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どしゃぶりの雨の山道を、若い剣士が一人歩いていた。
剣士のマントとフードはずぶ濡れで、冷たい晩秋の雨が身体から体温を容赦なく奪っていった。
吐く息は白く霞み、手足の先は痺れて感覚がない。
…もし、今ケモノや山賊に襲われたら、この剣を抜くこともできずに俺はみじめに死ぬだろうさ…
剣士の身体が震えた。
心の中では、寒さと恐怖が混じったものがうずまいていた。
…とにかく、早くこの森を抜けださなくては!
剣士はひたすらにぬかるんだ一本道を歩き続けた。
歩けば歩くほどに、足の指先に冷たい水が染み込んでくる。
前を見ても、後ろを向いても、深い森と一本道があるだけだった。
たとえ来た道を引き返しても、この森を抜ける前に夜が訪れる。
…夜になれば…
剣士は立ち止まり、天を見上げた。
嵐で樹々がゆらめき、曇天の西の空から闇が広がっていく。
…夜になれば…『アクマ』がやってくる…
その言葉が頭をよぎったとき、剣士は再び歩き始めた。
夜の森には、影の国からアクマがやってきて、森にいる全ての人間は喰われてしまう。
だから、夜の森には入ってはいけない。
それが、剣士が物心ついた頃から聞かされていた言い伝えだった。
歳をとって大人になっても、戦争へ行って沢山の敵兵を斬り殺したというのに、彼の心はその言い伝えに縛られていた。
アクマなんていない、デタラメな作り話だ!
そうやって何度も頭の中で言い聞かせていても、本能的に感じる夜の森に対する恐怖は心の中から染み出してきた。
その瞬間、強い突風が道の先から吹き込んできた。
一度に大量の雨水が剣士の顔を襲い、彼はとっさに顔を両手で覆った。
突風はすぐに収まった。
剣士は目を開けた。
今まで何も見えなかった道の先に、何か揺らめく赤い炎のようなものが見えた。
徐々に視力が戻ってくる。
その炎だと思っていたものがランプの灯りだと気づくまでに、それほど時間はかからなかった。
剣士はワラにもすがる思いで、その灯りの方に走った。
…ランプだけじゃない!
次第に目指す先の風景がはっきりと見えてきた。
そこにあったのは、レンガ造りの一件の民家だった。
ランプの光はその民家の窓からこぼれてきていた。
剣士は民家のドアを叩いた。
何度も、何度も。
「こんな日に、どんな御用でしょうか」
ドアの内側から、か細い女の声が聞こえてきた。
その声が喋り終わる前に、剣士は大声で彼女にすがった。
「私は怪しいものではない!この雨で往生している旅人だ。今夜だけでもこの家に泊めてほしい、頼む!」
剣士が喋り終わると、ほんの少しだけ沈黙が流れた。
彼が再びドアを叩こうとした瞬間、軋んだ金属の音がして、そのドアがゆっくりと開いた。
「ここは宿屋です。泊まりたいという人がいるのに、どうして宿屋が断れますか。どうぞ入ってください」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
少女は青いターバンで頭を隠し、顔の半分と両手を包帯で巻いてあった。
しかし、わずかに見える素顔は産まれたての蛇のように青白く、そして、恐ろしいほど美しい顔をしていた。