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知識をひけらかすことで不快に思う人もいます。

A君『気になってることがあるんだけど...』


B君『ほう、申してみろ』


A君『最初に0っていう概念を発見したのって誰なのさ』


B君『それは、0が体験してきた波乱万丈な歴史にあります。同時に、数学の発展の歴史ともいえます。

私たちは、0~9までの数をほぼ対等に扱っていますよね?ですが、0は1~9までの数字と違い、長い間「一人前の数」とは認められなかったんです。それどころか、多くの古代文明は0という数さえ持っていませんでした。数というのはそもそも、物の個数を数えるために生まれたものだと考えられています。しかし、「0個のりんご」とはいいませんよね。そう考えると、1から9までの数字と比べて0が確かに不思議な存在に思えてきませんか?実際、0は長い間、「数」とはみなされてきませんでした。ここでいう「数」とは、「個数」という考えに縛られない概念で、足し算やかけ算といった演算の対象になるものを指します。「個数」にしばられると、「0個なんて意味がないから0は数ではない」という考え方におちいってしまいます。0という概念はヨーロッパの人々を悩ませてきました。有名な数学者ブレーズ・パスカルでさえ「0から4を引いても0だ」と考えたといいます。0は何もない「無」だから何も引けないというわけですね。0の割り算はもっと扱いずらいんです。例えば、1÷0=qとおいてみましょう。すると、1=q×0=0となり、「1が0と等しい」という奇妙奇天烈な結果になってしまいます。この1を他の数に置き換えても結果は同じなので、「すべての数は0に等しい」ということになってしまいます。これは明らかに矛盾ですね。このように、0はある意味で、数学の合理性を崩壊させかねない力を秘めているといえます。このため、現代数学では0の割り算はやってはいけない禁止事項になっているんです。0を使う最大の利点の一つは、少ない種類の記号で簡単に大きな数を表すことができる点です。例えば、漢字で数を表すとき、一~九に加えて、十、百、千、万・・・・といった具合に4桁ごとに新しい漢字を用います。しかし、0を使えば新たな記号を考え出さなくても、いくらでも大きな数を表すことが可能なんですね。どんな数でも0~9の十個の数字でことたりるんです。このような数の表記法は「位取り記数法」とよばれ、位に何もないことを表す0が非常に重要な役割を果たしています。0を使った位取り記数法はマヤ文明やメソポタミア文明で使用されました。また、マヤには絵文字で数字を表す方法もあったようです。その場合、0は「下あごに手を添えた顔」などです。画期的な記数法を編み出した両文明ですが、0はあくまで空位を表す「記号」としての意味しかなく、0を使った計算(0+aなど)は行われなかったようです。おそらく、古代文明では、計算にはそろばんなどの算盤や算木が使用され、数字は主に記録用としてだけ用いられたのだと考えられています。そのため、0は計算には使われず、「一人前の数」に成長できなかったんでしょう。いくつかの文明で「位取りの記号」として利用された0でしたが、それは数字や単位がないことを示す記号の枠を超えることはありませんでした。0が一人前の「数」としてみなされたのは、インドが最初であるという説が有力です。0を一人前の数とみなすというのは、加減乗除などの演算の対象として0を見るということです。数としての0の発見は、その後の数学の発展において非常に重要なんです。数としての0がないと、例えば、a^0=1といった計算や、(x-3)(x+2)=0→x=3、-2といった計算もできなくなってしまいます。インドでのゼロ記号には黒丸の点が使われました。太陽の天球上での運動は1日当たり約1度(60分)ですが、季節によって若干の変動があります。それをインドの古文書では「60±a分」と表していますが、ちょうど60分の時期を「60-0」と表記しているんです。少なくとも、部分的には6世紀半ばの段階で、0が数であるという認識がインドにはあったということになります。インドで数としての0が誕生できた理由として、インドでは位に1~9の数字がないことを示す記号としての「ゼロ」が存在したのに加えて、筆算がよく行われていたということが挙げられます。インドでの筆算は、板や皮の上にチョークで書いたり、砂や粉をまいて指や棒で書いたりして行われたようです。例えば、「15+23+40=78」という計算を筆算で行うときに、「5+3+0」と0の足し算を行う必要が出てきます。これが、0を数とみなすことにつながったと考えられます。インドの誰が数としての0を発見したのかは謎に包まれています。しかし、この小さな一歩は人類にとって非常に大きな一歩だったといえるでしょう。現在では、数学、科学はもちろん、日常生活にいたるまでゼロという概念はなくてはならない存在となっているんですね。』




A君『クゥーン...(長時間の騒音による死)』

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