#05
耳に心地いい歌声がする。
どこか懐かしくて、それでいて悲しい。
その声の主を探そうと辺りを見渡すが、白い霧で覆われていて何も見えない。
(誰かいるの…?)
頭の中で呼びかけると、辺りを急に光が包み込んだ。
【エルミア、精霊の書を見つけなさい。それがきっと、あなたを、そしてこの国を救うでしょう】
(エルミア…?私のこと?でも、私は…)
不思議と違和感なく思える、自分の新しい名前。
(私の名前は…エルミア…?)
声は未だに頭の中でこだましている。
【精霊の書を見つけなさい。次の蒼月までに…】
エルミアは、瞼の裏に光を感じて目を覚ました。カーテンの隙間から明るい光が入ってきている。窓の外から鳥が鳴いている声も、微かに聞こえる。
目を開けると、飛び込んでくるのは、もはやお馴染みのボルドー色の天蓋だ。金色の刺繍が施された、豪華絢爛なベッドに横たわっていることに、少しずつ慣れて来た自分がいる。
空気のように軽い羽毛布団に埋もれながら、まどろみ、幸せなひと時を過ごす。
頭の中の声はもはや聞こえないが、言葉ははっきりと覚えている。
「精霊の書…」
エルミアはそう呟きながら、寝返りを打って、思わず小さな悲鳴を上げた。
上半身裸姿の王子が、隣で美しい彫刻のように眠っていた。
「え、え、え?」
パニックに陥っているエルミアは頭を抱えた。
なぜ、こんなことに…
透き通るような滑らかな肌、そして程よくついた筋肉の体を目の前にすると、誰しもが自分に自信がなくなるではないだろうか。
また、私は悪夢を見ているの…?
なぜかキャミソール一枚でいる自分をどうにか掛け布団で隠そうとするが、頑張るたびに王子の布団がなくなって、綺麗な肌があらわになっていく。
なにこの状況~!
と、とにかく誰か助けて~
半泣き状態で、とりあえずベッドの外へ出ようとするが、この最悪なタイミングで王子が目を覚ました。
「大丈夫か?」
眠そうな声で王子が言った。
普段から隙を見せない王子の貴重な半覚醒状態を見られるとは。不覚にもドキッとしてしまった。
「な、何がですか?」
自分のところに布団を一生懸命かき集め、体を隠しながら、エルミアは聞いた。
「3日間、高熱でうなされていた。覚えていないのか?」
そう言えば…
水盆で家族の姿を見て気絶してから、記憶がない。
そして、今まではと違う形の家族の様子を思い出した。
私がいないのに、私がいなくても成り立つ。
少し前まで、私がいた場所に別の誰かが、当たり前のように存在している。
同じなのに、全く異なって見えた家族。
エルミアが、突然青ざめた顔をしたので、王子は優しく声をかけた。
「お前を家族の元に届ける。必ず見つけ出すから」
「はい…」
「おそらくチャンスは、次の蒼月の日だろう」
それまでに情報集めをしないと、と言う王子を見つめた。スカイブルーの美しい瞳が確固たる決心を伝える。約束を本気で守ってくれるようだ。
「ありがとうございます…」
すると王子は体を起こして言った。
「そう言えば、自己紹介を忘れていた。私の名前は、アルフォード・リンディル・イリシオンだ」
長っ…
「お前の名前をもう一度聞いてもよいか?」
「はい…。エルミア…です」
ふと頭の中で、先ほどの夢がまた鮮明に蘇り、とっさに口から出た名前がこれだった。
あれ…?もっと違う名前だった気がする。
しかしそれをもみ消すかのように、さっきの言葉がまた頭の中でこだました。
【精霊の書を見つけなさい】
「王子」
未だに自分を見つめている王子に、声をかけた。
「なんだ?」
「精霊の書って知ってますか?」
その言葉を聞いた瞬間、王子の目が大きく見開いた。
「それを、どこで…?」
「さっき夢の中で、言われたんです。精霊の書を見つけなさいって」
王子は一瞬考え込むように黙ったあと、ドアに向かって「ミアに食事を」と言った。
それを合図に、外で待機していたエルフが入って来た。
前回に比べるとかなり人数が減っている。お風呂で膝をついて謝ってくれた美女エルフと、残り二人の若い子たちだけになっている。
「ミアさま、改めてよろしくお願いいたします」
三人の美しいエルフたちは、膝を付き、頭を下げた。
「リーシャ、サーシャ、ナターシャだ。これからミアのお世話係になる。何かあれば、この三人を使うといい」
王子はそう言って、近くにあったバスローブを着ると颯爽と部屋を出て行った。
王子がいなくなるとすぐに、テーブルに着々と朝ごはんの用意がされる。
そして、近くにいた金髪に赤い花を挿したサーシャが、床まで届きそうな淡いピンク色のワンピースを差し出した。
「これを」
エルミアは、ベッドから出て言った。
「あの、もっと動きやすい服は…」
それから気がついた。
体が軽い。だけでなく、体がかなりほっそりしている。
「私、痩せた…?」
ストレス食いをしたせいで醜くついたお腹の二段のお肉がいつの間にか消えていた。二重顎が定着していた顔周りも、細くなっている気がする。
部屋を見渡し、キャミソールのような薄いネグリジェのまま鏡を探す。
「嘘…。メガネかけてない…」
長時間のパソコン業務のせいで、どんどん視力が落ち、分厚い眼鏡が必要だった目には、今やメガネがなくてもはっきりとものが見えるようになっていた。
しかし、一重の瞼や、低い鼻は相変わらずだ。
「聖水を飲まれたからです」
服を持ったまま付いてきたサーシャが可愛らしい声で言った。
「聖水…?」
「はい」
エルミアに服を着せながら続けた。
「聖水は、その方を本来の姿に戻すものです。高熱を出されていた間、聖水を飲まれていたので」
いや、本来の姿ならお母さんの遺伝子も戻って来てくれよ…
未だに低い身長と、天パの黒髪を見ながら、そう思わずにはいられなかった。
「お食事の用意が終わりました」
おそらく一番年上だろう。お風呂で謝罪したエルフ、リーシャが言った。
「どうぞ、お食べください。何日間も食べられてないのですから」
目の前に広げられた美味しそうな朝食に、お腹が鳴る。焼きたてのパンに、温かそうな湯気が立ち上るカボチャのスープ。そして出来立ての卵料理やお肉料理。
「ありがとうございます。頂きます」
ソファーに腰かけ、食べ始める。
「ミアさま。私どもに敬語はおやめ下さい」
「え?」
リーシャが言った。
パンを頬張りながら、エルミアは首を傾げる。
「ミアさまは、王子のパートナーでいらっしゃいますので」
思わず口から食べものが出そうになった。
「へ?」
「王子が3日間も付き添いで看病されていました。ミアさまの体温が急激に落ちて危険な状態の時に、自らを使って温めたのも王子ですよ」
恥ずかしそうに口元を抑えながら、サーシャが言った。
とうとう口から卵が飛んだ。
「ええ?そ、そういう…」
そういうことなの?王子がベッドにいたのは。
突然顔が熱くなったのは、この熱々のカボチャのスープのせいではない。
「はい。ですから…」
未だ楽しそうに言葉を続けようとするサーシャに、手を使って制する。
「も、もういいです」
「サーシャが失礼いたしました。きつく叱っておきますので」
リーシャが申し訳ございませんと、頭を下げる。
「えっと、じゃあ私からもお願い、いいですか?」
「何なりと」
三人が姿勢を正した。
「もっとフランクに接して欲しいです。私の世話係ではなく、どちらかというとお友達になって欲しいんだけど、だめですか?」
エルミアは自分で言いながら恥ずかしくなって下を向いた。
決して今まで、友達がいなかったから、この状況を利用して友達作りを試みようとしている訳ではない。決してない。
そして友達が多かった亜里沙がずっと羨ましかったわけではない。決してない。
「直々に言われてしまっては、断れません」
リーシャが、ため息を吐いて言った。
「しかし、私どもに敬語は、やめて下さいね」
「はい!よろしくね」
ここに来て初めてエルミアが嬉しそうに笑うのを三人は見た。