その8
三好ユイカはメカクレ少女である。前髪を目元を覆う程に伸ばしている一方で、後ろ髪は決して長い訳ではない。肩までに切り揃えられており、前髪の異様さを際立たせることになっている。
第一印象こそ野暮ったいものの、別段ケアを怠っているということもない。きちんと手入れされている髪はさらさらで、絡ませた指が引っかかることもないのである。
そんなユイカが何故前髪だけを長くしているのかと言えば、趣味の一言で切って捨てられる。昔から引っ込み思案ではあったが、年齢を重ねるにつれてその傾向は酷くなる一方で、気づけば他人と視線を合わせることを怯えるまでになっていた。けれど、親の教育によって俯いたり顔を逸らしたまま話をするのは不作法だと教えられてきた結果、ユイカの出した答えは目線を前髪で隠すことだった。
控えめに言っても馬鹿だと思う。というか傍から見ていて滑稽すぎるのだ。なので隙を見つけては前髪を切ろうと画策しているのだが、無理矢理では泣きが入って親が出てくるので手が出せない。大変に面倒くさい。
結局、ユイカはメカクレという個性を保持することによって、他者との交流を自ら断っているのである。奇妙な装いは他の女子たちから距離を取る一方で、イジメなどの一線を越えた嫌がらせを受けるだけの関係性を築かないという選択肢を取らせている。奇人・変人に近づいて同類扱いされたくないのは誰だって同じだ。
そんなユイカも今年で十六歳。世間一般では花の女子高生の仲間入りである。
そんなユイカに付き合い続けてきた俺も同じく今年で十六歳。彼女いない歴=年齢を着々と更新し続けている。
「おはよう、こーくん」
「おはようさん」
家を出て、門の前で待ち構えていたユイカに挨拶を返す。
相変わらず律儀な事だとその頭に手を伸ばし、きちんと整えられていることに気付いて軽く触れるだけに留まる。
自分としても、何とはなしにユイカの髪の毛を弄る癖をなんとかしたい。いくら手触りがいいからと言っても、頻繁に女子の髪の毛を触っている男とか変態だろう。女性の髪は性器みたいなものって昨日ネットで見たことだし。
「どうしたの?」
「いや、あんまり触るのも悪いかなって思って」
「……今更?」
「うぐ。でも、お前も乙女の髪を触るのはマナー違反とか言ってただろ」
「こーくんが私の髪をぐしゃぐしゃーってやるのはもう慣れたよ」
「なんだ、やってほしいのか」
「そんなこと言ってないですー」
不満げな様子のユイカの手を引いてやると、途端に機嫌を直して歩き出す。ユイカは他人との交流を断っている反動か、親しい相手との身体的接触を好んでいる。その対象が家族と俺の一家に限定されるというのは健全ではないと思うが、とはいえ俺に何ができるという訳でもない。
一応、先日話をして以来、津島ミズキとは多少交流をしているようだ。ただ、あちらは顔が広いのと、ほとんどマスコット染みた扱いなのを見ていると、これが正しい友人関係なのか疑問を抱く。友人関係とは何ぞや、と答えを出せるような人付き合いをしていない俺の台詞ではないだろうが。
むむむ、と頭を悩ませていると、いつの間にか先行していたユイカに手を引かれる。考えに夢中になって、歩く速さを落とし過ぎていたらしい。どうしたのとでも聞きたげなユイカに心配をかけまいと、ユイカの手を引っ張って小走りで駆け出す。
ユイカは目を白黒させていたが、手が離れないようにぎゅっと握ってくる。転んでも引っ張り上げるつもりで強く握り返して、そのまま走り出した。
なんだか青春っぽい、なんて思っていられたのは最初の信号まで。髪を振り乱して青息吐息になっているユイカと、周囲の視線に今更恥ずかしくなる俺である。
とりあえず、難しいことを考えなくとも、なるようになる。
軽く運動してさっぱりした気分でそう結論付けると、昨日よりも少し早く校門を潜った。
ちなみにユイカは俺の蛮行に静かにキレていた。
それに気づいたのは教室でミズキが話しかけてきてからである。
「おはようユイカちゃん。コウタくんも」
「おはよう、ミズキちゃん。ねえ、ちょっと聞いてくれる? 部活の事なんだけど」
「あれ、もしかして入るところ決めたの?」
「うん。とりあえず男子がいないか、少ない所に入ろうかなって」
「おい、ちょっと待て……」
「なあに?」
声を挟むも、向けられるユイカの笑みを見てその迫力に気圧される。
「こーくんみたいに粗暴な男子に振り回されるのは嫌だなって思ったの」
「いや、粗暴ってお前な……」
「まあコウタくんが女心のわからない男の子なのはさておくとして。いいよ、昨日先輩にそういう部活の話聞いておいたから教えるね」
「本当? ありがとうミズキちゃん」
「気にしない気にしない」
「だってね、こーくんが彼女作りたいっていうから女の子が多い所にした方がいいでしょう?」
「うわあ」
男子ってこれだから、とミズキの視線が雄弁に語っていた。
「やめてくれよ……つかなんだユイカ、怒ってるのか?」
「事実だもん。別に怒ってはいないですー本当ですー」
「というか二人って付き合ってないんだ?」
「ない」
「ないよ」
お互いに即答である。息ぴったりだね、なんてミズキが笑っているが、付き合いだけは長いからそんなもんだろう。
「まあいいや。それじゃあ部活の話だけど、とりあえず三つくらいかな。手芸部、茶道部、それと……」
ミズキの言葉を遮るようにチャイムが鳴った。話はまた後でということで、そそくさと席に戻る。
教壇に立つ教師の話を聞きながら、早めにユイカの機嫌を取る方法を考えていた。