#06
「私たちは、この王宮の外へ出ることが出来ません」
宮殿内を案内してもらいながら、リーシャが言った。
リーシャが先頭を歩き、エルミアの両隣に腰まで届いた三つ編みのナターシャと、赤い花を頭につけたサーシャがいる。
「どうして?」
秋の色づく木々を見つめながら、エルミアは聞いた。ここにも四季があるのかと思うと嬉しくなる。
「西の女王に呪いをかけられちゃったから…」
一番年下であろう幼い顔に三つ編みをしたナターシャが、隣で言った。ため口は無礼だとリーシャが鋭い視線を送ったが、エルミアは気にしないで、というよう手で合図を送る。
「呪い?」
確か王子が、女王に支配されているとか言っていた気がする。
「一歩でも外へ出たら、術中にハマり心が毒される。そして心の病を抱えた人は西の女王の元へと向かう。女王の呪いはそれほど危険なの」
「そうやって女王は自分の勢力をつけているんです」
今度はサーシャが言った。
「じゃあ、ずっとここにいるの?」
足を止めてエルミアは三人に聞いた。
「はい。王と妃が女王に負けて以来ずっとです」
そう言えばずっと違和感を覚えていた。王子はいるのに、この王宮には一緒に住んでいるはずの王と妃の姿がない。
「そのペンダントは、もともと妃のモノだったのです」
リーシャがエルミアの胸元にかかっているペンダントを見つめながら言った。
「呪いのペンダント…」
王子とその側近が話していたのを思い出した。
「女王にかけられた呪いのせいで、このペンダント身着けた妃は永遠の眠りにつきました。そして、それを見た王が激怒し、戦争を起こしたのですが、敗退。それ以来、この王宮の周りには呪いがかけられているのです」
リーシャの後をついでサーシャが言った。
「生前、王がかけて下さった魔法により、この宮殿だけは守られているのですが、外には出ることが出来ません」
「でもちょっと待って。この前、私を追いかけて王子が…」
そしてその時、王子が腕を怪我していたのを思い出した。
「もしかして、襲われたの?」
「いえ」
リーシャが首を振った。
「この王宮の周りにかけられているのは、恐ろしい幻覚を見るという強力な魔術です。王子はきっと、自分で幻覚から目覚めさせるために自分自身を切ったのでしょう」
言葉が出なかった。
そんな危険を冒してまで、王子が私を追いかけて来たなんて…
「どうしてそこまでして、私を…」
「あなたが、予言の娘だからです」
突然後ろで声がして振り向くと、いつも怖い顔をした王子の側近が立っていた。
エルフの三人が一斉にお辞儀をした。
「グウェンさま」
金髪を頭の上の方で結んでいる背の高い男性。
この人を見ると、ついこの間覚えた恐怖の記憶を呼び起こされてならない。王子の側から片時も離れず、常に周りを監視している。
エルミアは、後ずさりした。
また、今回も何か言われるのだろうか…。
「今までの無礼をお許しください、エルミアさま」
さっと膝をついて、謝るエルフを前にあっけにとられる。
「そのペンダントを身に着けていることで、エルミアさまが女王の手先ではなく、こちら側の者であることが証明されます」
グウェンは説明した。
「どうか、この国を、王子をお救い下さい」
固い顔を崩さず、まっすぐエルミアを見つめた。
救うって言っても、私何もできないよ…
なんて、エルミアを「予言の娘」と信じてやまない人たちに言えるはずもなかった。
どうしたら、いいんだろう…。
とんでもなく事が大きくなっている気がする。
エルミアの脱走事件以来、宮殿で働いているエルフたちの態度は良い方へと変化したが、それと同時に期待のまなざしも感じられずには、いられない。
「私は、ただ帰りたいだけなのに…」
エルミアは、暗い気持ちで、王宮の最上階にある小さなバルコニーから外を眺めていた。
王宮の背面に位置するその眺めの良いそこからは、近くの集落や遠くの地平線まで見渡すことができた。
バルコニーからすぐ下に見えるのは、エルフたちが「呪いの森」と呼んでいるうっそうと茂った木々がある。しかし、呪いのというには、いささか美しすぎるのではないかと、思わずにはいられなかった。紅葉の季節の今は、色とりどりの葉っぱが、気まぐれな風によって四方に揺られている。秋色の木々がそよそよと風に吹かれては、赤、黄、オレンジ色の葉っぱがふわりと宙を舞う。その上を見たこともない緑色の鳥が楽しそうに飛び回り、カラフルな情景にさらに輝きをもたせる。
頬を撫でるそよ風が、エルミアの肩までのびた黒髪をもて遊ぶ。
「ん~気持ちいい」
王宮の周辺を飛び回る鳥の鳴き声が、歌声のようにも聞こえてきて、さっきまでの気持ちの落ち込みはどこへ行ったのか、だんだんと心が軽くなってくるのを感じた。
エルミアは、無意識のまま鼻歌を歌いだした。
たまたま頭に思い浮かんだのが、幼稚園の時に、お遊戯会でさんざん歌って踊った曲だった。未だに覚えている自分に、思わず笑いがこぼれてしまう。
頭の中で音楽が流れ続けるので、いつものように口ずさんでいると、さっきまで風に自由に吹かれていた色とりどりの葉っぱがエルミアの歌に合わせて動き始めたように見えた。
エルミアは夢心地で、手を指揮者のように振りながら歌い続けていた。
ふとその時、脳裏に何かがよぎった。
【…スの金の羽根】
「なに?今の…」
【…ガサスの金の羽根】
「ペガサス…?」
ガタンと後ろから何かが倒れる音が聞こえて、エルミアは振り返った。
驚いたような顔をしたまま立っているリーシャに、エルミアは声をかけた。
「どうしたの?」
はっと我に返ったリーシャは慌てて、今しがた落とした花瓶を拾った。
「すみません。王子がお呼びです」
「王子が?」
リーシャに近寄ると、リーシャの顔がさらに青ざめているのが分かる。明らかにさっきまでと雰囲気が違う。
「どうしたの?」
「図書室に来いとのことです」
「じゃなくて。リーシャ、大丈夫?」
2人で、王子の待つ図書室へと向かいながらリーシャの顔をのぞく。
「大丈夫です。すみません」
結局、原因を教えてくれないまま二人は図書室と呼ばれる塔に到着した。
その塔は、王宮本殿より少し離れたところに位置しており、遺跡跡のように崩れている。夜にここに一人で来る勇気はきっとないだろう、と思いながらリーシャのあとについて黒く錆びた重いドアをくぐった。
「うわぁ…」
思わず感嘆の声が漏れた。
外観からは想像もできないような神秘的な光景が目の前に広がっていた。
円を描くように陳列された本は、塔の高い部分まで伸びており、どこにある本も取れるようにはしごや、階段がついている。
丸くかたどられた天井からは、自然光が入って来て本棚に反射してキラキラと輝いている
。普通なら見えてしまうだろう、舞っている埃が全く目に入ってこないのにも驚きを隠せない。
「これは…人生で一番の図書室だ」
図書室と聞いて学校の、シンプルかつ勉強机があるものを想像していた。いい意味で裏切られたと天井を見上げながら、気分が高揚しているエルミアは、床に座っている数人のエルフに気がつかなった。
「来たか」
突然足元で、声がしてエルミアは飛び上がった。
段差を少し下がったところに、赤い絨毯を引き、居心地が良くなるようにといくつかクッションを置いて座っていたのは、王子と、グウェン、そしてサーシャとナターシャだった。
リーシャが先導し、エルミアは、王子の隣に座った。
丸く弧を描くように座り、その真ん中にはいくつかの本が並べてある。
「どうかしたんですか?」
王子と本を交互に見ながら、エルミアは聞いた。
自分がなぜここに呼ばれたのか、全く見当が付かない。これから何が始まるのだろう。
王子は、手元の分厚い緑色の表紙の本を手に取って言った。
「この間、精霊の書について聞いてきたのは覚えているか?」
スカイブルーの瞳でエルミアを見つめた。
吸い込まれそうな美しすぎる青にエルミアは、思わず顔を逸らして頷いた。
「夢の中で、そう言われただけなんだけど…」
あたかも別の本に急に興味を持ったと言わんばかりに、本を開いてみるが、エルフ語で書かれているのか、はたまた別の言語で書かれているのか、さっぱり分からない。
王子は、本をパラパラとめくった。
「精霊の書について知っている者は、ほとんどいない」
「なぜ?」
エルミアは王子を見つめた。一瞬、王子の子守歌のような心地よい声に影が落ちたと感じた。
「予言と一緒で、決められた人にしか伝わらないからです」
王子の言葉を継いで、グウェンが言った。グウェンもまた暗い顔をしている。
「予言を受け取れるのは、この世界において四人だけ。そして、おそらく精霊の書について知っているのは、私の父親と、あと三人。残念ながら、王がいない今、私たちエルフは直接予言を受け取ることが出来なくなってしまった」
「その精霊の書って何?重要なものなの?」
隣に座っているリーシャに聞いた。
「精霊の書は…四大精霊の呼び出し方が記された文書です」
室内がしんと静まり返った。
物事が深刻なのは、この空気で手に取るように分かる。ただそれが何を意味するのか全く分からない立場のエルミアは、ここからさっさとここから抜け出したい衝動に駆られた。
「この世界には、精霊が4つ存在する」
表情を読んだ王子が、話し始めた。
「火の精霊、サラマンダー。水の精霊、ウンディーネ。風の精霊、シルフ。そして
土の精霊、ノーム」
目の前の本をめくり、その情報を示す個所を見つけた王子は、本のページをトントンと叩いた。文字が読めないエルミアは、4つの精霊がイラストで描かれているところを見た。
「これらが、四大精霊と呼ばれるものだ。この精霊たちを呼び出すと、どんな願いでも叶えてくれると言われている。本当に精霊たちを見たものはまだいないが…」
王子の隣に座っていたグウェンは、本を見つめながら言った。
「しかしもし、精霊が女王によって召喚されたら、私たちエルフの国は滅亡するでしょう。彼女の狙いは、この世界、全てを彼女の支配下にすることですから」
またもや部屋に重い空気が漂った。
「で、でもさ。私がただ夢で見ただけだし…。これが何かの予言って訳じゃ…」
「予言にはこう書かれてあった」
王子が真っすぐエルミアを見つめた。今度はなぜか王子の瞳から目が離せない。
「奇怪な服を着、奇怪な言葉を話す者が訪れた時、新たな時代が始まるだろう。世界が一つになり、全ての願いは叶えられる。眠りについた者は、目を覚まし、目を覚ました者は、更なる力を付けるだろう。と」
「それが、私…?」
全員の視線が、エルミアに集中し、なんだか居心地の悪さを感じた。
「いや、でも、私は…」
私は何も知らない。何もできないという言葉は、王子の言葉によってかき消された。
「とにかく、精霊の書について情報を集めよう。誰よりも先に精霊の書を見つけ、女王が四大精霊を呼び出すのを阻止せねば。ミア、他に何か覚えていることはないか?」
エルミアは、あの時のことを思い出そうとした。しかし、鮮明に覚えているのは隣で静かに眠っていた、天使のような美しさの体を持つ王子だけだ。
思わず赤面した顔を隠すように、エルミアは膝に置いていたクッションを見つめながら言った。
「…特には」
ふうとため息を吐いて、王子は立ち上がった。
「各々、精霊の書について情報を集めるように。いいか、絶対に他に漏らしてはならない」
王子が立ち上がるより先に、さっと起立した四人は、「はい!」と声を揃えて頭を下げた。
エルミアは未だ座ったまま、考え込んでいた。
なんだろう…。何か、思い出せそうな気がする…。
「ミアさま?」
サーシャがエルミアの顔を覗き込んだ。
「え?ううん。何でもない」
王子が図書室を出て行ったあとに続くように、四人は外へと出た。
「精霊の書の情報って全くないの?」
声を落としながら、隣に歩いているサーシャに尋ねる。リーシャは先頭を歩き、誰か聞き耳を立てていないか、警戒している。
「本来であれば私どもの耳には全く入ってこない類のものです」とサーシャ。
「代々、予言を受け取る家系があると言われております。四大精霊と強いつながりのある4つの家系のみが、その精霊たちから直々に言葉を受け取ることが出来ると言われています。そのため、予言が出たことにさえ気づかない者は大勢います」
リーシャは前を見つめながら言った。
あまり変わらない様子に見せてはいるものの、さっきエルミアを呼びに来てからというものの何か不自然にも見える。
「リーシャ、やっぱり何かあったんでしょ?」
エルミアは先ほどから自分と目を合わせないリーシャに向かって言った。
「私、何かしちゃった?」
それなら謝る、ごめん。と呟くと慌てたようにリーシャは、首を振った。
「ち、違います!少し気になることがあって…」
「気になることって?」
今やエルミアだけでなく、興味津々の目をしたサーシャとナターシャがリーシャを見つめている。
「どうしたの?」
ナターシャが目をキラキラさせている。
「私が勝手に懸念していることなのですが…」
リーシャが三人の威圧的な視線に耐えられなくなり、口を開いた。
「先ほど、バルコニーでミアさまが歌を歌われていたのを聴いてしまったのです」
エルミアの部屋に戻り、午後のお茶を前にしてリーシャは言った。
いつもティータイムの準備はリーシャがしているのだが、今日は早く話が聞きたいサーシャとナターシャがリーシャをソファーに座らせ、二人で手分けして四人分のお茶の準備をしている。
「うた?」
エルミアは、出された薄いオレンジ色のお茶を口に運んだ。さっぱりとしたシトラスの香が口いっぱいに広がる。
「それが、どうしたの?みんなも、歌うでしょ?」
全員分のお茶と、スイーツを用意し終わったサーシャとナターシャもソファーに座った。なぜか暗い顔をしている。
「もう何年も前から、エルフの国から音楽は消えました」リーシャが答えた。
「私たちエルフは静けさを重んじる種族です。しかし、お祝いの時には楽しい音楽や踊りを楽しんでいました。ですが…」
エルミアは目の前に座っているリーシャを見つめ、続きを待つ。
「ある時、西の国女王の手により、この国、唯一の歌姫が攫われてしまったのです。彼女の歌声には不思議な力があると、女王は知ったのでしょう。彼女の歌声は、人々を元気にし、病気の者さえも治癒する、とても大きな力を持っていました」
サーシャもナターシャも静かに聞いている。
「女王の能力は、心理的に病んでいくものを自分の支配下に置くというものです。そのため、その不思議な力を持つ歌姫が邪魔だったのでしょう。彼女は捉えられ、帰って来ることはありませんでした」
「それで…?」
「国王も、国民を守るために歌を禁止しました。それ以来、私たちは歌をうたうことも、聴くことはありませんでした」
リーシャが口を閉じ、沈黙が流れた。
「その歌姫の名前は…?」
なぜか胸がどきどきする。知ってはいけないような、不安な気持ちと強い好奇心が入り混じった複雑な感情だ。
「それが、分からないの」
ナターシャが、自分の三つ編みをいじりながら言った。
「分からない?どういうこと?唯一の歌姫だったんだよね?」
「正確には、覚えていない、と言うのでしょうか」
サーシャがエルミアを見た。
「実は、今お話したことのほとんどを覚えていないのです。彼女に関する記憶も全くありません。彼女が、このエルフの国に存在し、人々を治療してきたという文書は、国王が生前に書き残していたので、私たちはそれを信じているだけなのです」
紅茶のカップを受け皿に置いて、リーシャが言った。
「長い間、私たちの国から歌は消えていました。そして、ミアさまが歌っているのを聞いて、不安な気持ちになってしまったのです。また何かが起きるのではと…」
「大丈夫だよ」
エルミアは、まだ暗い顔をしているリーシャに言った。
「私は、その歌姫ではないし。私の歌には何の効果もないから」
「きっと、私の考え過ぎですよね」
ホッとしたような表情のリーシャにテーブル越しから微笑む。
「うん、大丈夫」
しかし、リーシャの不安が的中したと確信したのは、それから数日経ったあとのことだった。