はしがき
昨晩、女に振られました。文明の利器(利器と呼ぶには弊害が多いものでありますが)に後押しをもらって、随分とおちゃらけながら、好きだよ、大好きだよ、君のためならばなんだろうとやってみせるよと、面と向かっては絶対に言わないような浮ついた文面を、女々しく名残惜しいように、だらだらと綴って送ってやってみましたら、帰ってきたのは「笑」という文字が二つ、三つばかり並んだものでした。呆気にとられた私は、いやに寂しい、冷たい返事だねと、これまたおちゃらけて、砕けて、平静を装いながら、指を使って話してみました。彼女は、そうかしら。あな、本心か。心の底から、私に向けられた感情は氷水のように冷たいものであったのだと、その時はじめて自覚いたしました。と同時に、顔に熱を感じましたから、返事は無しに手に持つそれを寝かせてやりました。
これでは負け惜しみのようになってはしまいますが、そのあとは一人、薄暗い部屋で、本当に彼女が好きだったのかということを、床やら天井やらに目を配りながら考えておりました。果たして手に収まるような小さな箱の力を借りるだけで伝えてよかったほどの愛であったのだろうか、あれほどに軽々しく伝えてよかったほどの「好き」であったのでしょうか、などと小一時間考えておりました。
最後に残ったのは、私がこれまで女というものに向けた感情は(勿論、母親やら肉親は除きますが)、性的享楽者が一夜限りの関係を求めるこころのそれと大差ない、むしろ完全な一致であるという結論でした。一時の、孤独に似た、穴のような負の感情を収めるために、埋めるための何かを、これまで私は、女に求めていたのであります。
過去の女についていろいろ思っておりましたら、自分のこれまでの人生なんぞは塵芥のようなものに思えてきて、滑稽噺に与えるような笑いをこぼしつつ、懐かしんで、自嘲的に振り返ってみたくなりましたので、このように文字に書き起こすことにいたしました。自慰にも似た、数年後には唾を吐きかけたくなるような内容、書き方になりますが、それでも私や、私に似た人間にとって、それこそ塵芥ほどには利益になれたらよいものと思います。
嘲笑と、愛玩と、退屈と、感謝を。