#07
その日は朝から、宮殿で働いているエルフたちの様子がいつもと違っていたせいか、変化に気づくのは容易かった。
朝食をとっている時も、何人かのエルフはバタバタしているし、いつも側にいるリーシャと三つ編みのナターシャはおらず、今日は黄色い花を頭に着けているサーシャのみだった。
相変わらず豪華な朝食が提供されているが、ゆっくり食べていられるほど、宮殿内は落ち着ついてはいない。
「…一体、どうしたの?」
聞いていいものか悩んだが、エルフたちの緊張感が痛いほど伝わってくるので、隣に立っているサーシャに声をかける。
言おうか、言うまいか悩んでいる様子だったが、我慢出来なかったようだ。すぐに口を開いた。
「ドワーフが、今、私たちの宮殿に…」
「ドワーフ?」
少し前に、側近のグウェンに、自分が新種のドワーフと言われていたのを思い出す。ドワーフとは、大きなひげを蓄えた小人ということしか知らない。
「それが何か問題なの?仲が悪いとか?」
未だ朝食の席に着きながら、エルミアは聞いた。空のコップに水を注ぎながらサーシャは頷く。
「先代から続く、冷戦状態なのです。私たちエルフは、過去のことについて何も気にしてないのですが、それがまた気に障るのか、一方的に目の敵にされているようで。一時は戦争まで持ち込まれるかという不安もありました。宮殿の周りに呪いがかけられてからは、ドワーフと接触することは全くなくなったのですが…」
話を聞きながら、エルミアは首を傾げた。
「でも、今回その呪いの森を通って来たってことだよね?どうやって?」
サーシャは「確かに」と手を顎に添える。
「ドワーフには呪いが効かないとか?」
「いえ、それはあり得ません。ドワーフの中にも女王の術中にはまった者はいますから」
「それじゃあ、彼らが来た理由は?」
しかし今度は、首を横に振るサーシャ。
「王子に口止めされているので言えません。それから、謁見の間にも近づくなと」
エルミアは、飲んでいたコップを静かに下ろした。
「何を隠しているの?サーシャ」
「言えません…」
下を向いて、スカートの裾を握っている。言いたいが、「王子の命令なので」と我慢しているようにも見える。
「サーシャ、私が責任取るから」
「しかし、王子の命で…」
頑なに拒むサーシャに半ば尊敬のまなざしを向けながら、エルミアは立ち上がった。
「じゃあ、謁見の間だけは案内して」
「いえ、それも…」
「じゃあ、別の人に聞こうかな~」
どこかにエルフはいないかと、探すふりをするとサーシャは小さな声で「分かりました」と呟いた。
「少し覗いたら戻って下さいね。ドワーフと戦争状態になるのはどうしても避けたいですから」
不安の視線をよこしながら、サーシャは言った。
「分かってる。私だってそんなことになったら、責任とれないもん」
この時のエルミアは、謁見の間で何が待ち受けているのか、知る由もなかった。
「こんな朝早くから、一体どんな用件で?」
王子が民との面会用の正装で、玉座に座っている。額には金色の飾りをつけており、服装は床を引きずる程の白いマントに金の刺繍。そして、腰には、表向きには見えないように短剣をさしていた。何か事が起きた時にはすぐに体勢が整うようにしておかなくては。
王子の前には、数人のドワーフが立っていた。
王ではない人の前では、ひれ伏すものかと、直立の状態でにらみ合っている。
小学生程の身の丈には合わない程長い茶色いひげ。そして、ずんぐりした筋肉質の体格から、力仕事が得意であることが見受けられる。
「あれが、ドワーフ…」
玉座の後ろにあるカーテンから、謁見の間の様子をうかがう。
座っている王子の横には、いつものように威圧的な顔をしたグウェンと、リーシャとナターシャが立っていた。リーシャは顔色を一つ変えずに無表情だが、ナターシャは緊張と興奮のせいか少しばかし頬が紅潮している。
エルフとドワーフの関係性が、この場を見ているだけでも伝わってくる。やっぱり、サーシャの言う通り、変なことには首を突っ込まない方がいい。そう思ったエルミアは、くるりと踵を返した。
その時、ドワーフが言った。
「数日前、歌声を聞いた」
その瞬間、エルミアの全身を緊張が走った。
「一体、誰だ?」
その場から一歩も動けなくなった。冷や汗が少しずつ出てくるのが自分でも感じ取れる。その場に固まっていたのは、エルミアだけではなかった。先ほどまで「部屋に戻りましょう」と言っていたサーシャも、大きな目をさらに見開いて立っている。
「歌…?」
王子が何を言っているという口調で問いかけた。
「知らないとは言わせないぞ!」
エルフの落ち着いた態度に、ドワーフの堪忍袋の緒が切れたようだ。声がどんどん荒っぽくなっていく。
エルミアは自分の心臓が口から出るのかと思うくらい、全身を脈が打っているの感じた。
歌をうたったのは、絶対に自分だけだ。
「黙ったままでいるというのであれば、こちらにも考えがあるぞ」
謁見の間には背を向けているのに、まるで現場にいるかのように、今にも戦争が起きるのではという、一触即発の雰囲気がビリビリと伝わってくる。
どうにかしなくては…。
エルミアは、これ以上王子に迷惑はかけられないと、勇気を振り絞りドワーフの前に飛び出した。
「わ、私です!」
突然のエルミアの登場に、その場にいた全員が一瞬、不意を突かれたように息を飲んだ。しかし、すぐさま我に返ったドワーフは、エルミアに向かって低い声でうなるように聞いた。
「お前が、歌を歌ったというのか」
「は、はい…」
王子が額に手を当てて、ため息を吐いた。「…全く」
「どんな魔法を使った!?」
ドワーフが、エルミアに詰め寄る。
「一体、どんな魔法だ!?」
「ま、魔法なんて使ってません!」
自分の背丈の半分ほどしかないドワーフが、こんなにも恐怖に感じるとは思いもよらなかった。
「わ、私は、魔法なんて使えません…」
「どんな歌をうたった?」
ドワーフは、もう一歩エルミアに詰め寄った。
「…え?」
エルミアはドワーフを見た。
「なんの歌を歌ったかと、聞いている!」
「は、ハミガキの歌です!」
あまりの威圧的な態度に思わず、口をついて言葉が出た。
謁見の間がしんとするのが分かった。ドワーフはきっと理解に苦しんでいるに違いない。
「歌ってみろ」
新たな要求が来た。
「え…」
これ以上、自分を辱めないで、なんて怒りで顔を真っ赤にしているドワーフに言える余地もない。
「この宮殿をめちゃくちゃにされたいのか!」
怒り心頭のドワーフの後ろでは四人の同じ格好をしたドワーフたちが、持っている斧を掲げた。
「わ、分かりました…」
王子が何か言う前に、エルミアは首を縦に振った。
エルフとドワーフが戦争状態になったら、責任は取れない。仕方なく自分の羞恥心を捨て、エルミアは歌い始めた。
「…さあ、ハミガキの時間だよ。
みんな準備はいいー?
上手にハミガキできるかな?
上の歯、下の歯。
きれいに磨こう
きれいに洗おう
シャカシャカ
シャカシャカ…」
宮殿内に気まずい空気が流れた。
今すぐ穴があったら入りたい。
そんな衝動に駆られたのは、人生においてこれが初めてだ。
顔から火が出そうなくらい恥ずかしくて顔が上げられないエルミアは、下を向いたまま黙っていた。
静かに聞いていたドワーフが口を開いた。
「これだ…確かにこのメロディーだった」
後ろの四人も頷いていた。微かに目元が涙で光っている。
「これは、なんていう魔法だ?」
「魔法じゃないです。私は、人間ですから…」
エルミアは同じことを繰り返した。
「人間…?」
ドワーフがエルミアに近づくのが、足音で分かった。エルミアは驚いて顔を上げる。
ドワーフの丸い目が、エルミアの耳から顔へと移動する。
「確かに、そのようだな」
一瞬にして表情が柔らかくなったのを、その場にいた全員気がついた。
「お前のおかげか…。ありがとうな」
ドワーフがそう言った瞬間、エルフたちが顔を見合わせるのをエルミアは見逃さなかった。みんなドワーフがお礼を言うのなんて、信じられないという表情を隠そうともしていない。
「お前、名前は?」
「エルミアです…」
「エルミア、予言の娘か」
その予言の娘というのは、どこまでも広まっているようだ。
「さて」
ずっと玉座に座っていた王子が、いつの間にかエルミアの隣に立ち、エルミアの肩を抱えた。
「こんな早朝から、この宮殿まで押しかけて来たのです。それなりの理由をお聞かせ願いますか?」
そういう落ち着きはらった態度が気に食わないんだ、と言いながらドワーフは王子を一睨みし、エルミアに向かって言った。
「俺たちの村は、この森を抜けたずっと先にある。お前さんの歌声を聞いたのは、数日前だ」
肩に乗っている王子の手が気になって、ドワーフの言葉がしっかりと耳に入ってこない。
なんだか、落ち着かないよ…
「俺たちの村にも、西の女王の呪いがかけられていた。元気な者は一人もおらず、見つかったら西へ連行されると思うと、みんな恐怖で外へ出られねぇ。病気のものは寝込み、村はどんどん死に絶えていったよ。体は生きているのに生気が感じられない、そんなとこだ」
王子の手に力がこもるのが分かり、どうにか手を払いのけようと努力するのを諦めるエルミア。
ドワーフは続けた。
「しかし、歌声が聞こえたあの日から、小さな変化が起き始めた。病気で引きこもりなやつが、不思議と回復し始めたんだ。もうお先真っ暗だと嘆いていた奴たちが、なぜか少しずつ前向きになっていくんだ。あの夜は、本当に奇跡のようだったよ。数日経つと、外に出たい奴ばかりになり、数年ぶりに笑い合いながら、酒を飲んだり、ダンスしたり、生きていて最高の時間になった」
そしてエルミアに向き直った。
「俺は、ドワーフ村の代表として、お前にお礼を言うために来た。はるばるここまでな」
それから、しっかりと頭を下げた。
「感謝している」
それに倣って、後ろの強面の四人も頭を下げた。
「お前が、エルフじゃなくて本当に良かった」
帰り際に、皮肉も忘れないで置いて行くドワーフ達を見送る。
門の近くでドワーフは振り返り、また口を開いた。
「エルミア、何かあれば俺を頼ってくれ。アゥストリの友と言えば、皆優しくしてくれる」
そう言って、手を振った。
エルミアも手を振り返した。そして、ふと気がついて慌てて叫んだ。
「あ、アゥストリ!この森は…!」
「既に呪いは解けているみたいだぞ。もうビビらなくていいんだ、エルフの王子さまよ!」
アゥストリの大声が森の中へこだました。