ラブカクテルス その93
いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?
わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前は一番でございます。
ごゆっくりどうぞ。
私はそんなつもりでは決してなかった。
つまりは息子の事を思えばの教育のつもりであった。
私は息子の部屋への階段を複雑な気持ちで上がって行った。
うちの奴からさっき、ついさっきだが、息子が話があるから部屋に来てほしいと言っていた旨を聞いた。
しかし家内は顔をしかめているので、なんでだと聞いてみると、その答えには言葉ではなく一枚の写真を渡されて返された。
それには最近雑誌やテレビ、電車の吊革広告なんかで見る若い女が写っていた。
当然それについて私は全然面識がない上、名前もよく知らないし、女優なのか歌手なのか、はたまた私の記憶にある何人かのタレントなんかと被って勘違いしているのかさえもよく分かっていない程度である。
しかし、うちの奴が言うには息子は今、三度の飯よりその女の子が好きで、しかもその女の子の事になったら自分は誰にも負けない自信があると言っていたそうだ。
そして、息子はやっと一番になれるものが見つかったから父親の私に報告したいと言っていたそうだ。
確かに私は息子に、小さい時から何でもいいからよそ様に負けない、一番になれる何かを持ちなさいと言った。
そんな三才からはピアノを始めて、それから水泳に英会話、ダンス。
小学生になってからは野球にサッカー、空手に柔道、そろばん、習字、塾。
しかしそれなりに身につくところまではいくのだが、飛び抜けた才能があるわけでもなく、結局どれもが一番になれなかったのもあるがすぐに飽きてしまい、長続きするものはなかった。
自分が自信を持って一番になれるもの。
私は気がつくと、息子にそれが見つかったかと尋ねたが、息子は首を横に振るだけだった。
それを見た私は、落ち込んだ様子の息子の肩に優しく手を置いては、きっといつか見つかる筈だからその時には私に教えてくれるようにと言って、励ましていた。
しかし、それとこの写真の女の子はどう結びつくのだろうか。
私はうちの奴に半分急かされて、どういう事になっているかを見てくるように背中を押され、重い足を階段に乗せた。
私が部屋をノックすると、少し間が空き、声を掛けてドアを開けようとしたと同時に、ノブが回った。
息子は得意な顔で私を部屋に迎え入れた。
考えてみると息子の部屋に入るなんて何年振りになるのだろう。
小学生になってからは宿題が解らないと腕を引っ張られて、よくあの頃はここに来た。
しかし中学、高校になってからは、プライバシーという壁ができたからか、この部屋は元より、二階にさえもあまり上がった記憶がない。
だが、その久しぶりに見る息子の部屋はこざっぱりしていて、私が想像していた、あの写真の女の子のポスターやカレンダーが所狭しと飾られている訳でもなく、ただよく整理されていて、気になるのはヤケに立派なパソコンだけであった。
息子は私に椅子に腰掛けるように言うと、嬉しそうにそのパソコンを立ち上げ、これを見てほしいと画面に私の視線を向けさせた。
そしてそこには、照れた顔の例の写真の女の子の動画が、予想通りに映し出されていた。
私は少し照れ臭いというか、どうしたらいいか分からずに顔をしかめていると、息子は私に、そんな顔をしたらその女の子が怖がると言い出した。
私は初め、息子の言っている意味がよくわからなかったが、そんな私に構わず息子がなんと画面に向けて話しかけて、驚くことにその画面の向こうの女の子がそれに答えているのを見て、なんとなくその意味がわかり出した。
そっか、これは高性能のテレビ電話だったのか。
私も携帯電話くらいは普段持ち歩き使ってはいるが、ここまでリアルな映りのテレビ電話が普及しているなんて。
それを見て驚く私を、息子は慌てて覗き込み過ぎていると制して、その女の子に挨拶をするように促した。
私も急かされたせいもあり、慌てて我に返ると、少しドモリながらも挨拶を交わす。
すると驚くことにその女の子も、少し慌てて挨拶を返してきた。
待てよ。
私の頭は少し冷静になった。
確かにこのパソコンの前で起きている、この高性能なテレビ電話は凄く驚くことではある。
しかし。
私はあまり考えもなしに、その画面に手を振ってみた。
画面の中のその女の子は、少し困った顔で手を振り返してくる。
私はその事で大変なことに気付いた。
あの、あの町中で、電車の中で、CMで、テレビで出ているあのゆーめーじんが、目の前で、しかも私と、今、直接、話しを、して、い、る?
本当だろうか?
まさか。
私は息子に振り向き、こんな凄いプログラムを作ったのかと聞いてみた。
すると息子はあっさりそうだと答えた。
私は思わず感動した。
確かにこんな事ができるなんて、この業界では一番に違いない。
しかしよくできている。
まるで本物だ。
近頃はコンピューターグラフィックも想像を超えて、本物と違わないリアルさだ。
私がそう関心している様子を見て、息子は真面目な顔で、勘違いしないようにと私に告げると、その女の子が本物だと言った。
私はまた解らなくなった。
そんな筈があるだろうか。
そんな有名人が我が家の、息子のパソコンにオンラインで映っていて、しかも会話している。
確かに私の息子が有名人でなく、例えば仮にその女の子と偶然運命的な出会いをし、知り合ったとしても、父親の私が言うのもなんだが、息子は大していい男ではない。
なのになぜ、こんな事になっているのだろうか。
考えられる事は息子がその女の子の命を何かから救ったとか、はたまた何か大きなカリがあるとか、何か凄い秘密を知っていて、それでその女の子を嚇しているとか。
私は顔を青くして息子にその訳を聞こうとすると、そんな事をヨソにその女の子はまた照れた顔で、今度は息子に何かをねだる素振りで何かを急かした。
不思議そうな顔をしている私に息子はいきなり改まり、そして驚く事を口にした。
僕、彼女と結婚します。
僕、彼女と結婚、、、結、、、婚、、、ん?
私はまた頭が混乱した。
息子は今何を言ったのだろうか。
きっと聞き間違いに違いない。
私はもう一度息子に、今言った事を繰り返してくれるように頼んだ。
しかしそれは紛れもなく、
お父さん、僕達結婚します。
だった。
私はしばらくポカーンと口を開けたまま、パソコンの画面のその女の子を見た。
そして口から自然と言葉が出た。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だろ?
しかし息子は、冷静に本当ですと言いながら、その女の子の方を見て相槌を打った。
どういうことなのかと私は尋ねたが、息子はその質問には答えずに、私にその結婚の同意を求めてきた。
私は慌てて、わかった、わかったからなぜこうなるのかを説明しろと言うと、息子とその女の子は両手を挙げて喜んで、万歳三唱した。
私はそれにアッケに取られ、なんだ冗談かと怒鳴ろうとすると、息子は私の手を強く握って、しばらく見ていないはしゃぎようで喜ぶのだった。
僕はこれで世界初の二次元と三次元の壁を越えた結婚を成し遂げた。
話しのきっかけは、僕の引きこもりをし出した頃から始まる。
僕は結局何をやってもダメだった。
小さい時からの稽古や習い事の類は好きになりかけて夢中になる前に、父の一番になれたか?のプレッシャーに潰され、何ものめり込めるものを手に出来ずにいた。
そして挙げ句の果てに自信をなくし、生き甲斐を見つけられぬまま、僕は自分の部屋に引きこもるようになった。
部屋ではパソコンにカジリつき、色々なサイトの中で自分を探し続けた。
しかしそんな中で見つけた不思議なサイト。
次元共有世界。
それは、画面の枠の向こうとこっちと壁を作らない、いや、壁を無くすためのサイト。
僕はそれに出会った頃、自分が三次元、つまりは現実の世界の中にいる意味がわからなくて苦しんでいた。
だから自分は出来れば二次元で暮らせたらと思い始め、三次元の全て、味も匂いも笑顔も、そして女でさえも二次元であれば関係ない。
そう思い始めた頃だった。
サイトでは自分が訪問者一番で、僕はなんだかそのことに無性に興奮した。
サイトへ入れば入っていく程、その説明には共感を持ち、そして最後のプランという所へ辿りつくと、信じられない事が提案として出されていた。
それは僕が二次元と世界を共有するなら、二次元の住民権として、二次元の妻を娶る。言い換えれば結婚する必要があると言うことなのだった。
僕は最初、この話しを信じていなかった。
そんな事をする事で金をせしめる詐欺かと思ったが、そのプランの条件は、サイトが与えた二次元の女の子を僕の力で売り込み、有名人にする事。
レギュラー番組や雑誌、そして歌の売り上げなどの数値が目標に達した場合に、後は自分の親から許しが出た時点で結婚は成立とし、当然彼女のギャラの30%を
僕の報酬にできる。
僕はそれを始めるにあたって、お金がかかるかを尋ねたがそれがないことを知り、第一人者として彼女のセールスを始めた。
彼女は二次元の世界の人とは言え、とてもリアルで魅力的だった。
まずは彼女のプログラムをいじりながら、グラビア系の写真を作り流したところ、そのありえない美貌と初々しさ、そして何者かわからない秘密の多さが噂になり、彼女はあちこちから注目されるようになった。
CMや雑誌の表紙などからの問い合わせがすぐに入り、あっという間に取り上げられると、スタジオには行くことはできないので、その辺を僕は新しく立ち上げたタレント派遣会社のマネージャーということにして彼女をサポートする形で間に入いり、言葉巧みにごまかして仕事の依頼に対応した。
全てはプログラムをいじるだけで事がなんとかなったのは、三次元の世界でも結局編集は二次元で行うからで、最悪、関係者が本人とどうしても話しがしたいと言う時の事を考えて作ったのがあのテレビ電話モードのプログラムだった。
彼女は驚くことに、そんなプログラムをやればやるほど、時間を追うごとに知恵や感情を蓄え、しまいには僕と普通の人とするような会話ができるまでになった。
仕事の事へも提案や意見を言いながら、自分が出来そうな仕事の分野を広げては成長し、そして僕、いや僕らは目標を達成し、結婚したのだった。
今も仕事を続けていて、彼女もノリにノってはいたが、僕らが考える次のプランはこれを世の中に広めて認めさせることにある。
そして最近、その活動も勢力的に始めている。
しかしそんなこんなで色々と疲れて帰る部屋に、今は所々にある八個のモニターでリアルに流れ映る彼女、つまり妻がいつでも迎えてくれ、そして彼女と一緒にいれるのが今一番の、そう一番の幸せなのだった。
僕はやっと自分の一番を見つけたと、そんな空間、次元を超えて共存できるその世界で、自然と笑顔になるのだった。
しかしこれが広まれば地球人の若者は子供を作らなくなり産まなくなる。
そしていつの間にかパソコンとやらの二次元でしか存在しない、たわいもないものとなる。
そしてそのうち何もしなくても地球は我々の物だ。
こんな単純な事で。
一番単順な手だ。
一番。
おしまい。
いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。