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蒼月の約束  作者: 狐嬪
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#04

なに不自由なく、という王子の言葉は、朱音にとってとんでもなく厄介なことだった。

何をするにも10人以上のエルフが付いて回り「お手伝いします」の一点張り。朱音は、事あるごとにそれを丁寧に断っていたものの、だんだん億劫に感じ始めていた。

そして、今までとてつもなく忙しい毎日を過ごしていただけに、突然やることがないとなると一日が嫌になるほど長く感じる。


その為、キッチンや掃除中のエルフに声をかけては「何か、手伝えることはありませんか?」と聞いてみるものの、表面上でやりすぎな程、丁寧に断られるのだ。

元々友達が多くない朱音は、そういう対応に慣れていたが、それが何日も続くとさすがに堪えて来た。朱音の目を見て話すものは一人もおらず、話をする相手もいない。だんだんと、朱音も「大丈夫です」「ありがとうございます」以外には、言葉も発さなくなってきた。

エルフたちの態度だけでなく、気持ち的に辛いのが、どこへ行っても監視されているという感覚だ。朱音が、トイレに行くにも10人以上のエルフが付いて回り、朱音が出てくるまで外で待機している。夜にふと目が覚めた時も、廊下には数人のエルフが交代で見張りについているのに、気づいてしまった。


だんだんと、王子が自分を逃がすまいとしているのが分かって来た。

不自由なく暮らせる、というのはある意味自分をこの宮殿の中に閉じ込めておく口実なのだと。しかし、朱音には王子が帰り方を見つけてくれるという願望に託すしかなった。その希望があったから全ては我慢できた。だが、朱音の腹の中に溜まった黒いかたまりが、とうとう爆発する事件が起きた。



その日も、部屋にいたら気がおかしくなると、朱音は気晴らしの為に宮殿内を散歩していた。

すると、ふと話声が聞こえた。ちらりと後ろを見ると、数歩あとをついてきているエルフたちは未だ下を向いている。

スピードをゆるめ、声のする方へと向かっていく。


「本気ですか、王子?」


いつもしか目っ面をしている側近の声だ。その横には、同じく顔をしかめた王子がいる。

耳をそばたてながら、素知らぬ顔でゆっくりと近づく朱音。


「あの娘、まだ身元も、よく分からないのに。新種のドワーフかもしれませんよ?」


ドワーフ?

何、私今、ディスられてるの?


ドワーフと言えば、絵本の中で観たことがある。小さい体に、大きなひげを蓄えた小人。


「お前も見ただろう。あのペンダントを」


王子が言うのが聞こえた。


朱音は思わず、胸元にかけてある星型のペンダントを触った。受け取った時以来、王子から身に着けていろと言われ、毎日首から下げている。


「あの、呪われたペンダントは…」


そこで、王子は朱里がそこに立っているのに気がついた。


呪われたペンダント…?

私に着けさせていたのは、呪われたペンダントなの…?


驚いた様子の王子が朱音の後ろのメイドたちに「いつからそこにいた?」と聞いていたが、朱音の耳には入って来ていなかった。


「どうして、私ばかりがこんな目に…」


朱音はそこまで言って、涙が出そうになったのをぐっとと堪えた。こんな非情な人たちの前では泣きたくない。

朱音は、下唇を強く噛んで自分を抑えたあと、無理やり笑顔を作った。


「私のことは気にせず」


くるりと踵を返すと、なるべく速足でその場を立ち去る。後ろのエルフたちも慌てて朱音に付いてくるが、そんなことはどうでもいい。

朱音は泣きながら、走り出した。自分がどこに向かっているのかの分からず、とりあえず遠く、遠くへ行きたかった。突き放すような冷たい視線と、呪いのペンダントを着けさせるような非情なエルフたちから離れたかった。


ここに、私の居場所はない…


そう思うとずっと我慢していた涙がどんどんあふれて行く。

ペンダントを力強く引っ張るが、強力な接着剤で着けられているのか、鎖で手を切っただけで、全く首から外れる気配はなかった。


「なんなのよ、もうっ…」


いつの間にか、丘を登り頂上に着いていた。

ふと気がつくと、あの日、亜里沙と来た「鏡の泉」に瓜二つの湖の前に立っていた。透き通る水たまりに、冷たいそよ風が吹き、水面を揺らす。


しばらくじっと見ていた朱音の中に、「もしかしたら、ここから帰られるのかも…」という気持ちが、突然に沸いてきた。

水の中から出てきたのであれば、水の中から家に帰れるのではないか。

王子がまだ帰し方を見つけてないのであれば、自分で試せばいいのではないか。


急に降って来た感覚に憑りつかれるように、朱音は水際へと向かう。

自分でも気が付かない内に足がどんどん前へと進み、躊躇なく水中へと入って行く。不思議と水温は感じなかった。


もう少し…、あと少しで、家へ帰れる。

私の居場所は、あの家だ…

早く帰らないと…。

みんな待ってる。


既に水が腰のあたりまで来ていても、スピードを落とさず先へ先へと進んでいく。


すると、突然、深みにはまった。いきなり、水の中へと落ちて行く。

口から大量の空気が泡となって上がっていく。

水が体内に張り込む。

視界がぼやけ、頭の中がふわふわとし始めた。


ああ、この感覚だ…


おぼれているというのに、なぜか安心感に包まれていた。


あと少し。あと少しで家に帰れる…


朱音は水に体を預けたまま、目を閉じた。


【あかね】

みんなが自分の名前を呼んでいるのが聞こえる。


お母さん…

【ほら、朱音。ご飯よ】


水が肺に勢いよく入って来るが、不思議と苦しさは感じない。


お父さん…

【おい、あかね。仕事は順調か?】


亜里沙…

【ねぇ、お姉ちゃん。遊ぼ!】


うん、分かった。

今、帰るから…。

待ってて…







「おい!しっかりしろ!」


ぐっと体を引っ張られて、朱音は水上へと顔を出した。

今度は勢いよく空気が体内へと流れ込み、苦しい。薄目を開けると、そこには焦った様子の王子が、朱音を抱きかかえるようにして立っていた。


「お前、自分が何しようとしているのか、分かっているのか…!?」


近くで、大声で怒鳴られているのに、遠くの方でまだお母さんたちが自分を呼んでいる声が聞こえる。朱音の瞳は王子を見ているようで、全く焦点が合っていない。


「帰りたいの…。私を家に帰して」


肩を揺さぶられてもまだ、現実に戻ってこない目の前の小さな人間を見て、王子は初めてことの重大さを実感した。

この小さな生物が、突然見知らぬ土地に来て、どれだけ心細かったかを、そしてずっと独りぼっちだったということを悟った。この者にも家族がいるということを、どうして考えなかったのだろう。自分がとてつもなく不甲斐なく、情けなく思えた。


「お願い…。帰りたいの…」


未だに大量の涙を出して、水に戻ろうとする体を抱きしめながら王子は言った。


「何とかして、お前を元の世界に戻すから。約束するから」


約束するから。


その言葉が強く、朱音の脳内に響き、心に残る優しい王子の声が朱音を現実に戻した。


「すまなかった…」


謝る王子の言葉に、朱音は自分の心が、体が解凍されていくのを感じた。





王宮に戻った時には、既に日暮れを過ぎていた。真っ暗になる前に帰って来られてよかった、と王子が隣で呟くのが聞こえた。

王宮の入り口では、大勢のメイドと側近の男性が青ざめながら、二人の帰りは今か今かとハラハラして待っていたのが見て取れた。

ずぶぬれになった二人の様子を見て、王子の側近が言った。


「すぐ、風呂の用意を。それとタオルだ」


そして王子に駆け寄ると、「王子、その腕…!」と小さく叫んだ。その時初めて、朱音も王子の服に血が染みているのに気づいた。


「ど、どうして…?」


朱音は、腕と王子の顔を交互に見る。王子は、腕を隠しながら「気にしなくていい」と言い、「もう自分で治療した」と側近に言うのが聞こえた。


「まさか…」


私を助けた時に?という言葉は、王子によってかぶせられたタオルで消えた。そして「早く、この者を風呂へ」と命令し、朱音はメイドのエルフたちに半ば引きずられるようにして大浴場へと向かった。



ちょうどいい温度の湯船に浸かると、自分の身体が今までどれだけ冷えていたかを思い知らされる。骨の髄まで心地よい湯加減が染みわたった。

扉が開く音がして、何人かのエルフが浴場にまで入って来た。


「ど、どうかしましたか?」


朱音は、慌てながら、近くに置いていたメガネをかけ、お湯のなかへ体をさらに沈めた。こんなぽっちゃり体型を美女たちに見せられる訳がない。


「申し訳ございませんでした」


目の前で突然、数人のエルフが膝を付き、頭を下げたので朱音はぽかんとした。


「私共の、今までの態度をお許しください。異世界からきたあなた様に対してどう接していいのか分からず、失礼な態度を示しました。決して、悪意があった訳ではありません」


美しい絵画のような表情を崩さず、女性のエルフは膝をついたままハッキリした声で謝った。


「だ、大丈夫なので…。あの、頭上げてください…」


「だから、もう無茶な真似はやめて下さい」


そう言って顔を上げた美しいエルフは悲しげな瞳をしていた。


「本当に心配致しました」


その瞬間、朱音の心も温かい気持ちでいっぱいになる。


「ごめんなさい」


これからは、何でも相談して下さい、と約束を取り付けてから、エルフたちは浴場から出て行った。

初めて、こっちの世界に来てから幸せな気分になった。



お風呂から上がると、体を芯から温めてくれるような食事が用意されており、多くのエルフに見守られながら緊張して食べ終わると、王子に呼ばれた。


「お前に見せたいものがある」


メイドや側近を、食事に行かせ、二人は王宮の奥にあるらせん階段を上った。


「神殿であるここは、王族しか入れない」


歩きながら、王子がそう説明した。

息切れしながらも、頂上に着くと、そこには、神殿と言うにふさわしい数々の石柱と、小さな水盆が一つ置いてあった。

天井はなく、夜空がキレイに見える。


「家族に会いたいか?」


王子が、隣で空を見上げている朱音に言った。

朱音は驚いて王子を見つめる。


「か、家族に会えるの?」


「正確には、向うの世界を見る、ということだが。しかし…後悔することになるかもしれない」


綺麗な顔に眉をひそめながら、王子は言った。相当の負担が既にかかっている、このか弱い人間に、これ以上ストレスをかけるのは危ない。と言っているようにも見える。


「…後悔しても、家族に会いたい」


朱音は、着ている服の裾を掴んだまま、はっきりと言った。


「分かった」


朱音の覚悟を聞いて、王子は水盆に近づき、小さな声で呪文のようなものを呟いた。

突然水盆が光り輝き、何かを映しだした。楽しそうな笑い声も、その水盆から聞こえてくる。

王子が近づくように施すので、朱音はゆっくりと歩みを進めた。緊張で、体全体が脈打っているのが分かる。

石を一段上がり、高い位置にある水盆の中を、背伸びしてのぞき込む。

そこには、懐かしい家族の姿があった。

実家のリビングで、家族が集まり楽しそうに夕飯を食べている、何でもないごく普通の光景に思わず涙が頬を伝うのを感じた。


「お母さん、お父さん、亜里沙、おばあちゃん…」


ふと、突然、何か違和感を覚えた。

そこには自分がいないはずなのに、5人の人影があるのだ。

いつも自分が座っているポジションには、別の誰かがいた。

朱音と同じ黒髪をしているが、整った美しい顔、そして日本人には到底あり得ない薄い緑色の瞳がちらりと見えた。


「誰…?」

思わず声が裏返る。


嫌な予感がした。

心臓が、体の中で大暴れし、喉の奥までやってくる。


「お前が召喚されたということは、こちら側の世界からも誰かが向うに行っているということだ」


後ろで王子が静かに言った。


「おそらく、女王に生贄として出された娘だろう。お前と違って、記憶は消されているから自分は人間として生まれたと思っているはずだ」


言葉が見つからなかった。

今まで自分がいた場所に、別の誰かが当たり前のように生きている。


そしたら…私の居場所はどこなの?


そんな疑問がまた頭をぐるぐる回る。

頭が重くなったように感じ、足元がふらついて、階段を踏みはずした。


「私…どうしたらいいの?」


気を失う手前で、朱音はそう呟いていた。





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