その11
週末である。
高校生になって最初の休日という事で、ユイカを連れて買い物に出かけることにした。高校生活を送るにあたり、細々としたものが不足していることに気が付いたためである。
そこで、出かけるぞとユイカに伝えたのがついさっきのこと。パジャマ姿でぽかんとしていた彼女に準備をするよう急かしたが、しばらく待たなければならない。あくびをこらえながら、家の門にもたれかかる。
桜は既に散っていた。最近はうららかな陽気が続き、薄着でももう肌寒さはあまり感じない。晴れ晴れとしたよき外出日和である。
ちょうど、道路を歩いてくる一人の女性の姿があった。周囲の様子をきょろきょろと窺いながら、手に持ったスマホから視線を上げ下げしている。放っておいたら電柱にでもぶつかるか、あるいは自転車にでも引かれてしまいそうな危うさだった。
「あのー」
「ええっとぉ……あ、はい? 何でしょうか」
心配になって声をかけると、目をぱちくりさせながら女性の足が止まった。ぽやぽやした雰囲気で、失礼ながら抜けているところがありそうだと感じる。なんとなく目が離せないタイプというか、近くにいると心配になると言うか……ある種、ユイカと似ているところがあるのだろうか。
「いや、もしかして何か困ってないかな、と思ったから」
「えぇっ、どうしてわかるんですか? そうなんですよ。お店を探しているんだけど、全然わかんなくて」
「なら、よければ手伝おうか? この辺りに住んでるし、少しは力になれると思う」
「わぁ、本当ですか? ありがとうございます」
彼女はニコニコと笑顔を浮かべていた。もうちょっと疑いを持つとかそういうのはないんだろうか。いや、騙したりする気はないんだが。
「それで、どこに行きたいんだ?」
「えぇっと、みっちゃんから聞いた話だと、春休みにオープンしたばっかりのお菓子屋さんがあるらしいんだけど……男の子だとわかんないかな?」
「うーん? カフェみたいな場所が出来たって話は聞いてない、はず」
「そういうのじゃなくてね、ふつーにケーキとかを売ってるだけのお店なんだって。イートインもないと思う」
「んー……」
困った。彼女の言う店が思い当たらない。声をかけておいてこの様では恥ずかしいのでなんとか記憶を掘り出そうとするが、清々しいまでにさっぱりわからない。
「お店の名前とか……がわかってれば検索かけてるか」
「うん、ちょっとわかんないです」
「その友達に連絡して聞くとかは?」
「あの子、この時間だとたぶんまだ寝てるから。お昼まで待てば連絡がつくと思うんだけど」
「そっか。となると、どうしたもんだろう」
まだお昼になるまでには少し時間がかかる。彼女の友人と連絡がつくまで無為に時間を浪費するのも勿体ないと思うが、打開策は浮かびそうにない。諦めの言葉を口にしようとすると、カランカランとドアベルが鳴った。
シンプルな外着に身を包んだユイカは俺の姿を見て近寄ろうとし、対面に女性の姿を見つけてのけぞるように足を止めた。表情は前髪に遮られて見えないが、動揺しているのが目に浮かぶようである。
「知り合いですか?」
「幼馴染み。待ち合わせしてたんだけど……そっか、アイツなら知ってるかも」
おーい、と声をかけて呼んでみると、恐る恐るといった様子でゆっくり近づいてくる。手で急かすと、小走りで傍まで来て、服の裾を引っ張ってくる。口元はぎゅっと引き結ばれているが、何やら言いたいことがあるようなので、断りを入れて迷子の女性から離れる。
ひそひそと密談が始まった。
「で、どうしたよ」
「あ、あの女の人……だれ? 私、知らないんだけど……」
「そりゃそうだろ。ああ、そうだ。お前に聞いておかなきゃいけないことができたんだが」
「な、なに? まさか、あの人も一緒に行くとか?」
何やら勘違いしている様子のユイカである。自分と迷子の女性を比較して狼狽しているのは見ていて面白いが、あまり悠長にしていたくない。
「そうじゃなくてな。春休みくらいにこの辺にケーキ屋が出来たらしいんだが、知ってるか?」
「え? あの人と一緒に行くの?」
「違うっての。店を探して迷子になってるんだと」
「ああ、そういう話なんだ……びっくりしたぁ……」
「何を勘違いしてたんだお前は」
「何でもないよう。ホントだよ?」
ほっと安堵しているユイカの言葉だが、まったく信用できなかった。結局知っているのかと訊ねれば、こくりと頷く。それを早く言えと小突いて、迷子の女性の元へと連れて行った。
「ごめん、お待たせ。コイツは知ってるみたいなんで、たぶん説明できると思う」
「あら、本当? よかった、わざわざありがとう」
「いや、俺じゃわからなかったので」
ほら、と背中に隠れているユイカを促すと、怯え気味ながらも訥々と話を始めていく。相手が聞き上手なのだろう、テンポよく相槌が返ってくるためか、徐々にユイカの語り口から硬さが抜けていった。
説明を終え、大事をやり遂げた様子のユイカに改めて礼を言うと、迷子の女性はふと浮かんだ疑問を口にした。
「ところで、二人は恋人関係とか?」
「違います! こーくんとは恋人とか、そういうのじゃありませんから」
「そうなんだ。仲が良さそうに見えたから、勘違いしたみたい」
迷子の女性はほわほわと微笑みを浮かべ、もう一度感謝の言葉を口にして去っていった。最近はなんだか俺とユイカの関係を邪推される機会が増えたように感じる。年齢が上がったせい、と単純にとらえていいのだろうか。
まあ、深く考えるようなことでもない。疲れた様子のユイカの背を軽く叩き、行くぞと声をかける。不満げなユイカだが、今日の目的は買い物である。連れ回しているうちに機嫌は回復するだろう。
それにしても──。
「なあ、メシ食い終わったら服屋にでも寄るか」
「え、なんで?」
「だってお前、高校生なんだからもうちょっとお洒落とかな……」
「……あ! ねえ、今誰と比べたの?」
「別に、誰って訳じゃねえよ」
「嘘つき、絶対さっきの女の人と比べたでしょ! こーくん面食いだもん!」
「違えよ。ほら俺は一般論的にだな……」
迷子の女性が美人だったのは否定しないが、それを口にするつもりもない。今でさえ追及のうるさいユイカが、更にやかましくなるのは想像に難くないからだ。
きゃいきゃいと騒ぎながら、俺とユイカは連れ立って歩き始めた。




