その1
幼馴染という生き物がいる。
物心つくかつかないかの頃に、親の仲がよかったり、家が近かったり、そんなちょっとした理由で初めてできる友人。それを幼馴染と呼ぶ。
幼稚園くらいの頃なら、幼馴染とは仲良く遊んだりするものだ。そこに男女の隔たりはほとんどないし、そもそもそんな感情さえ浮かぶだろうか。とはいえ、それも幼稚園まで。小学校の高学年ともなれば、自然と疎遠になっていく。
理由も色々だろう。クラスが分かれ、別の友人が出来た。成長から性別を意識するようになった。もっとシンプルに、嫌いになったという事だってある。
もちろん、人間関係とは複雑なものである。一概にそうだと言い切れないのは理解している。ただ、単に自分がそういう状況だからそうだと言っているまでである。価値観を押し付けようとか、そういうつもりはないのであしからず。
ともかく。ともかくだ。
幼馴染と言う生き物が俺にはいる。そいつは俺の母親の親友の子で、同じ病院に一日違いで生まれ、医者と看護士と親族以外に俺が初めて触れた相手らしい。なんとも古い付き合いである。
そして、今年十六歳になる俺、瀬戸コウタの数少ない友人である。
三好ユイカ。"他称"不細工の嫌われ者。どんくさい苛められっ子。
特別、あいつに何かがあったわけではない。運動が出来ず、勉強も人並み。会話が苦手で、気づけば人に怯えるようになってしまっていた。
そうして、気づけばあいつとの付き合いも十年を超える。もうそんなに経ったのか、と少しだけ感慨深くなる。
腐れ縁。この言葉が俺とユイカとの関係を完全に表していた。
「ユイカ。で、この手はなんだ?」
「……その、ね? こーくん。え、っと……」
四月某日の早朝。
玄関を出てさあ学校に行くか。そう思った俺の鞄が引かれ、振り返ればそこにはユイカが居た。
相も変わらず、それで見えているのかと突っ込みたくなるような前髪の長さ。見苦しいから束ねろよと何度言っても、ブンブンと勢いよく首を横に振るばかりだ。一度無理矢理に切ってしまおうと強硬手段に出たが、ガチ泣きされてしまったのは記憶に新しい。キレた母親の説教はもう勘弁願いたい。
前髪を除いても、全体的に女性らしさに乏しいやつだ。食が細いせいか体つきはちびでガリガリだし、胸や尻といった部位は思春期を迎えた女子の癖にぺったんこ。酔狂なやつか、よほど女に飢えてるやつでもなければコイツに女を感じることはできないと断言できる。長年付き合ってきた幼馴染の名にかけて。
「……だって、勝手に先に行こうとするんだもん。行っちゃやだ、って言ったじゃん……こーくんのばーか」
もごもごと口ごもっていたユイカは、ぶすっと頬を膨らませた。とりあえずそんな反応が気に入らなかったのでその頭に手を当て、適当にかき回す。
「やっ、何するの。やめてよこーくん、待って、ひにゃっ」
「馬鹿とかいうな、ばーか」
「こーくんだって言ってるじゃん……だからやめてよっ」
髪をかき混ぜる手を必死に止ようとするユイカのボルテージが限界に近づくのを感じ、ぱっと手を放した。感情が高ぶりやすいのか、ユイカは子供みたいにすぐに泣く。何が悲しくて朝一から往来で生物学上は女のこいつを泣かせないといけないのか。
「もお……こーくん、いじわる」
「はいはい。んじゃ、先行くぞ」
「え? ちょっと待ってよこーくん! 待って、きゃっ!」
「おいゆー、転ぶから走るなよ……って遅かったか」
髪を整えるために立ち止まっていたユイカが走り出すと、数歩もせずに勢いよく転んだ。こいつのどんくささはいっそ感動するレベルである。前髪が長いせいだろうと俺は思うのだが、本人曰く違うらしい。
顔に手を当てて溜息を吐いていると、うーうー唸るユイカが顔だけ見上げていた。髪で目が見えないのでとても不気味だった。ホラー映画とかに出そうだ。
「早く起き上れよー」
「……こーくんひどい。手くらい貸してくれてもいいのに」
「いつものことじゃねーか」
「そうだけど……そうだけど!」
「ほら、行くぞ」
ユイカは慣れた様子で立ち上がり、膝や服から土埃を払う。そんな様子を最後まで見ることなく、のんびりと歩き出した。待ってよ、と後ろからの声に耳を貸すことなく、より歩く速度を落とす。
……再びの悲鳴に、わざとらしく溜息を吐いて、振り返った。