#08
森の呪いが解けたという一大ニュースは、宮殿内にあっという間に広がった。
しかし、疑心暗鬼のエルフたちは、中々それを信じようとはしなかったため、王子が体を張って証明すると言い出した。側近のグウェンが止めたが、ドワーフに負けてられない、とよく分からないことを言い、自身できちんと呪いが解けたことを証明した。
「まずいことになったかも知れない…」
ドワーフたちが、帰ってから数日が経ち、図書館塔で休んでいると、王子とグウェンが慌てた様子でやって来た。
座っていたリーシャ、サーシャ、ナターシャがすっと立ち上がる。寝転がっていたエルミアも今しがた口に運んだブドウを呑み込みながら、王子が座れるよう場所を作る。
「まずいことと、言いますと?」
リーシャが尋ねた。エルミアはまだ口をもぐもぐさせている。
「女王に、ミアの居場所が知られたかもしれない」
それから王子は、エルミアを見た。
「呪いを解けるのは、予言の娘しかいないからな」
「でも、女王が狙っているのは精霊の書ではなくて?」
クッションに座りなおし、エルミアは聞いた。
「そこだ。今一番欲しているのは精霊の書だ。しかし、呪いが解けるなんてことはここ何年もなかった。きっと気が気じゃないだろう。ミアを狙ってくる可能性は高い」
王子が口を開こうとすると、グウェンが言った。
「恐れながら…。まずは、精霊の書を、女王より先に見つけることが先決だと言えます。それが相手に取られてしまえば、元も子もありませんから」
グウェンを見ながら王子は頷いた。
「しかし申し訳ありませんが、精霊の書について何も情報が見つけられず…」
うなだれた様子のリーシャを見て、王子は腕を組んだ。
「私も探してみたんだが…」
「聞いたらいいんじゃないですか?誰かに」
エルミアは、首を傾げたまま聞いた。
「だって森の呪いは解けたんだから、外に行けるでしょ?聞きこみに行けば、ここで籠っているより情報は手に入りそうだと思うんですけど…」
「言いだしたのは、私なのに…」
次の日、王子を見送る形になってむくれているエルミアは門の前に腕を組みながら立っていた。
「ミアが勝手に外に出ないように見張っておいてくれ」
ひらりと白い馬にまたがりながら、王子は言った。体重を感じさせない身のこなしに、世界が違う人だと思い出させられる。
「ちょうど、他の地域がどうなっているのか知りたかったところだ。見回りも兼ねて行ってくるが、いつ何時女王が狙って来るか分からない。ミアから絶対に目を離すのではないぞ」
リーシャ達に念を押し、馬の高らかな蹄の音を響かせながら、王子は側近のグウェンと、何人かの衛兵を連れて風のように走り去って行った。
その後ろの様子を、考え込むような面持ちで見守るエルミア。
「ミアさま、戻りますよ」
「外には出せませんからね!」
何かがひっかかる。思い出せそうで思い出せない。
白い馬、白い馬が何か…
「あ!」
突然大声を上げたので、近くにいた鳥が驚いて飛び去った。
「どうかされました?」
リーシャが声をかけた。
「思い出した!ペガサスの羽根!」
「ペガサス?」
「うん。この前、歌を歌っている時に頭の中に流れて来たの。ペガサスの羽根って。確か…黄金の羽根って言っていたかな?」
そう呟いた瞬間、サーシャがエルミアの口をふさぎ、ナターシャが慌てて「しーっ」という仕草をした。
「ん…」
「とにかく、図書室へ」
リーシャに先導されて三人は、こっそりと秘密の隠れ家へと向かった。
「一体、どうしたの?」
図書室へ入るやいなや、エルミアは聞いた。
「ここには、ペガサスも普通にいそうだけど…」
この世界には、既に、エルフとドワーフ、そして精霊たちがいる。もはや、空飛ぶ馬が存在するといっても特別驚かないだろう。なので、リーシャが「ペガサスはいます」とはっきり言い切った時も、たいして何も思わなかった。
「しかし、黄金の羽根を持つペガサスは、普通のペガサスとは少し違います。彼らは精霊の使いと言われているんです」
塔に入った瞬間に何かを探し始めたと思ったサーシャが、一冊の本を抱えて戻って来た。
四人は不思議な模様の描かれた赤い絨毯に円を描くように座った。
「精霊の話は、普段の私たちとは、全く縁がないものです。しかし、ミアさまをお守りするよう王子から命を下された時に学習いたしました」
リーシャが関連のある場所を探そうと本をめくりながら言った。
「ある本によると、精霊の使いを見た翌日に、精霊からの予言はやって来ると言われています。なので、幸運と言われている一方で、不吉とも言われているのですが」
「幸運な予言ばかりじゃないからか…」
エルミアは今しがた広げられた本を見つめた。
「…風。もしかして、黄金のペガサスは、風の精霊の使い?」
文字が読めないので、イラストでなんとか解読しようとする。風を人間型にしたような生き物と、光る空飛ぶ馬が描かれているので、想像するのは容易い。
「はい。風の精霊からの予言は、エルフの王、つまり王子のお父様のみ受け取ることが出来ると言われています」
「つまり、王様以外が予言を聞くことは出来ないし、逆に自分たちから精霊を呼びだすことは出来ないってこと?」
「おそらく。精霊の呼び出し方は、ほとんどの方が知らないかと」
「ん~。じゃあなんでペガサスの黄金の羽根って言われたんだろう…」
「黄金の羽根…」
ナターシャはそう呟きながら、本棚に向かった。
「どっかで見たような…」
「その黄金の羽根を持つペガサスってどうやって見つけるの?」
どこかにヒントはないかと、ペガサスのページを適当にめくりながらエルミアは聞いた。
「それが…。分からないのです」とサーシャ。
「予言が下される前日にのみ姿を現す、特殊な生き物と言われていますので…」
「普通のペガサスの群れを探しても見つからないんだ?」
「見つかる可能性は、かなり低いです」
「あった!」
ナターシャが大声を出した。
「何が?」
ナターシャが本を持って戻ってきた。
開かれたページを三人がのぞき込む。小指の爪ほどの小さい文字で、本の端の方に何やら書かれている。よっぽど秘密にしたいのか、読ませる気はないのか、これを覚えていて、尚且つ見つけたナターシャを本気で凄いと思った。
「これ、ここ。黄金のペガサスの羽根には、風の精霊の呼び出し方法が書かれている。元々予言を授ける時にのみ姿を現す精霊だが、自ら呼び出したい時にはペガサスの黄金の羽根を探す必要がある」
「その羽根にのみ、風の精霊の召喚方法は書かれている」
リーシャが考え込むように言い、その続きをサーシャが継いだ。
「それを見つけないと、精霊を呼び出すことが出来ない。女王にとっても、精霊召喚は簡単なことではなさそうですね」
「もしかしてさ、精霊の書って、それぞれの精霊召喚に必要な物とか、必要なことが詳しく書かれている本なんじゃないの?」
ふと思いついたエルミアが言った。
リーシャ、サーシャ、ナターシャが顔を見合わせた。
「それは、あり得ますね」
「確かに…」
「王子も仰っていましたが、恐らく女王は、今、精霊の書を探し回っている途中かと思われます。ミアさまが呪いを解いたということも伝わっていると思うので、焦っているかもしれません。私たちも急ぐ必要がありそうですね」
エルミアは、風の精霊のページから別のところへと本をパラパラとめくっていた。
「そう言えばさ、風の精霊は、エルフの王でしょ?他の精霊は、どこに予言を持って行くの?」
「探してみましょう」
いつの間にか、腕いっぱいに本を抱えていたサーシャが、既にナターシャが持って来た山積みになっている上にさらなる本を乗せた。
「これ…時間かかりそうだね」
既に気が滅入っているエルミアに向かって三人は嬉しそうにほほ笑んだ。
「頑張りましょう!」
「結局、何も見つからず…」
あのあと何時間も本とにらめっこしていたエルミアは、大きなあくびをした。
「精霊に関する情報って本当に少ないんだね…」
ベッドに寝転がりながら、赤い天蓋を見つめる。
純粋に精霊だけについて書いてある本はほとんどなく、一見関係ないと思われるような書籍の端の方に注釈のように、精霊の情報が書かれていたりする。文字自体は読めないエルミアは、とにかく絵を見ながら関連があるかどうか判断していた。長時間酷使した目が未だにちかちかする。
「また明日も頑張りましょう!」
明るくサーシャが言い、ナターシャが同意するように頷いた。
その時、ノックの音がして姿が見えなかったリーシャが入って来た。
「ミアさま、王子がお呼びです。寝室に来いとのことで」
途端にニヤニヤするサーシャとナターシャを横目で見る。
「用件は何か言っていた?」
「いえ。ただ、私たち三人も来いとのことです」
2人の奇妙な笑顔が消えた。
王子は、エルミアと同じサイズの、深緑色の天蓋付きベッドの上であぐらをかいていた。そして、四人が入って来るのを見ると、室内にいた他の付き人を外で見張るように指示した。エルミアをソファーに座るよう合図し、自分もその向かいに座る。
「精霊の書についての手がかりとなるものは、残念ながら見つからなかった。私たちが立ち入れる場所も少ない。この周辺以外はまだ呪いが残っているところも多く、おそらく女王の支配下に入っているものも多い。一度、女王に忠誠を誓ったら、出ることはほぼ不可能だからな」
「ドワーフには何か聞けた?」
リーシャが淹れてくれたお茶を口に運びながら聞いた。
「いや。私たちに話すことは何もないそうだ。門前払いされたよ」
困ったように髪の毛をかきあげる王子に思わず目が釘付けになってしまう。
「あのさ…」
エルミアは、手元のカップに目を移しながら気まずそうに言った。
「もし、女王より先に精霊を呼び出すとするでしょ?そしたら、どんな願い事をするの?」
室内が静まり返るのが分かった。王子がゆっくりと口を開いた。
「この国を元通りにし、女王を永久に追放する」
「そっか…」
一国の王子として大きな責任を持っている断固たる決意の王子に、その一つきりの願いを「私を帰らせる」ということに使ってくれとは、言えなそうにない。エルミアは静かに黙るしかなかった。
「あの…ミアさま」
リーシャが、エルミアにおかわりをつぎながら言った。
「あのこと、言わなくてよろしいんでしょうか?」
王子の視線が、リーシャからエルミアへと移った。
「なんだ?何かまた聞いたのか?」
鋭い視線が向けられる。精霊の書の場所が分からない今、当てにできるのはエルミアの聞く予言のみだ。
「ペガサスの黄金の羽根って知ってる?」
「なんだ…?」
何のことかさっぱり分からないという顔をしている王子に、今度はサーシャが頭を下げてから言った。
「僭越ながら、私が説明させて頂きます。先ほど、ミアさまと共にそれについて調べておりました。黄金の羽根には、風の精霊の呼び出し呪文が書かれているようです」
「それは本当か?」
王子がいきなり立ち上がったので、エルミアは驚いてお茶をこぼした。
「おそらく、精霊の呼び出し方法について詳しく書かれているのが精霊の書ではという結論に至りました」
エルミアの服を拭きながら、リーシャが言った。
「ただ、いつその予言の声が聞こえるのか分からないんだよね…」
みんなに期待される前に、自らエルミアは言った。
「初めに、予言を聞いたのはいつだ?」
王子のスカイブルーの瞳がエルミアに向けられる。
「最初…」
記憶の糸を手繰り寄せる。
「精霊の書を探せと、言われた時が最初だな?」
王子が助け船を出した。
「うん…。あの、数日寝込んでいた時だと思います…」
「私と一緒に寝ていた時だな」
あの日のことを思い出さないように頑張っていたのに、王子の次に放った言葉によって、結局赤面してしまった。
「では、今夜もそうしてみるか」
「・・・はい?」
顔色一つ変えずに、とんでもない提案をしてくる王子に、思わず変なリアクションを取ってしまう。
「大丈夫だ、何もしない。あれは偶然だったのか、確認したいだけだ」
でも、二つ目の予言は、バルコニーに一人でいた時です…
なんて、寝る支度をするようにとリーシャ達に指示している王子に言う暇もなく、ただ時間だけが流れた。
ナイトガウンを置いて、側近のエルフ3姉妹たちは非情にも去ってしまった。サーシャとナターシャは、やはりどこか楽し気にしていた。
消灯され、部屋が暗くなった。
あるのは、窓から差し込む月の光だけだ。どこか幻想的で、自分は今眠っているのか起きているのか分からない感覚にさえなる。
何となく気まずくて、エルミアは布団を顔まで引き上げ、全く眠くならない頭と格闘しながら天蓋を見つめていた。
隣で王子が口を開いた。声の感じから想像すると、こっちを向いているようだ。
「実は、精霊の書の情報を掴むだけじゃなく、お前の帰り方の聞き込みにも行っていた」
「え?」
思わず横を向き、月明りに照らされた幻のような姿の王子と一瞬目が合う。しかし、すぐ天井に目を向けた。
「そ、そうだったんですか…」
「月の廻りについて知っている者がいてな。次の蒼月はいつか聞いてきた」
「はい…」
王子の囁くような優しい声を聞いていると、今日の疲れがどっと押し寄せてくるのが分かった。体の力が抜けるような、安心する声。
「断定は出来ないが、約一か月後だそうだ。その日は、大雪に見舞われると言われている」
エルミアがいつの間にか眠っていると気づいていない王子は、自分も天井に向き直りながら呟いた。
「精霊を呼び出し、今の状況から脱することは、この国唯一の王族の私に課せられた重要な仕事だ。お前に使ってやれなくて本当にすまない」
王子の心苦しそうな謝罪は、既に深い眠りについているエルミアに耳に届くことはなかった。