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<#01:天使のデビュー、その事件>

「なんだってぇ!!?」


 ヒステリックな女の金切り声が、唐突に酒場の空気を切り裂いた。稲光こそないが、まさに青天の霹靂である。


 一瞬で凍り付く喧噪の中、振り返り見れば酒場の一角、テーブル席に若い男女4人組のパーティが見て取れた。男一人に女三人。極めて珍しい男女構成だ。


 未だ草臥れていない装備から察するに、駆け出し間もないであろうその四人組、

そんなの中の一人、ざんばら髪の女がテーブルを叩き壊さんとばかりに、向かい側に座った華奢な女に詰め寄ろうとしていた。


 凄まじい剣幕だ。まるで人食い鬼のようだと客の誰かが呟くと、聞こえたのだろう。

すぐさま声の主にぐるりと首を回せば、向けられた方はおっかないと縮こり、また押し黙るしかなかった。強大な竜にも勝るとも劣らないほどの迫力だ。


 だと言うのに、詰め寄られた方の女は、顔を青くするどころか、その様子に臆することなく、

いやむしろ興味なさげにざんばら髪の女を見返していた。

 その態度にますます業を煮やしたのか、さらに語気を上げてテーブルを叩きつけ、


「治療費を払えだぁ?!おんなじパーティだろうが!!」


と激しく詰め寄った。

 だがしかし、どんなに迫られようとも華奢な女は眉一つ動かさず、しかもすまし顔で、涼やかな声色でもって返した。


「あなた方とは酒場のマスターの計らいによって、臨時で組んだに過ぎません」


「おまけに金貨1枚って、バカにしてんのか!?」


「教会で依頼すれば、治療費は通常金貨3枚ほどかかっていたはずですが?」


「てめぇ、ふざけんのも大概にしろっつーの!!」


 そのやり取りを尻目に、ふとパーティ唯一の男の様子を見れば、右腕の服だけ、二の腕から千切られた様に長袖が半袖になっていることに気が付くだろう。

 また、その服は返り血を落とし切れておらず、ところどころ滲みが残っているようだった。


 だというのに、男の腕には傷は全く見受けられない。もっとも、血は相当失ったのだろう、男の顔色は優れないようだ。やり取りも連れの女に任せて、ただ黙って事の推移を見守っている。


 恐らく依頼の最中、アクシデントなのか、はたまたマモノによるものなのか、彼は腕に大怪我を負ったのであろう。

 だがしかし、それがないということは、今まさに詰め寄られている女が治療を施したに違いなかった。


 問題はその治療法だ。

 通常、傷を癒す手段は錬金術によって作られるポーションが一般的ではあるが、店売りのポーションでは、ああも綺麗に治療することは不可能であると断言できる。


 腕が千切られるほどの深い傷ならば、神職による【奇跡】にすがるしかない。そして、そんな技量を持つ高位の神職など、【教会】にしか存在しない。

 華奢な女は、クレリックか、プリーストとでもいうのだろうか?


 だとすれば、とても珍しい。そもそも冒険者をやっている在野の神職など、指で数えるほどしか存在しない。それももっぱら、亡者どもを相手にするエクソシストだ。


 治癒の奇跡を行使できるほどの貴重な人材が、冒険者などという常に磨り潰されるような立場に身を置くことは普通あり得ない。と言うか、教会がまず手放さない。


 それ故、【教会】が【奇跡】を安売りするはずもなく、だからこそ華奢な女が言ったように、表向きは喜捨、実質治療費という形で金銭を払う必要がある。それも金貨3枚、これがまさに大金。

 金貨3枚もあれば、大都市圏で1年、十分に暮らせるほどなのだ。この暴利とも呼べる金額が、教会の定めた一律の治療費である。

 しかも、値引き交渉などもっての外。


 何故なら、今の世の絶対権力者、それこそが【教会】だからだ。


 勿論治療に身分の差など関係ない。

 しかし、これだけの金額を支払えるのは結局、金を持っている貴族や商人などの有力者に限られるのもまた事実。よしんば平民が治療を受けられたとして、借金による奴隷落ちは目に見えており、また金を惜しむあまり見捨てられる者も後を絶たない。


『神の奇跡は遍く人々にもたらされるべき』との教えは一体何なのか、払える金で人を分けているではないか!


 そして、それは大半の冒険者にとっても変わらない。


 翻って、彼女の提示した金貨一枚という金額。

 常識から考えれば破格の安さともいえるが、それでも駆け出しのパーティに蓄えなどあるはずもなく、また治療費を払えるわけなどない。


「同じパーティに属しているからと言って、只で治療してもらえるのが当たり前、という認識は通用しません。何よりまず、あるべき感謝の言葉すらない、あなた方の態度の方がふざけていると言わざるを得ません」


「だいたい、アレンの剣だって無くしちまってるんだ!装備の買戻しだけでも、どんだけ金が要るかっ!」


 そう言ってざんばら髪の女が指さした方向には、鞘が壁に立てかけてあった。しかし、そこに本来収まるべき剣は収められてはいない。鞘だけだ。

 先の依頼で失ったのだろう。治療費を請求されている彼は、よほど運がなかったと見える。


「それはあなた方の問題であって、私の問題ではありません。

私の神気と言う『リソース』を消費して対価を得ているわけですから、その働きに見合った報酬があってしかるべきです。まさか私の神気が只、などと仰るつもりはありませんよね?」


「んなもん、どーせ一晩寝れば回復するだろーが!!」


 冒険者パーティの分け前に関する揉め事など、良くある話と言えば話なのだが、今回は稀なケースだ。

ポーションなどであれば共同で金を出し合って補填したりすればいいが、そもそも彼女らはパーティーを組んだばかりで華奢な女も依頼の都合で合流したに過ぎず、おまけに治療の奇跡を使ったおかげで話がややこしくなっているのだ。


「回復しようがすまいが、治療した時点で消費しているのに変わりはありません。

それともなんですか。今から『なかったこと』にして、アレンさんの腕を切り落としましょうか?」


 そして華奢な女が、涼やかな声で平然とおぞましいことを口走った。冗談を言ったわけではない。

決して大きな声で放たれた言葉ではないのに、酒場が静まり返る。

 そこに感情も、殺気もない、ただ本気で実行するだけという意志を、誰もが肌で感じ取った。


 雰囲気に当てられて、酒場の客の誰かが思わずその喉を鳴らした。議論は平行線、お互い一歩も譲る気のない、どころかすでに一触即発の事態にまで進展している。


「ま、まぁまぁ、お嬢さん方・・・」


 さすがに揉め事を止めようと仲裁に入ろうとした酒場のマスターだったが、強面のわりに腰が引けている。何より、声に力がこもっていないのが致命的だ。状況が好転するとは思えなかった。 


「クソがぁっ!もう我慢ならねぇ!表に出ろ!!」


 案の定、ざんばら髪の女が吠えた。こうなったらもう止まらない。喧嘩だ。

 彼女たちは足早に酒場の表へと出ていき、遅れて他の客もそれに続いた。


 外に出てみれば、すでに日は傾きつつあった。


 そんな中、怖いもの見たさで遠巻きに野次馬が屯して、あっという間に件のパーティーを取り囲む形になった。街道沿いにある街とは言え、辺境であるが故に、さして広くもない道を完全に占拠していた。


 そのほぼ中心で、女二人は対峙した。


 男を巡って痴情の縺れであれば犬も食わないが、仲間の治療費を巡って女二人が争うというのだ。

物珍しさもあって、誰もが事の推移を見守った。


 ざんばら髪の女は、まさに気に入らない者は誰でも殴るといった表情で拳を握りしめている。武器を使わず、素手でやり合うつもりらしい。

 腕まくりをすればよく日に焼けており、浅黒い肌は血気盛んで男勝りなその性格を如実に表していた。

 顔つきこそまだ幼さを残しているものの、体格がかなり良く、同じパーティにいる男よりも二回りほど背が高い。大人顔負けの身長だ。


「ちょっと強ぇからって調子に乗りやがって!少し殴ったぐらいじゃぁ、ぜってー許してやらねぇからな!!」


 対してうら若き華奢な女は、大人びた言動につい惑わされてしまったようだ。よく見れば、年端もいかぬ少女であることが分かる。

 肩ほどに切りそろえられた緩やかに波打つ金の髪に、白い肌を持つ美しい顔立ち。

 おおよそ冒険者と呼ぶには似つかわしくない容姿の持ち主であり、その上治療の奇跡を使えるのだ。

 冒険者に身を置くのもそれ相応、何かしらの理由があるに違いなかった。


 身に着けたマントを翻し、半身に木剣を構える。彼女も殺しまではしないという事か。大きさは普通の剣と同じはずなのだが、彼女の体格には不釣り合いにも見える。

 だというのに、切っ先に至るまで一切のブレはなく、構えが堂に入っているのだ。明らかに訓練を受けたものだと判る。

 だがしかし、何を思ったのか、すぐさま構えを解いたのだ。相も変わらず表情は薄く、その感情を読み取ることは難しかった。


「あぁっ?一体何の真似だよ!?」


「あなた相手に本気で構えるべきではなかったと気付いただけです」


「・・・てっ、てめぇ!!」


 その挑発じみた行為に頭に血が上ったざんばら髪の女は、間髪入れずに猛烈な勢いを付け拳を繰り出していた。

 しかし華奢な女は、その体付きからは想像もつかない身の熟しでもってさらりと躱し、ざんばら髪の女の体が泳いだ隙を逃さず正確に打ち据える。


 背中を殴打され鈍い音が響くと、ざんばら髪の女はすぐさま痛みと衝撃から短い息を吐き出したが、たたらを踏みながらも押し留まる。


が、彼女の抵抗もそこまでだった

 振り返った次の瞬間にはもうすでに顎を打ち据えられており、あっさりとその場に崩れ落ちた。

 まさに一瞬の出来事 圧倒的な実力差だ。『ちょっと強い』、どころの話ではない。


「な、なに、が・・・」


 ざんばら髪の女は頭を揺さぶられて呂律が回っておらず、焦点のあっていない目で必死に彼女の姿を追っている。

 一方華奢な少女は、勝利を得た喜びなど微塵も感じさせる事もなく、その様子をただ見つめている。


「気はお済みでしょうか?」


 彼女は木剣を収めることもなく、首を軽くかしげながら問いかける。

 よく見れば彼女の持つ木剣には、複雑な文様と文字が刻まれている。木剣とは言え、見事な造りのものだ。 


 そういえば聞いたことがある。


 東の地にあるという神殿、そこの騎士団は神聖な場を血で汚すことを嫌い、よく木剣を用いるのだと。

 高が木剣と思うことなかれ。ひとたび魔力を通わせれば、刻まれた神聖文字によって、たちどころに名剣をしのぐ切れ味を発揮するという。


 教会独自の戦力、巡礼の守護者たる騎士団は、急峻な山岳に神殿を構え、厳しい戒律のもと日々や修行を欠かさず、皆が皆屈強な剛の者というのは有名な話なのだ。


もし仮に彼女がその神殿騎士団の出身であるならば、今のこの結果も、先の治療の話も納得がいくというものだった。


「ヒッ!?こないで!!」


 気が付けば、彼女は残りの二人にゆっくりと詰め寄っていた。影の薄いもう一人の女が、必死に男をかばうそぶりを見せている。

 しかし、すでに全身が恐怖に竦んでいるようで、間もなく体重を支えきれなくなると、ずるりと地面に座り込んでしまった。


「では、金貨一枚。お支払い頂けますか?」


「そ、そんなこと、できるわけないじゃない!」


「では、やはり今すぐアレンさんの腕を切り飛ばしましょうか?」


「それはダメっ!!」


「どちらもお選びにならないと・・・本当に聞き分けのない方たちですね。これだけは使いたくはなかったのですが、仕方がありません」


 埒が明かないと思ったのだろう。そう言って彼女は木剣を収めると、懐からスクロールとペンを取り出し、何やら書き込み始めた。

 誰もが不気味なものを見るような目で見守っていると、書き終わったのだろう、今度はペンをしまい代わりにナイフを取り出した。

 彼女が唐突に刃物を持ち出したことで、皆の間には緊張が走った。


「親指を出しなさい」


 そう言われても二人は動けなかった。

 彼女もそれ以上問答を続けるつもりはないようで、震える手を無理矢理掴み、ナイフでもって傷つけ、スクロールに2人分の血判を押し付けた。

 その後、未だ回復できていないざんばら髪の女の方にも行き、同じく血判をとった。


 出来上がったスクロールが、ただの借金の証文ではないと誰もが予感している中、彼女はそれを天高く放り投げるとスクロールは宙に浮いたまま、にわかに光を放ち始めた。

 そして彼女は両手を天高く掲げ、涼やかな声で歌を歌うように言葉を紡ぎはじめた。


『天に召しますは偉大なる神の聖名において、今ここに、我ら契約の誓いを結ばんと欲す』


『ひとつ、冒険者アレン一党はレグニア=アーケナスにセラフ金貨一枚を支払うべし』


『ひとつ、セラフ金貨一枚の支払い期限は、契約成立より3か月以内とす』


『ひとつ、セラフ金貨一枚を求める際、他者を貶めることによって得ることを禁ず』


『以上の内容をもって契約は不変不動の奇跡となりて、我ら誠の誓いをここに立てん』


『おお神よ、契約が見事為されん事を見守り給え』


 彼女が言い終わるなり、複雑な文様に炎が走り、スクロールは真っ二つに分かたれた。

 その後、すぐさま炎によって端から再生し、彼女の手元にゆっくりと収まる頃には、2枚に増えていたのだ。

 それを彼女は手早く丸めて紐で括った。


 誰もが目を疑った。商人たちの使う一般的な契約魔術などではない。

 これは【契約の奇跡】だ。彼女は【契約の奇跡】すらも行使できる高位の神職だというのか・・・。


「大丈夫です。お二人とも見目はよろしいのですから、すぐに稼げますよ」


 驚きに満ちた空気の中、容赦ない追い打ちの言葉とともにスクロールの片方を渡そうとする。

が、それでも彼女らは腕を伸ばす事はなかった。受け取らないとわかると、今度は腰のベルトに向けて無理矢理突っ込んだ。


「では行きなさい」


 その言葉の意味が解放であるとわかるや否や、ようやく回復したざんばら髪の女共々、三人はたどたどしい足取りで逃げていった。

 誰も彼もが、借金取りも真っ青な取り立てに圧倒され、言葉をなくしていた。


「お、お嬢ちゃん・・・言っちゃあなんだが、あの契約内容だと・・・」


 そんな中、酒場のマスターだけが呆けた声で質問を投げかけた。

 その言葉に彼女は踵を返す。


「別に良いのです、逃げても」


「えっ!?」


 意味を図りかねる返答に 酒場のマスターは思わず素っ頓狂な声を上げた。それに対し彼女は無表情のまま、どこか遠い場所を見つめるように、それだけ呟いたかと思ったら再び踵を返し、歩き出す。


酒場から自分の荷物を運び出し、


「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした。それでは、ごきげんよう」


と彼女が口に出せば、酒場の前に屯する人込みは自然と分かたれ、その間を悠然と通り過ぎその場を後にした。

 夕日に照らされて伸びる影の行く末を知るものは誰もいない。

 そして誰もが無言のまま、彼女を見送ることしかできないでいた。


 それが後に【カネの天使】と呼ばれる冒険者、レグニア=アーケナスのデビューであった。


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