も23時前には就寝し、明朝6時には起床するだろう。元旦だと言うのに、先週と全く同じ生活を送っていく。

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