<#00b:天使の過去、その根回し>
レグニア=アーケナスは大僧正や騎士団の心配をよそに、概ねまっすぐに育っていた。
いや、育ちすぎて逆に心配されるという、前代未聞の事態を引き起こしていた。
時折、意味不明な言葉を発することもあったが、素直で物覚えが良く、文字の読み書きをあっという間に習得した。
読み書きができるようなると次は聖典を読破し、聖典を読破すれば今度は『奇跡』に使う祝詞を暗記した。食前の祈りの文言など教えずとも覚えてしまい、いつの間にか口からすらすらと紡ぎだす始末だ。
計算はべらぼうに早く、しかも正確。地理や歴史も問題ではなかった。
剣術は年齢故、あまり激しい訓練はさせていないが、筋がよく将来が有望視されている。それに忍耐強く、多少こけたくらいでは声すら出さない。
神気の高さも目を見張るものがあり、年齢からすると酷く不釣り合いで、将来的に使える『奇跡』の数を考えると、末恐ろしいものがあった。
まさに神童と呼ぶにふさわしい成長速度に、誰もが舌を巻いていた。学習において残る問題は実践ぐらいのものだ。
また思想面においては、図らずとも清貧派の思想を受け継ぐ形となっており、歳の割りにとても思慮深い。
ただし、これは現時点での話であり、将来的にどう転ぶのか、神のみぞ知るといったところだ。
教会の裏側という現実を知ってしまった時、なまじ頭が良いだけに受ける衝撃も相当なものになるのではと、良くない想像を騎士団が漏らすと、
「やめろ馬鹿者!!・・・あっ、いや、すまぬ」
大僧正が頭を抱えたりもした。
あと気がかりだったのは、情緒面。レグニア=アーケナスは感情の起伏がやや薄いところがあり、これは、同年代の子供が皆無なのが原因ではないかと、大僧正と騎士団は概ね見解の一致を得ていた。
この帝都において、孤児院なるものは存在しない。
かつてはあったものの、帝都が巨大な都市へと発展するにつれ、総人口が増え、しかも長く続いた戦争も相まって、孤児の数も当然桁違いに多くなってしまっていた。人手が追い付かず、孤児院に収容しきれなくなるのにさほど時間を必要とせず、最後は賛美派がカネを出し渋ったのがトドメとなって結局、数年前に廃止されたのだ。
おかげで、帝都のスラム街は広がる一方であり、道端には浮浪児が屯し溢れかえっている。そうした者は、満足に教育も受けられるはずもなく、またまともな仕事にありつくことも困難なため、犯罪に走る者が少なくない。
その結果、日々の生活のために、スリをはじめとした窃盗などが横行。市場でひしめく通りなどでは、帝国兵たちよる捕り物がもはや日常茶飯事となっていた。
そうして捕らえらえた子供たちは、大概は棒叩きなどの刑で終わるもののだが、中には何度も繰り返したり、徒党を組んだりするような悪質な場合もある。
その場合は、もちろん死罪だ。
帝都では月に一度、処刑日が定められており、見せしめのため公開処刑が行われている。泣きわめく子供が必死に枷を外そうともがき、そして惨たらしく殺されていくのだ。
とても彼女に見せられたものではない。
当然、彼らには墓すら立てられない。郊外に掘られた人棄て孔に放り込まれて、それきりだ。
さて話を戻すと、帝都にはすでに孤児院はなく、教会から彼女の遊び相手を探すのは難しいと言うのが結論だ。
安全や信頼を考えると、やはり帝国貴族の子女達と遊ぶのが一番とも言える。
しかし、賛美派の大僧正とは言え、身分の差を考えると難しく、もとより捻じ込めるほどの政治力を持ち合わせていない。
勿論、比較的安全な区画で平民の子供たちに交じって遊ばせるということを考えたが、これまた大僧正に伝手がない。平民と顔を合わせるのは冠婚葬祭に纏わる行事に限られるため、意外なほど接点が少ないのだ。それに、大僧正という肩書が常について回るため、親たちに敬遠されるのは目に見えている。
身分を隠して潜り込ませる方法もなくはないが、問題はレグニア=アーケナスが『きれいすぎる』事だ。平民の子供の中でも浮いてしまうのは確実で、隠したことで逆にトラブルを誘発しかねないのだ。
貴族の子供とも、平民の子供とも遊べない。
どう考えても、レグニア=アーケナスは不憫な立場であり、悉く今の帝都には彼女にとって不都合な環境しかない。このまま箱入り娘もかくやと言う状況は非常にまずいと、焦燥感だけが募っていく。
そして、もういっそのこと、帝都の外に求めるかという話になった時、
「そうですそれです!もうこうなったら、いっそ騎士団長に助けを求めましょう!」
一人の女性団員が弾けるように声を上げた。
「山岳神殿でしたら、ここ帝都からならそれほど遠くありません!
曲がりなりにも大僧正様は神殿長なのですから、視察という目的で山岳神殿を訪問することは可能かと思います!」
『曲がりなりにも』と、わざわざ付け足すところにやや悪意を感じながらもそれは無視して、大僧正は続きを促した。
「シスターと全く同じ年というわけにはいきませんが、今もそれなりに若い者たちが励んでいるはずです」
「なるほど。それと手前にある門前町も清貧派のお膝元ですから、賛美派が入り込むのは難しいはずです。治安も良い。街の子供たちに混ぜてもらっても、何も心配がありません」
「はいはい!門前町は騎士団長も良く訪れます故、高位の聖職者にも理解があります!」
彼女の提案を皮切りに、次々と他の団員達も賛同の声を上げた。
「長期滞在が難しいのがあれだが、行ってみる価値はありそうだな・・・分団長殿、如何判断されますか?」
「大変魅力的な案ではないかと。もしその気があるようでしたら、某も騎士団長宛に一筆、御助力いたしましょう」
「はい、わたくし、しんでんにいってみたいです。それとわたくしも、ダンチョーさまにおてがみかきます」
「おお、それは心強い!よろしいですかな、大僧正様?」
「ああ、よろしくたのむ」
満場一致で、山岳神殿訪問の案は採用され、程なくして出来上がった手紙を携えて、手すきの団員が届けることになった。
「あ、大僧正様。言い忘れておりましたが、今の内に覚悟なさった方がよろしいですよ?」
「言うな!・・・私も今、気が付いたところだ」
しかし、もうすでに伝令役は旅立っていた。
そんな分団長の問いかけに、大僧正はむなしく力なく肩を落とし、これから起こるであろう苦難に打ち震えた。
それでも、レグニア=アーケナスのことを思えば、無事に事が運ぶよう神に祈らずにはいられないのだ。
そんな大僧正の苦悩を他所に、伝令は順調に行程を消化し、2日後には山岳神殿に無事到着していた。
伝令から手紙を受け取った騎士団長は、
「貴様ら、本気か?いや、正気か?」
「はっ、我々は本気です!そして大僧正様も正気であります!」
と目を細めて真偽を問い質していた。
伝令が持ってきた分団長直筆の手紙には、大僧正が連名を連ね、おまけに件の幼子が書いたという手紙まで添えてあるのだ。
中身を読めば、驚くべきことに賛美派である大僧正が、ほぼ一人で敵地のど真ん中である山岳神殿に乗り込んでくるつもりなのだという。
それも自ら望んでとくれば、さしもの騎士団長とは言え正気を疑わずにはいられなかった。
「僻地の修道院にでも預けてしまえばよかろうに、もの好きにもほどがある」
まさか子供一人のために、ここまで大事にするとは思いもよらなかった。そのため、逆に騎士団長は大僧正の意図を図りかねていた。
レグニア=アーケナスという少女は、実は天性の魔性を備えた本物の悪魔なのではないのか、
そして団員含め全員が彼女に取り込まれているのではと、疑ってしまうほどだ。
そうして、しばらく逡巡した後、騎士団長は決断した。
「よかろう。一度会って、この目で確かめる」
「よろしいので?」
「ヤツらと違って、探られて痛む腹など持ち合わせておらん」
結局、直接会って確かめることにしたのだ。
危険を排除するのが騎士の本分ならば、危険かどうかを判断するのも騎士の仕事の内だ。このまま疑心暗鬼に囚われずるずると放置するよりか、早めに事実をはっきりさせておいた方がいい。
そんな考えのもと、騎士団長は山岳神殿訪問の許可を出した。
「それと、もう一つお願いがあります!今回の事は、大僧正様からは切り出しにくい案件なので、
騎士団長殿に一芝居打っていただきたいとのことです!」
「なるほどわかった。飛び切りの『招待状』を用意しよう。しばし待て!」
「はっ!」
その提案に、にやりと不敵な笑みを浮かべ、ペンをインクに浸した。大僧正への手紙の内容をどうしようかと思っていたところだ。この際、どうせなら一芝居ではなく、ある程度真実味も含めるためにも相応の『接待』を行おうと考えたのだ。
そんな中、悪い顔しているなと思いながら騎士団長を見ていた伝令は、用意された茶と軽食を軽く平らげていた。
「すぐに発つのか?一日休んでも罰は当たらんぞ?」
「いえ!一日休むなどと言えば、『鍛え方が足りとらん!』と、罰より怖い檄が飛んでくるので遠慮しておきます!」
「はっ!言うようになったな!だが無理はするなよ?」
「はい!お気遣いありがとうございます!」
手紙を認め終えたので、それを伝令役の騎士に渡すと軽口を叩きながら受け取った。
山岳神殿を離れても、しっかりと鍛え続けているようだ。
「では失礼いたします!」
そして疲れも見せず、元気よく退室していった。その様子を満足しながら見送った後、騎士団長は傍仕えに向けて密かに指示を出した。
「・・・暗部の者どもが騒ぎ立てるやもしれん。訪問の際は夜間の警戒は密にせよ。ただし気取られぬようにな」
「なんとも無茶苦茶な注文ですが、手配いたします。あとで担当の騎士たちの愚痴をまとめてご報告しますね」
「そんなものはいらん!私は今から歓待の計画を練らねばならんのだぞ!?」
念のため警戒するように促すと、しれっと毒と冗談を混ぜて返された。長年連れ添った仲なのでもはや慣れているが、こういう茶目っ気をだすのが騎士団の伝統となっているところがあり、騎士団長にとっても頭の痛いところであった。
後日、大僧正は届けられた手紙を持って大聖堂賛美派の上役、大司教のもとへ相談に訪れていた。
「クックック、随分と我々は憎まれているようだな」
大司教は読み終わった手紙を机に放り投げ、余裕の表情を浮かべている。おおよそ聖職者がして良い顔付ではなかったが、それが賛美派の重鎮らしくもあった。
手紙には、幾らか遠回しとは言え、かなり威圧的な文面で大僧正を呼び出す内容が書かれていた。
要約すると、
『神殿長のくせに一度も神殿に訪れたことがないとは、何たる怠慢か!問い質してやるから覚悟しろ!』
と、騎士団長直々のお誘いである。しっかりと訪問期日が指定されており、その上ご丁寧に送迎付きとは、手ぐすね引いて待っているに違いない。
誰が好んで行くものかと、大司教は心の中で笑い飛ばした。
しかし、大僧正としては行かなければならないと思っているようで、こうして相談しに来ているようだ。
「今まで音沙汰がなかったが、とうとう堪忍袋の緒が切れたか?」
「お、おそらくは・・・」
ただ、今まで何も言ってこなかった清貧派の重鎮が、突然の要求を突き付けてくる事に少々引っかかるものはある。
しかし、大した問題ではないと思い直し、深く考えるのをやめた。賛美派と清貧派の戦いはおおよそ勝敗が付いているのだ。いまさら何を言ってきたところで、どうこうなるものではない。
それに被害に遭うのは大僧正だけだ。自分さえ無事ならば、後は些末な事に過ぎない。
よほど腹を据えかねただけだろうと、大司教は高をくくった。
「ま、運がなかったと諦めて、招致に応じたまえ。奴ら神殿騎士団であるが故、殺されることもなかろう」
たまにはガス抜きにでも付き合ってやるかと、軽い気持ちですでに印の押された許可証を差し出した。
日付も名前も書かれてはいない。後出しで幾らでも改ざん可能にするためだ。
「たっぷりと可愛がってもらいたまえ。しかし遊びに行くのではない。後でしっかりと詳細を報告してもらうぞ?我らとしても騎士団の言い分を知らねば、対処できぬのでな」
「しょ、承知いたしました。そ、それでは失礼をば」
肩書としては同格のはずだが、畏まって受け答えをする大僧正が、大司教は面白おかしくて仕方がなかった。
退室後、大僧正は急いで自らの部屋に飛び込み、そして大きく息を吐いた。本来は、まず企みがバレることはないはずなのだが、それでも気の弱い大僧正は緊張しっぱなしだった。彼にとって、初めて大司教を騙したという事は、高い崖から飛び降りたのと同義なのだ。
なんにせよ、こうして大僧正とレグニア=アーケナスの山岳神殿行きは叶った。